2015年06月11日

大学と病院の労働法メモ1(大学病院臨床系教員の専門業務型裁量労働制)

1−1 大学病院の「医師」は、臨床系教員(教授、准教授、講師、助教)、医員、医員(研修医)等で構成されています。
 現在、臨床系教員のうち、教授、准教授、講師が、「教授研究の業務(主として研究に従事するものに限る)」に就いている場合には、当該業務を対象業務とする専門業務型裁量労働制(以下、単に「裁量労働制」という。)が適用されます。
 しかし、手術部、救急部、集中治療室等の中央診療施設や麻酔科などでは、緊急時や夜間などを含め、常時、一定数の医師を確保する業務上の必要性から、交代制勤務や変形労働時間制等を取っていることが多く、当該部署に所属する医師については、講師以上であっても裁量労働制を適用除外としていることが多いようです。

1−2 「大学教員」の裁量労働制の適用については、平成16年4月の国立大学の法人化を前にして、平成15年10月22日付けの厚生労働省からの通達(基発第1022004号)で、厚生労働大臣の指定する業務として、新たに「教授研究の業務」が対象業務に加えられたことに拠ります。
 当該通達では、この「教授研究の業務」の対象となるのは講師以上の大学教員であり、助手(当時)については、裁量労働制の施行の当初から対象業務とされていた「人文科学又は自然科学に関する研究の業務」を適用し、当該業務に従事する場合に裁量労働制を適用するものとされました。
 ただし、このときの通達では、診療業務に従事する臨床系教員については、「患者との関係のために、一定の時間を設定して行う診療の業務は教授研究の業務に含まれないことから、当該業務を行う教授、助教授又は講師は専門業務型裁量労働制の対象とならないもの」とされました。
 また、診療業務に従事する助手(当時)の取扱いについては、当該通達では特に記載はありませんでしたが、当然のこととして、「診療の業務」は「人文科学又は自然科学に関する研究の業務」には該当しないものと判断され、適用対象とはされませんでした(「当然のこと」ではあるとしても、「該当の是非」については、明示すべきでしょう。)。

1−3 その後、現場からの要望や国立大学附属病院長会議等からの要請などを受け、上記の通達から約2年ほど遅れ、平成18年2月15日に新たな改正通達(基発第0215002号)が出されました。
 先の通達(基発第1022004号)では「患者との関係のために、一定の時間を設定して行う診療の業務は教授研究の業務に含まれない」とされていたものが、改正通達では「大学病院等において行われる診療業務については、専ら診療行為を行う教授等が従事するものは教授研究の業務に含まれないものであるが、医学研究を行う教授等がその一環として従事する診療の業務であって、チーム制(複数の医師が共同で診療の業務を担当するため、当該診療の業務について代替要員の確保が容易である体制をいう。)により行われるものについては、教授研究の業務として取り扱って差し支えないこと」と改められました。(なお、当初の通達における「大学の教授、助教授又は講師」という表現は、今回の通達で「教授等」とされています。)
 国立大学法人化の当初から、診療に従事する助手(当時)の業務は、裁量労働制の対象業務である「人文科学又は自然科学に関する研究の業務」には該当しないものとして取り扱われていました。今回の通達で「診療の業務」に関して、新たに「チーム制(複数の医師が共同で診療の業務を担当)」という概念が導入されましたが、その適用は、「教授研究の業務」の取扱いだけに限定されていました。従って、今回の通達においても、診療業務に従事する助手(当時)の取扱いについての変更はなく、引き続き、裁量労働制は適用除外となりました。

1−4 この後、平成19年4月1日に学校教育法が一部改正され、「助教授」が廃止されて「准教授」が設置されました。また、「主として教育研究を行うことを職務」とする「助教」が新設され、「主として教育研究の補助を行う者」は、引き続き「助手」とされましたが、結果的には「助手」のほとんどは「助教」に異動しました。
 これに伴って平成19年4月2日付けで通達(基監発第0402001号)が出され、当該職名の読み替えが行われました。「准教授」の対象業務は、改正前の「助教授」の対象業務と同様であるものとされ、引き続き、裁量労働制が適用されました。「助教」の対象業務は、「新設された「助教」等の労働実態が明らかになるまでの間」は、一定の条件の下、従前の「人文科学又は自然科学に関する研究の業務」に該当するものとして取り扱われることになりました。

