2023年05月11日

逃病日記497(23.5.14.日)

(23.5.12.金)晴れ
 今日は、先週に受けた造影剤CT、脳MRIや血液・尿検査の結果を聞きに行くために、朝イチ(予約時刻 9:15)でK大病院がん診療部呼吸器内科の診察に行ってきた。
 今日から主治医が交替する。前任のS先生の任期がこの3月末で満了したため、4月から後任で来られたN先生が新たな主治医になる。
 経過観察のための各種検査の結果が知らされるこのタイミングは、これまでも、再発などを経験しているだけに、(私自身は無宗教だが)いつも神様に祈るような気持ちになる。
 特に今回は、3月末に亡くなった坂本龍一さんのこと  原疾患の中咽頭がんが寛解したものの、その後の経過観察中のCT等の諸検査による影響もあるのではないかといわれている直腸がん、両肺がん等を発症し、闘病中であったが、この3月末に逝去された  などもあって、これまで以上に、何も異常な所見がないように祈っていた。
 呼び出しのPHSが鳴り、診察室に入室して、先生の前の椅子に座ると、最初は新任の自己紹介をされたが、その後すぐに「結論から言いますと・・・」と切り出され、今回も異常所見のないことが告げられた。私にとって、この時の気持ちほど「安堵した」という言葉が相応しい状況はないだろう。
 この後、私の方から、常々、気になっている放射線治療の後遺症による右頸部の拘縮感、異和感について質問した。それに対し、これらの症状については、進行したり、悪化するとかいうことはないものの、治療上はどうしようもないと告げられた。それを聞いて、ある意味で安心はしたが・・・、「命」との引き換え  その放射線治療のおかげて「命」が助かった  と思えば、多少の後遺症が残ったとしても、仕方のないことなのかもしれない。
 しかし、まあ、これでなんとか、新しく買い替えた(中古だが)ゴルフ7ヴァリアントによる「日本一周」の目処が立ってきた。 

(23.5.13.土)曇りのち雨
 阪神タイガースが、今日もDeNAに勝って、同率首位になってしまった。いよいよ「アレ」が現実味を帯びてきた、というにはまだ早いかなぁ。
 佐藤が復調し、大山も引き続いて好調を維持している、これで青柳と西(勇輝)が調子を取り戻し、湯浅が帰ってくれば、完璧なチームになるんじゃないか。佐藤も、あんなに絶不調だったので、このままでは、あの高山の二の舞いになってしまうんじゃないかと危惧していたが、ここ数日の佐藤の状態は、やはり、“モノが違う感”が満載になってきた。
 開幕当初は、中野をセカンドにコンバートし、その後のショートに誰をもってくるのかが課題だった。岡田監督もショートは守りの要で、打てなくてもかまわない、と発言していたが、そのショートのポジションの二番手候補だった木浪が、守備も卒なこなし、バッティングでこれほどの活躍をするとは、まさに嬉しい誤算と言ってもいいんだろう。

(23.5.14.日)雨
 今日は、娘のムコさんの帰国祝いで、下鴨『福助』で会席料理でお昼ご飯を食べた。アップした写真の八品のほかにデザートが付いていたが、孫がたかってきたので  孫のお子様向けのメニューにはデザートが付いていなかった  写真を撮り忘れてしまった。
 「碗物」にも「酢の物」にも、「鱧」が入っていたが、季節的にはまだ少し早いんだろうか、それほど“身ぶり”が良い物ではなかった。「鱧」といえば、やはり「鱧祭り」という別名があるくらいだから、「祇園祭」の初夏の時季が、脂が載って、身も引き締まって、一番、美味しいんだろう。
 鱧といえば、「鱧の落とし」を梅肉で食べるのが最高だが、天ぷらにしてもなかなか美味しいもんだ。
 鱧に関しては、これからの時季、いつもヨメさんが自然派スーパーHELPでよく買ってきて、丸々一匹を落しにする。それで、器いっぱいにもった鱧落としを食べることになるが、鱧落としは、もともと(梅肉ともども)あっさりとしているので、器いっぱいに十数切れ以上もってあっても食べきれないということはない。HELPで鱧を買ったら、丸々一匹で千円もしないらしいが、これを外で食べるとなると、二切れほどで結構な値段になるんだろう。

