(23.5.12.金)晴れ
今日は、先週に受けた造影剤CT、脳MRIや血液・尿検査の結果を聞きに行くために、朝イチ(予約時刻 9:15)でK大病院がん診療部呼吸器内科の診察に行ってきた。
今日から主治医が交替する。前任のS先生の任期がこの3月末で満了したため、4月から後任で来られたN先生が新たな主治医になる。
経過観察のための各種検査の結果が知らされるこのタイミングは、これまでも、再発などを経験しているだけに、(私自身は無宗教だが)いつも神様に祈るような気持ちになる。
特に今回は、3月末に亡くなった坂本龍一さんのこと 原疾患の中咽頭がんが寛解したものの、その後の経過観察中のCT等の諸検査による影響もあるのではないかといわれている直腸がん、両肺がん等を発症し、闘病中であったが、この3月末に逝去された などもあって、これまで以上に、何も異常な所見がないように祈っていた。
呼び出しのPHSが鳴り、診察室に入室して、先生の前の椅子に座ると、最初は新任の自己紹介をされたが、その後すぐに「結論から言いますと・・・」と切り出され、今回も異常所見のないことが告げられた。私にとって、この時の気持ちほど「安堵した」という言葉が相応しい状況はないだろう。
この後、私の方から、常々、気になっている放射線治療の後遺症による右頸部の拘縮感、異和感について質問した。それに対し、これらの症状については、進行したり、悪化するとかいうことはないものの、治療上はどうしようもないと告げられた。それを聞いて、ある意味で安心はしたが・・・、「命」との引き換え その放射線治療のおかげて「命」が助かった と思えば、多少の後遺症が残ったとしても、仕方のないことなのかもしれない。
しかし、まあ、これでなんとか、新しく買い替えた(中古だが)ゴルフ7ヴァリアントによる「日本一周」の目処が立ってきた。
(23.5.13.土)曇りのち雨
阪神タイガースが、今日もDeNAに勝って、同率首位になってしまった。いよいよ「アレ」が現実味を帯びてきた、というにはまだ早いかなぁ。
佐藤が復調し、大山も引き続いて好調を維持している、これで青柳と西(勇輝)が調子を取り戻し、湯浅が帰ってくれば、完璧なチームになるんじゃないか。佐藤も、あんなに絶不調だったので、このままでは、あの高山の二の舞いになってしまうんじゃないかと危惧していたが、ここ数日の佐藤の状態は、やはり、“モノが違う感”が満載になってきた。
開幕当初は、中野をセカンドにコンバートし、その後のショートに誰をもってくるのかが課題だった。岡田監督もショートは守りの要で、打てなくてもかまわない、と発言していたが、そのショートのポジションの二番手候補だった木浪が、守備も卒なこなし、バッティングでこれほどの活躍をするとは、まさに嬉しい誤算と言ってもいいんだろう。
(23.5.14.日)雨
今日は、娘のムコさんの帰国祝いで、下鴨『福助』で会席料理でお昼ご飯を食べた。アップした写真の八品のほかにデザートが付いていたが、孫がたかってきたので 孫のお子様向けのメニューにはデザートが付いていなかった 写真を撮り忘れてしまった。
「碗物」にも「酢の物」にも、「鱧」が入っていたが、季節的にはまだ少し早いんだろうか、それほど“身ぶり”が良い物ではなかった。「鱧」といえば、やはり「鱧祭り」という別名があるくらいだから、「祇園祭」の初夏の時季が、脂が載って、身も引き締まって、一番、美味しいんだろう。
鱧といえば、「鱧の落とし」を梅肉で食べるのが最高だが、天ぷらにしてもなかなか美味しいもんだ。
鱧に関しては、これからの時季、いつもヨメさんが自然派スーパーHELPでよく買ってきて、丸々一匹を落しにする。それで、器いっぱいにもった鱧落としを食べることになるが、鱧落としは、もともと(梅肉ともども)あっさりとしているので、器いっぱいに十数切れ以上もってあっても食べきれないということはない。HELPで鱧を買ったら、丸々一匹で千円もしないらしいが、これを外で食べるとなると、二切れほどで結構な値段になるんだろう。
<先付> <お造り> <椀物>
<煮物> <焼物(鮎)> <揚げ物>
<酢の物> <ご飯(握り鮨)>
【今日の読書377】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
A-43『明治大正史 上』
B-49『生物の世界』
B-48『量子革命』
F-84『あの本は読まれているか』
G-14『失われた時を求めて14』
H-5『自省録』
L-8『それから』
コメント:引き続いて、今西錦司のB-49『生物の世界』からの抜粋となるが、今回も第四章「社会について」から印象に残った箇所を抜粋した。
p.80「繁殖と営養との区別を求めるとするならば、今までのように種族と個体というような次元のちがった立場の比較をする前に、一応両者を同次元において考察し、その比較の結果がすなわち次元の相違ということにしなければならない。」
p.84-85「生活内容を同じゅうするということは、環境的にみれば同じ環境を要求しているということである。それでもし同一の環境条件が連続している場合を考えたならば、一つの環境を共有するということが許されないとしても、同じ生活内容を持つものが相集まってきて、その連続した環境を住み分けるということは、当然予想されることなのではあるまいか。それは同じ生活内容を持った生物が環境に対して働きかけた主体的行動の当然の帰結であると見なされはしないであろうか。ここに同種の個体間を関係づける他の一要素としての地縁的関係が生じるものと考えられる。このように同種の個体が血縁的地縁的関係によって結ばれているということが、具体的には同種の個体が同じ形態を具え、同じ機能をもって、同じ場所に同じような生活を営んでいるということにほかならない。生物において形態が違うということは、一般には分類学的な意味で種が違うということに解されるけれども、形態が違い種が違うということは、棲む場所が違うということであり、その生活内容が違うということでなければならぬ。」