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<先付>       <お造り>      <椀物>

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<煮物>      <焼物(鮎)>     <揚げ物>

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     <酢の物>    <ご飯(握り鮨)>

【今日の読書377※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
A-43『明治大正史 上』
B-49『生物の世界』
B-48『量子革命』
F-84『あの本は読まれているか』
G-14『失われた時を求めて14』
H-5『自省録』
L-8『それから』
コメント:引き続いて、今西錦司のB-49『生物の世界』からの抜粋となるが、今回も第四章「社会について」から印象に残った箇所を抜粋した。
p.80「繁殖と営養との区別を求めるとするならば、今までのように種族と個体というような次元のちがった立場の比較をする前に、一応両者を同次元において考察し、その比較の結果がすなわち次元の相違ということにしなければならない。」
p.84-85「生活内容を同じゅうするということは、環境的にみれば同じ環境を要求しているということである。それでもし同一の環境条件が連続している場合を考えたならば、一つの環境を共有するということが許されないとしても、同じ生活内容を持つものが相集まってきて、その連続した環境を住み分けるということは、当然予想されることなのではあるまいか。それは同じ生活内容を持った生物が環境に対して働きかけた主体的行動の当然の帰結であると見なされはしないであろうか。ここに同種の個体間を関係づける他の一要素としての地縁的関係が生じるものと考えられる。このように同種の個体が血縁的地縁的関係によって結ばれているということが、具体的には同種の個体が同じ形態を具え、同じ機能をもって、同じ場所に同じような生活を営んでいるということにほかならない。生物において形態が違うということは、一般には分類学的な意味で種が違うということに解されるけれども、形態が違い種が違うということは、棲む場所が違うということであり、その生活内容が違うということでなければならぬ。」
p.85「生物の形態はある程度までその生活内容を反映したものと認めて、いい換えるならば死物になって標本箱に陳列された生物の形態には分類学的な意義はあっても、形態の本来の意義はその生物が生き、自然に生活している状態において求められねばならないという生態学的な立場から、生物の形態をつねにその生物の生活内容に結びつけて考えるとき、その形態はもはや単なる形態ではなくして、それは一応その生物の生活内容を反映したものとして受け入れられるであろう。このような意味で生物の形態に生活内容を含ませた場合にはこれらを生活系と呼ぶのである。実をいうと形態に生活内容を含ませるのではなく、生活内容に形態を含ませるものとして、私はこれに生体なる言葉を適用するのがもっともふさわしいと思うのであるけれども、今さら生態という言葉を定義づけるのも気の進まぬ話であるから、しばらく生活形という言葉を用いて行こうと思う。すると同じ種類の個体同士というのは、血縁的地縁的関係をもとにもとに結ばれた生活形を同じゅうする生物であるということができるであろう。」
p.86「同種の個体の分布を調べてみると、どんな生物にも一定の分布地域というものがあって、ちょうど一個の生物にその必要とする生活空間があるごとく、種というものにもまた種の生活空間が認められるのではなかろうかということを考えさせる。種の中から生まれ種の中に死んで行く生物の個体は、種の単なる構成要素にすぎないという見方に異論はなかろうが、しからばこの世界における具体的な種とはなんであるか、種は個体にとっていかなる形のものであり、いかなる振る舞いをなすものであるかということになると、まだ今までの説明では充分でないように思われる。」
p.87「一方で細胞と個体という次元の異なったものを並べて考え、他方で個体と種族という次元の異なったものを並べて考えた場合、前者の場合における次元の相違と後者の場合における次元の相違とが同じでなかったならば、前者の場合から後者の場合を論ずることなどはできないはずであろう。種族がはたして細胞や個体から推論できるような存在であるかどうかを誰かが吟味してみたであろうか。種族はわれわれが個人の立場に立って見ればこそ一種の絶対的な単位のようにも見えるけれども、それはちょうど細胞から個体にいたる中間単位としての組織や器官が存在するように、人類という単位の前にはその中間単位として解消してしまうものではなかろうか。」

今日の映画377】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『狂っちゃいないぜ(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:Pushing Tin
製作年:1999年
製作国:アメリカ
監督:マイク・ニューウェル
出演:ジョン・キューザック/ビリー・ボブ・ソーントン/ケイト・ブランシェット/アンジェリーナ・ジョリー
ストーリー:ニューヨークの航空管制局のNo.1を自認していた航空管制官ニック(ジョン・キューザック)は、地方から転勤してきたやり手の新入りラッセル(ビリー・ボブ・ソーントン)に強烈なライヴァル心を燃やし始める。何かにつけて張り合うふたりは、やがてニックの妻コニー(ケイト・ブランシェット)とラッセルの妻メアリー(アンジェリーナ・ジョリー)を巻き込んで四角関係に陥った。仕事と妻の浮気という大きなストレスを抱え込んだニックは神経をすり減らすいっぽうだったが、そんな矢先の雪の日、空港に爆弾が仕掛けられるという大事件が発生する。緊急時の管制に必要な誘導人員は2名だけ。わだかまりを持ちながらもラッセルとニックはコンビを組んで、互いのプライドと妻をも賭けた難事に挑んでいくが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは2.7、TSUTAYAは3.08、Filmarksは3.1で、私の評価は3.0とした。
 当時、まだ、それほど注目されていなかった、アンジェリーナ・ジョリー、ビリー・ボブ・ソーントンが出演しているが、ジョリーとソーントンは本作がきっかけで結婚したとのこと。特にコメントすべき内容の作品ではない。まあ、見どころは、アンジェリーナ・ジョリーのセクシーな姿体ぐらいかな。

【今日のジャズ377※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Here Is Phineas
アーティスト:Phineas Newborn Jr.
レーベル:ワーナーミュージック/Atlantic
録音年月日:1956.8.1
曲名:@Barbados/AAll The Things You Are/BThe More I See You/CCelia/DDaahoud/ENewport Blues/FI'm Beginning To See The Light/GAfternoon In Paris
ミュージシャン:Phineas Newborn Jr. (p)/Calvin Newborn (g)/Oscar Pettiford (b)/Kenny Clarke (ds)
コメント:アート・テイタム (p)の再来といわれ、圧倒的なテクニックを誇ったフィニアス・ニューボーン・ジュニア (p)による生涯の代表作。不調のバド・パウエルに代わるようにシーンに浮上し、パウエル以上に迫力のあるタッチを聴かせた衝撃が国名に記録されている。オスカー・ペティフォード (b)、ケニー・クラーク (ds)、カルヴィン・ニューボーン (g)の手堅いサポートもご機嫌。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)
<YouTubeライブ映像>
  
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2023年05月08日

逃病日記496(23.5.11.木)

(23.5.8.月)晴れ
 今日は、ヨメさんがいそいそと高島屋に出かけて行った。ヨメさんは、なんやかんやと理由をつけて、四条河原町方面へ出かけることが多いが、まあ、それがストレス解消(なんの?)ということなら、いいんじゃないかなぁとも思う。
 私の方は、近くの京都銀行に自動車税を納めに行ってきた。キャッシュカードを持参して、振り込み通知書と一緒に窓口に提出したら、「指紋認証」になってないのでダメとのこと。「暗証番号であかんの?」と尋ねると、「外にあるATMでお金を引き出してきてください」と言われた。「なんでやねん」と思ったが、クレーマー・ジジイになったらあかんなと思って、「てまなこちゃね」と軽く一言、皮肉を言って、ATMで所定の金額を出し、窓口に戻って手続きを終えた。最後にイヤミったらしく「どうもありがとう」と言おうと思ったら、窓口の女性が別の女性に替わっとった。

(23.5.9.火)晴れ
 今日は、上の方の孫のSが遠足出そうだ。小学3年生の遠足ってどこへ行くんかいな?と思ったら、『将軍塚』とのこと。京都在住の人以外は馴染みが薄いかもしれないが、京都市内を一望に見渡せる、京都東山にある高台の景勝の地。ハイウェイで登るルートもあって、昔は暴走族の集結地にもなっていたらしい。Sたちは、四条の八坂神社の奥の辺りからエッチラ、オッチラと登っていくんだろう。
 遠足なので学校が早く終わるため、川端丸太町の娘宅に居ってほしいとLINEメールがあった。今日は、ヨメさんがエル・スポーツのスイミング・スクールの日なので、私が自転車で娘宅に行くことになった。Sに家の鍵は渡してあるし、娘は4時頃には仕事を終えて帰ってくるので、まあ、小一時間の間、Sが一人で家にいてもどっちゅうことはないんだが・・・と思いつつ、自転車を走らせるジイちゃんでした  ちなみに私は「ジイジ」や「バアバ」っていう、なんかテレビ由来の言い方がだいっきらい。だから自分の孫たちには「おじいちゃん」や「おばあちゃん」と言ってもらっている。「ジイジ」や「バアバ」っていう呼称も、まあ、今では完全に定着して普通名詞になっている「パパ」や「ママ」と同じような類いの「流行り言葉」だと思うが・・・・・・。こんなふうに言い出したのはいつのころからだろうか、ここ10年ぐらいのことではないだろうか?

(23.5.10.水)晴れ
 今日は、近くのあすかい病院(旧安井病院)の泌尿器科に自転車で出かけた。
 泌尿器科については、以前はK大病院にかかっていたが、症状が安定し、投薬だけになってきたため、主治医から紹介状を書いてもらって転院したもので、今日で2回目になる。この病院は、いかにも市中の中規模の病院という感じで、雰囲気ものんびりした感じで、待合室で座っていてもなんとなくほっこりする。
 前回とは先生が変わっていたが、この手の中規模病院では専任の医師は半分ぐらいで、他は大学病院の医師の外勤で賄われているようだ。名前を呼ばれて診察室に入ると、いかにも新米医師という感じの先生が、丁寧に自己紹介をしてくれた。前回と同じ処方をだったので、診察そのものは、それこそ3分ですんでしまった。後の会計待ちでは、結構、待たされたので、久しぶりに『池波正太郎の銀座日記』で時間を潰した。