p.85「生物の形態はある程度までその生活内容を反映したものと認めて、いい換えるならば死物になって標本箱に陳列された生物の形態には分類学的な意義はあっても、形態の本来の意義はその生物が生き、自然に生活している状態において求められねばならないという生態学的な立場から、生物の形態をつねにその生物の生活内容に結びつけて考えるとき、その形態はもはや単なる形態ではなくして、それは一応その生物の生活内容を反映したものとして受け入れられるであろう。このような意味で生物の形態に生活内容を含ませた場合にはこれらを生活系と呼ぶのである。実をいうと形態に生活内容を含ませるのではなく、生活内容に形態を含ませるものとして、私はこれに生体なる言葉を適用するのがもっともふさわしいと思うのであるけれども、今さら生態という言葉を定義づけるのも気の進まぬ話であるから、しばらく生活形という言葉を用いて行こうと思う。すると同じ種類の個体同士というのは、血縁的地縁的関係をもとにもとに結ばれた生活形を同じゅうする生物であるということができるであろう。」
p.86「同種の個体の分布を調べてみると、どんな生物にも一定の分布地域というものがあって、ちょうど一個の生物にその必要とする生活空間があるごとく、種というものにもまた種の生活空間が認められるのではなかろうかということを考えさせる。種の中から生まれ種の中に死んで行く生物の個体は、種の単なる構成要素にすぎないという見方に異論はなかろうが、しからばこの世界における具体的な種とはなんであるか、種は個体にとっていかなる形のものであり、いかなる振る舞いをなすものであるかということになると、まだ今までの説明では充分でないように思われる。」
p.87「一方で細胞と個体という次元の異なったものを並べて考え、他方で個体と種族という次元の異なったものを並べて考えた場合、前者の場合における次元の相違と後者の場合における次元の相違とが同じでなかったならば、前者の場合から後者の場合を論ずることなどはできないはずであろう。種族がはたして細胞や個体から推論できるような存在であるかどうかを誰かが吟味してみたであろうか。種族はわれわれが個人の立場に立って見ればこそ一種の絶対的な単位のようにも見えるけれども、それはちょうど細胞から個体にいたる中間単位としての組織や器官が存在するように、人類という単位の前にはその中間単位として解消してしまうものではなかろうか。」
【今日の映画377】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『狂っちゃいないぜ』(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:Pushing Tin
製作年:1999年
製作国:アメリカ
監督:マイク・ニューウェル
出演:ジョン・キューザック/ビリー・ボブ・ソーントン/ケイト・ブランシェット/アンジェリーナ・ジョリー
ストーリー:ニューヨークの航空管制局のNo.1を自認していた航空管制官ニック(ジョン・キューザック)は、地方から転勤してきたやり手の新入りラッセル(ビリー・ボブ・ソーントン)に強烈なライヴァル心を燃やし始める。何かにつけて張り合うふたりは、やがてニックの妻コニー(ケイト・ブランシェット)とラッセルの妻メアリー(アンジェリーナ・ジョリー)を巻き込んで四角関係に陥った。仕事と妻の浮気という大きなストレスを抱え込んだニックは神経をすり減らすいっぽうだったが、そんな矢先の雪の日、空港に爆弾が仕掛けられるという大事件が発生する。緊急時の管制に必要な誘導人員は2名だけ。わだかまりを持ちながらもラッセルとニックはコンビを組んで、互いのプライドと妻をも賭けた難事に挑んでいくが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは2.7、TSUTAYAは3.08、Filmarksは3.1で、私の評価は3.0とした。
当時、まだ、それほど注目されていなかった、アンジェリーナ・ジョリー、ビリー・ボブ・ソーントンが出演しているが、ジョリーとソーントンは本作がきっかけで結婚したとのこと。特にコメントすべき内容の作品ではない。まあ、見どころは、アンジェリーナ・ジョリーのセクシーな姿体ぐらいかな。
【今日のジャズ377】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Here Is Phineas
アーティスト:Phineas Newborn Jr.
レーベル:ワーナーミュージック/Atlantic
録音年月日:1956.8.1
曲名:@Barbados/AAll The Things You Are/BThe More I See You/CCelia/DDaahoud/ENewport Blues/FI'm Beginning To See The Light/GAfternoon In Paris
ミュージシャン:Phineas Newborn Jr. (p)/Calvin Newborn (g)/Oscar Pettiford (b)/Kenny Clarke (ds)
コメント:アート・テイタム (p)の再来といわれ、圧倒的なテクニックを誇ったフィニアス・ニューボーン・ジュニア (p)による生涯の代表作。不調のバド・パウエルに代わるようにシーンに浮上し、パウエル以上に迫力のあるタッチを聴かせた衝撃が国名に記録されている。オスカー・ペティフォード (b)、ケニー・クラーク (ds)、カルヴィン・ニューボーン (g)の手堅いサポートもご機嫌。(『レーベルで聴くジャズ名盤1374』から引用)
<YouTubeライブ映像>
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