 病院から帰宅する途中で、元田中の叡電交差近くにある、友人のOが事務局長兼専務理事をしている『全国日本学士会』に立ち寄った。
 彼は、昔からの職場のテニス仲間で、また食通でもあったので、現職をリタイア後もよくいろんな店に一緒に食事に行ったりしたもんだ。5年前に私が発病してからも、病院に見舞いに来てくれたり、何かと気を遣ってもらった。
 今日は、病院からの帰り道が自転車だったので、途中、立ち寄ってみたが、一年ぶりぐらいだったので話がはずみ、11時半頃から午後1時頃まで長居してしまった。私が、今回、車を買い替えたことを話したら、彼も買い替えて、明日が納車とのことだった。
 私の「ゴルフで日本一周」企画を話したら、10月に九州で『全国日本学士会』主催のシンポジウムが企画されているので、その後に合流して、九州の秘境などを回ってみようということになった。ただ、彼は車中泊は遠慮する、とのことだったが・・・(笑)。

(23.5.11.木)晴れ
 今日は、娘のムコさんがドイツから帰ってくる。関空に昼ごろに着いて、京都までは、特急『はるか』で帰って来る予定。
 娘に、ムコさんが関空ではるかに乗ったら、ショート・メールで京都着の時刻を知らせてくれるように、LINEしておいた。折り返し、娘が、ムコさんのLINEアドレスを知らせてきたので、私の方からムコさんに、京都着の時刻を知らせてくれるようにLINEしておいた。
 お昼過ぎに関空に着いたんだろう、ムコさんから京都駅着の時刻を知らせるメールが入った。最初は京都駅まで車で迎えに行こうかと思っていたが、ムコさんはタクシーで帰って来るとのことだった。
 ドイツには5年近くの長期赴任だったため  年末年始などに何回か一時帰国しているが  家の鍵を持っていないため、自転車で川端丸太町まで鍵を持って出かけた。
 今日は、河川敷ではなく、川端通り沿いの歩道を走ったが、信号で待たされることが多った。川端丸太町に着いて、10分ほど家の前で待っていたら、ムコさんを乗せたタクシーがやってきた。一時帰国した時に会っているので、それほど、久しぶりという感じはない。長時間のフライトで疲れているだろうと思い、家の前で軽く立ち話をして、すぐに帰宅した。
 今度の日曜日に、下鴨の『福助』で  「和食」に飢えているだろうと思って会席料理にした  ムコさんの「帰国祝い」をすることにした。

【今日の読書376※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
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B-48『量子革命』
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G-14『失われた時を求めて14』
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L-8『それから』
コメント:引き続いて、今西錦司のB-49『生物の世界』からの抜粋となるが、今回も第四章「社会について」から印象に残った箇所を抜粋した。
p.77-78「植物または植物のような固着的な生活を営むものにあっては眼などいらぬものであるに違いない。植物には眼がないゆえに、我々のように眼によって、隣に生えた木が自分と同種類のものかどうかを見別けることはできないであろう。しかし植物だって同種類のものと異種類のものとは見別けているのである。それは植物にあってもその受粉作用が原則としては同種類間にのみ行われていることから考えられるのであって、花粉には眼がないけれども、花粉は同種類の花の花頭に達したのをなんらかの方法によって感知するのでなければ、このような受粉作用に従って繁殖の機構は達成されないであろう。動物だって受精作用はやはりこのようなものでなければならぬ。精子にも卵にももちろん眼などはないのである。それを卵から出す刺激物質、いわゆるホルモンのようなものに誘引せられて精子が卵の方へ行動すると説明されているが、結果的に見ればそれは精子が卵の存在を認めたことにほかならない。(中略)精子のようなわれわれの身体の延長であり、われわれの生命の担荷体であるところのものさえ、われわれの意志の力によってその行動を左右し得ないということに注意を喚起すればよいのであって、ここにもわれわれのもって生まれた植物的性質というものが牢乎として頑張っていることを知るのである。」
p.78-79「植物的性質というものは結局生理学の取扱う領域に属しているのであるが、それは生理学という学問が物性によって、くわしくいえば物理学的化学的な性質によって現象を解明しようという立場にあるからであって、つまり現象を環境の側もしくは物質の側にたって研究するより他には合理的な研究方法がないから、そういうことになってしまうのである。だから環境とえいばただちに無期的環境要因だけのように考えられやすいということは、現象をなるだけ簡略化し、動物を植物化し植物をさらに物質化しようとする、一種の分析主義の現われであり、方法論としてはそれでもよいであろうが、それでは動物の動物的性質が植物の植物的性質が充分説明できていないということになるのは、あたかも細胞をもって個体を説明し、原子や電子をもって細胞を説明しつくされないのと同じ理由によるのである。」
p79「精子の行動ということになると、その行動が物理化学的に解明されたといっても、それにはその行動の前提としての卵の存在が考えなければならないのであり、そうすれば精子や卵の行動が意識的か無意識的かなどということの前に、それらの精子なり卵なりを出した個体の存在が予想されねばならぬ。」
79-80「生殖とか繁殖とかということを持ち出せば、ひとはすぐに種族保存または種族維持ということを思うようであるが、さきにもいったとおりそれは個体的に見るならばどこまでも個体維持である。自分は死んでも自分と同じような個体をこの世界につくり残しておくとによって、この世界においてその個体の占める位置が維持されるということがすなわちこの世界の維持されることにほかならないのである。(中略)繁殖という現象にはこのように種族維持的と個体維持的という二た通りの意義が含まれていながら、しかもその間にはなんらの矛盾も認められないという点が重要なのであって、このことは通常繁殖を種族維持的と考えるのに対して、個体維持的と考えられる営養にも、やはり適用されるのである。営養ということが個体維持的であるというのは、結局それが個体を成り立たせている部分としての細胞を維持するからであり、したがって営養が元来細胞的、生理的な、無意識的、植物的現象であることの根拠もここに見出されていいわけである。もちろん繁殖にしてももとをただせばやはり生物的植物的現象に帰着するであろう。」

今日の映画376】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『ファイナル・プラン(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:Honest Thief
製作年:2020年
製作国:アメリカ
監督:マーク・ウィリアムズ
出演:リーアム・ニーソン/ケイト・ウォルシュ/ロバート・パトリック/ジェフリー・ドノバン/ジェイ・コートニー
ストーリー:全米各地の銀行を襲い、どんな金庫も爆破の技術で突破してきた凄腕の強盗トム・カーター(リーアム・ニーソン)は、証拠を残さず、死傷者も出さない華麗な手口で、いまや伝説的存在となっていたが、運命の女性アニー(ケイト・ウォルシュ)と出会ったことで、罪を償い人生をやり直すべく自首を決意する。しかし2人のFBI捜査官がカーターを罠に嵌め、彼が保管していた現金の横領を画策する。さらに、愛するアニーにも危害が及ぶに至って、ついに怒りを爆発させるカーターだったが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.3、TSUTAYAは2.95、Filmarksは3.3で、私の評価は3.0とした。
 特にどうということもない作品。リーアム・ニーソンは、やはり本人自身が北アイルランド出身ということもあって、『マイケル・コリンズ』のマイケル・コリンズ役が一番ハマっていた感じがする。

【今日のジャズ376※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Giant Steps
アーティスト:John Coltrane
レーベル:Atlantic/イーストウェストジャパン/ MMG/ワーナー パイオニア
録音年月日:1959.5.4-5/1959.12.2/1959.4.1
曲名:@Giant Steps/ACousin Mary/BCountdown/CSpiral/DSyeeda's Song Flute/ENaima/FMr. P. C./GGiant Steps/HNaima/ILike Sonny/JCountdown (alt take)/KCousin Mary (alt take)/LSyeeda's Song Flute (alt take)
ミュージシャン:John Coltrane (ts)/Tommy Flanagan (p)/Paul Chambers (b)/Art Taylor (ds)//Wynton Kelly (p)/Jimmy Cobb (ds)//Ceder Walton (p)/Lex Humphries (ds)
コメント:ジョン・コルトレーンがマイルス・デイヴィス (tp)のセクステットに在籍中に吹き込んだ一枚。「シーツ・オブ・サウンド」と呼ばれる、途切れの少ないフレーズを重ねる彼に、抜群の瞬発力で応じるトミー・フラナガン (p)が負けていない。名脇役として売り出し中だったフラナガンが、モード・ジャズに歩を進めつつあったコルトレーンの背中を押す。どちらも意欲満々の時期だけに、最先端のモダン・ジャズが聴ける。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)
<YouTubeライブ映像>
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2023年05月07日

逃病日記495(23.5.7.日)

(23.5.1.月)晴れのち雨
 今日はK大病院で、原疾患である気管がんの経過観察のための血液・尿検査と造影剤CT撮影を受けてきた。
 経過観察の期間も徐々に長くなり、前回の11月の診察から6ヶ月目になる。前回の経過観察の検査はPET-CTだった。今回は明日にも脳MRIが予定されていて、この三つの検査を交互に組み合わせて経過観察が行われている。
 造影剤CT撮影の際の造影剤に対して、多少、アレルギー反応があるんだろうか、薬剤を注入されると、いつもお腹の辺りがムカついてきて、吐き気を催す。
 それと前回のPET-CT検査の際には、撮影が終わって検査ベッドから立ち上がるときに、立ち眩みがして転倒し、軽く壁に頭をぶつけてしまったため、今日はベッドからゆっくりと立ち上がるようにした。
 今日も、造影剤注入後のお腹のムカつきはあったが、いつもの同じで吐いてしまうほどでもない。
 最近は、放射線照射の後遺症と思われる頸部右側の拘縮感が強くなってきているので、それがどんなふうに映っているんだろうか。嚥下のときにも異和感がある。次回の診察の際に尋いてみようと思う。がん診療部・呼吸器内科の主治医が今度の12日の診察の際には替わっているので、また違った見解を伺えるかもしれない。

(23.5.2.火)晴れ
 今日もK大病院へ行ってきた。今日は、脳MRIの撮影で、肺がんは脳へ転移することが多いので、そのチェックのための検査だ。2017年11月にがんが見つかって以降、原疾患に近い部位での再発はあったが、幸いにも転移したことはない。
 この脳MRIも造影剤を使用するが、昨日のCTとは薬剤の種類も量もまったく違うものらしい。確かに注入されているときも、CTのときのように身体全体が熱くなるということはないし、ムカつくような感じもない、というか、そもそも造影剤が注入されていることすら感覚がない。それにCTのように「息止め」をする必要もないので、患者にとっては、比較的、楽な検査ではある。ただ、MRI機器が作動すると大きな音がするので患者には耳栓が渡される。受検前に耳栓を渡されて挿入するため、看護師さんがなんか注意事項を話していても「ハアーッ、なんですか?」ってな感じになってしまう。

(23.5.3.水)晴れ
 今日は娘たちがムコさんの広島の実家に行くというので、京都駅まで車で送って行った。ムコさんは、11日の木曜日に帰国するそうだ。年末年始などで一時帰国したことはあるが、ほぼ5年ぶりの帰国になる。4月末に帰国する予定だったが、仕事の都合で10日ほど延びてしまったそうだ。ムコさんがいないのにムコさんの実家に帰るというのも気を使うんじゃないかと思うが、娘の場合は「実家のお母さんやらの方が気を使わはるんとちゃうのん」なんてヨメさんと話している。
 11:02発の新幹線ということだったが、連休中で京都駅も混んでいるだろうと思って、少し早めに駅に着くように家を出て、川端丸太町の娘宅に寄って、娘と孫を乗せて京都駅に向かった。京都駅までは意外と混んでなくて、10時過ぎには駅に着いてしまった。5連休始まりなので、京都へ来る人は多いが、京都を立つ人は、まあ、今日はそんなにいないんだろう。
 明後日の5日には、また、迎えに来なければならない。

(23.5.4.木)晴れ
 今日は、枚方のディーラーに、少し早いが1ヶ月点検で車を持って行った。
 4月15日の納車のときには1号線を戻って来たので、今日もそのつもりで、iPhoneのGoogleMapに従って目的地の枚方に向かった。
 国道1号線は、これまでも何回も通った道なのでナビに頼る必要はなかったが、試しに、ナビに従って行ってやろうと思って車を走らせた。高速道路(第二京阪)は使わずに行こうと思っていたが、ナビの設定が中途半端だったからか、いっこうに1号線に出てくれない。第二京阪方面ばかりへ誘導・案内するので、その道には行かないようにと避けると、これまで来たこともないような所をぐるぐると堂々巡りしていた。そうこうしているうちに、あまり時間がなくなってきたので、あきらめてナビに従って第二京阪を利用することにした。あわててETCを差し込んで高速に入ったが、道路はあまり混んでなくてスイスイと快調な走り。これなら最初から高速道路を利用しとけばよかった。
 枚方東ICを降りて国道1号線に出たが、その後はナビに従って、いかにも大阪府下の郡部という辺りのわけのわからん道を走っているうちに、目的のフォルクスワーゲン枚方にたどり着いた。
 車の方は、1ヶ月点検以外に、ナビや音楽の音声が聞こえない  音声信号が伝わっていない?  状態が生じていた。一昨日、車内で聴こうと思って、PCの「ミュージック(iTunes)」のデータをSDカードにコピーし、車内のシステムに挿入、最初は音が出ていたが、突然、音が出なくなってしまった。
 このトラブルに関して、枚方のディーラーで見てもらったら、ナビ内部のハンダ部分の不具合とのこと。連休明けにメーカーに送るとために、ナビの内部部分をガバッと取り外されてしまった。そのため、バックカメラ・モニターも「ピッピッ!」と警告音が鳴るが映像は映らなくなり、あまり役に立たない。
 なんや、1ヶ月も経ってないのに、これって「フォルクスワーゲン認定中古車」ってことだが、誰が認定したんじゃ!欠陥車とちゃうんかい!

(23.5.5.金)晴れのち曇り
 今日は娘たちがムコさんの実家の広島から帰ってくる。GWで予約が取れなかったらしく、京都駅19:11着の新幹線とのことだった。暗くなると、娘宅前の細い道で「ピッピッ」と警告音が鳴っても、モニターが映らないので、目測ではまだ新しい車に慣れていないので、少し心もとない。そのため娘には京都駅からタクシーで帰って、と連絡しておいた。
 昨年の秋に『PCガレージ』でiMacを買い替えたが、OSを自動で「最新の状態にする」ように設定してあったので、OSが。知らぬ間に、Catalinaから最新のVenturaに入れ替わってしまっていた。MacBook Airの方も同様の現象が起こっていたが、こちらの方は、新品で買ったため、比較的スペックも新しかったので、なんとか支障なく動いている。中古のiMacの方は、OSが、Catalinaからふたつ飛び越えてVenturaに入れ替わってしまったが、さすがにスペックが追いつかなかったんだろう、ちょこちょこと不具合が現れ始め、スピードもだんだんノロくなってきていた。これでは、中古とは言っても、買い替えた意味がない。それでOSを、当初から入っていたCatalinaに戻すことにした。インターネットでいろいろとダウングレードに関するウェブサイトを探し、それにしたがって操作したら、時間はかかったが、なんとかOSを戻すことができた。それに伴って、PCの操作スピードも以前のようにサクサクと動くようになったようだ。

(23.5.6.土)曇りのち雨
 土曜日は孫のお泊まりがすっかり定例になってしまった。まあ、来週11日(木曜日)には父親がドイツから帰国するので、これからは、毎週、泊まりに来るなんてこともなくなるだろう。
 娘からLINEがあって、孫をふたり連れて河原町に出ているので、10時半頃に上の方の孫Sをピックアップして欲しいとのこと。下の方の孫は、ドイツのインターナショナルで多少なりとも英語を齧ったので、それを維持していくために、毎週土曜日に河原町のNOVA に通わせているとのこと。それなら、一緒にピックアップして、娘とKは娘宅に送り届け、Sだけ我が家に連れてくればいいように思ったが、そうするとKの方もお泊りをすると言ってゴテ出すそうだ。そうなると娘も一緒にお泊まりということになる。それでは我が家は大変なので、今日はSだけがお泊りをしている。
 私も元気なら、高野川河川敷に虫取りにで行くんだが、左膝が人工関節で右膝が変形性関節症(今のところ人工関節を入れずにすんでいるが・・・)ということで、不整地は苦手。先週の奈良行きのように遠出しない場合は、洛北阪急スクエアぐらいしか行くところはないが・・・・・・

(23.5.7.日)雨
 昨晩にSがお泊まりしたので、今日のお昼頃に娘とKが迎えがてらやって来る予定になっている。
 今日はその他にヨメさんのお姉さん  清水寺近くの霊山町に住んでいる  も来ることになっていて、高島屋からタクシーで、途中、娘宅に寄って娘とKを同乗させて来るそうだ。

 午後1時頃に3人が来たが、今日はあいにくと本降りの雨だったので、昨日と同様、洛北阪急スクエアに行くぐらい。
 3時頃にお義姉さんが買ってきたケーキを食べて“お開き”になったので、川端丸太町の娘宅まで娘と孫を送っていった。

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A-43『明治大正史 上』
B-49『生物の世界』
B-48『量子革命』
F-84『あの本は読まれているか』
G-14『失われた時を求めて14』
H-5『自省録』
L-8『それから』
コメント:コメント:前回に引き続いて、今西錦司のB-49『生物の世界』からの抜粋となるが、今回は第四章「社会について」から印象に残った箇所を抜粋した。
p.73-74「結局環境というものを持ってくることによって、生物のもつ独立性とか主体性とかいうことが、一応はっきりしてきたと思う。環境とはそこで生物が生活する世界であり、生活の場である。しかしそれは単に生活空間といったような物理的な意味のものではなくて、生物の立場からいえばそれは生物自身が支配している生物自身の延長である。もちろんこういったからといって環境は生物が自由につくり自由に変え得るものではないのである。環境をどこまで生物の自由にならない、その意味において生物自身に対立するものと見るならば、その環境はわれわれの身体の中にまで入り込んで来ているばかりでなくて、実はわれわれの身体さえ自由につくり自由に変え得ることができないという点では、これを環境の延長と見なすこともできるであろう。生物の中に環境的性質が存在し、環境の中に生物的性質が存在するということは、生物と環境とが別々の存在ではなくて、もとは一つのものから分化発展した、一つの体系に属していることを意味する。その体系というものは、広い意味ではこのわれわれの世界全体が一つの体系ということにもなるが、一匹一匹の生物がそれぞれの世界の中心をなしているという意味からいえば、その生物とでやはり一つの体系をつくっているといえるのである。そしてこの生物と環境との交互作用によって成り立った体系において、環境は一応物質または物質を代表するものというように考えられてよいであろう。だからわれわれの身体までが、その意味において環境の延長と見なし得られるわけである。これに対して生物の方は、生命または精神を現わす側にあるものであり、環境を生物の延長とみることはすなわち環境の生命化であり精神化でなければならぬ。」
p.74-75「環境は確かに生物がこれを自由につくったり変えたりはできないものである。しかしそうかといって生物はけっして環境に支配され、環境の規定するままに一切の自由を失ったものとはいえないのである。むしろ生物の立場にたっていえば、絶えず環境に働きかけ、環境を自らの支配下におこうとして努力しているものが生物なのである。環境のままに押し流されていくものなら、われわれは何もそこに自立性や主体性を認める必要はないのである。それならば単なる機械にすぎない。」
p.75「生物によって環境に対する働きかけあるいは環境に対する主体性とか独立性とかいうものの相異がなければならないが、生物というものを認める以上環境決定論を承服できないというのは、あえて生物における進化の上下を問わずとも、当然生物そのものの本質的性格から要請されていいことなのであると思う。」
p.76「われわれは暑いから汗が出るのだと思っているが、暑いと感ずることがかならずしも汗の出ることに対する直接の原因ではないであろう。暑いときには汗がひとりでに出るのだといえば、何だか説明になっていないようにも思えるけど、外界の温度の上昇に対してわれわれの体温を一定に保たんがために汗は生理的に出てくるのである。われわれが外界の温度や湿度を意識して、意識的に汗を出さなくとも出てくるからひとりでに出るのだといったが、われわれの身体が生理的に外界の温度や湿度を感知し得るようになっているからこそ、汗が出、われわれの体温は保たれて行くのである。すなわち我々が汗を出すということは環境に対するわれわれの働きかけであり、それは同時に汗を出すべき環境をわれわれが認めることではあっても、その場合かならずしもわれわれの意識がこれに伴っているというわけではない。」

今日の映画375】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『ケープタウン(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:Zulu
製作年:2013年
製作国:フランス
監督:ジェローム・サル
出演:オーランド・ブルーム/フォレスト・ウィテカー/コンラッド・ケンプ/ジョエル・カエンベ
ストーリー:南アフリカのケープタウン。ある日、元人気ラグビー選手の娘ニコールの惨殺死体が発見される。捜査の指揮に当たるのはズールー族出身の刑事アリ・ソケーラ(フォレスト・ウィテカー)。彼が率いる捜査チームには、私生活に問題を抱えた白人刑事ブライアン・エプキン(オーランド・ブルーム)がいた。酒と女に溺れ、妻にも見捨てられた彼だったが、刑事としてはアリがもっとも信頼を置く部下だった。やがて、事件の背後に潜む麻薬を巡る想像を絶する深い闇が次第に明らかとなってくるが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.3、TSUTAYAは3.00、Filmarksは3.4で、私の評価は3.3とした。
 南アフリカで繰り広げられる非情な犯罪組織と刑事たちの緊迫の攻防を、「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのオーランド・ブルーム主演で描くサスペンス・アクションで、「大統領の執事の涙」のフォレスト・ウィテカーが共演している。(以上『TSUTAYA DISCAS』より引用)
 観はじめた最初の印象からは、このような凄まじい内容、展開は予想できなかった。やや荒唐無稽なところもないではないが、2時間に満たない作品にもかかわらず、濃密な中身という印象がある。

【今日のジャズ375※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
アーティスト:The Modern Jazz Quartet
レーベル:Atlantic/MMG/ワーナーミュージック・ジャパン
録音年月日:1957.4.4
曲名:@The Golden Striker/AOne Never Knows/BThe Rose Truc/CCortege/DVenice/EThree Windows
ミュージシャン:John Lewis (p)/Milt Jackson (vib)/Percy Heath (b)/Connie Kay (ds)
コメント:「『ヌーヴェルヴァーグ』と呼ばれるフランスの若手映像作家がモダン・ジャズを使うようになったのは、ロジェ・バディム監督が1957年の『大運河』でモダン・ジャズ・カルテットの音楽を用いたのがきっかけだ。この作品は、その映画で使われた演奏を収録したものでジャズと映像を結びつけた内容が評判を呼んだ。ジョン・ルイスならではの緻密なサウンドは、映画から離れても、ファンの間で高い評価を得ている。」(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)
<YouTubeライブ映像>
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記