 以上が国立大学の法人化による「大学教員」の裁量労働制の適用の経緯です。これを踏まえ、以下に、臨床系教員に対する裁量度労働制の適用に関するいくつか論点について記載します。

2−1 法人化前から、大学教員の勤務時間については、一部、管理的業務や授業等で時間的な拘束はあるものの、研究業務に関しては、研究活動の性質上、時間管理が困難なことが多いため、教育公務員特例法により、学外「研修」や自宅「研修」及び夏季休暇期間中の「研修」などが、「勤務」として取り扱われ、柔軟に運用されていました。「入試業務」を除き、超過勤務手当(時間外手当)が支給されることもなく、労基法上の裁量労働制に近い勤務形態であったといえます。
 一般の企業その他の法人が裁量労働制を適用する場合は、時間外手当などが不支給であること等から、裁量労働に見合った一定額の「特別手当」などが支給されることが多いものと思われます。


2−2 従って、国立大学の法人化により、新たに、大学の教員に裁量労働制を適用するに当たっては、「特別手当」の支給や「俸給表」の見直しなどの検討が行われるべきであったという見方もできます。
 しかし、法人化前から、大学教員の勤務形態が、教育公務員特例法の適用により「裁量労働制的」であり、給与も一般の国家公務員より優遇されていたという事実(教員の俸給表には、法人化前から既に「特別手当」的なものが含まれていたということ。これについては、「職務の困難性」による要因も大きいと思われる。)を踏まえるなら、法人化の際に、改めて「特別手当」を支給する必要はなかったでしょう。
 一方で、裁量労働制が適用除外とされた臨床系教員に対して、同じ「俸給表」を適用したまま超過勤務手当(時間外手当)を支給するのは、均衡を欠くような気がしないでもありません。
 ただ、大学病院の臨床系教員(医師)については、民間の勤務医などと比べて賃金格差が大きいため、人員確保の必要性から「初任給調整手当」を支給するなどしている実情を勘案すると、俸給表の見直しまでして、裁量労働制適用教員との均衡を図る必要はないのかもしれません。現時点では、大学の教員中、病院の臨床系の「助教」のみが、裁量労働制が適用外とされていますが、大学病院の過酷な「診療の業務」の重責の中心的な役割を担っている臨床系助教に対し、敢えて、裁量労働性を適用する必要はないのかもしれません。

2−3 次に、平成19年4月1日に学校教育法が一部改正され、「准教授」「助教」が設置された際の取扱い上の問題点について記します。
 平成19年4月2日付けの通達(基監発第0402001号)により、「准教授」は引き続き裁量労働制が適用されることになりましたが、「助教」については、「主として教育研究を行うことを職務」とするものとされたにもかかわらず、「新設された「助教」等の労働実態が明らかになるまでの間」は、従前の「助手」の対象業務「人文科学又は自然科学に関する研究の業務」のままとされていました。

2−4 学校教育法第92条で、教授、准教授、講師の職務は、「専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の(特に優れた)知識、能力及び実績を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。」とされ、一方、助教の職務は「専攻分野について、教育上、研究上又は実務上の知識及び能力を有する者であつて、学生を教授し、その研究を指導し、又は研究に従事する。」とされています。
 「教授研究の業務」関する職務上の相違はほとんどなく、教授は「特に優れた知識及び能力」、准教授は「優れた知識及び能力」、助教は「知識及び能力」というだけの相違で、およそ勤務形態に関係ない“実績や能力の差”というべきものです(講師は「教授又は准教授に準ずる職務」とされています。)。

2−5 通達(基監発第0402001号)が出された際は、「助教」については、「新設された「助教」等の労働実態が明らかになるまでの間」と記載されていることからも分かるように、暫定的に「人文科学又は自然科学に関する研究の業務」を適用するものとされていたわけですが、既に5年以上経過している今日、「助教」に対しても「教授研究の業務」を対象業務として裁量労働制を適用してもいいような気がします。その方が、法令(学校教育法)上も実際の労働実態とも合っているように思われます。

2−6 その場合、病院の臨床系助教についても、教授等と同様に「診療の業務」に関して「チーム制(複数の医師が共同で診療の業務を担当)」という概念が導入できることになり、「教授研究の業務」を対象業務とする裁量労働制が適用できるようになります。
 ただ、法人化後に裁量労働制を適用除外としたことにより、超過勤務手当(時間外手当)の支給実績があることから、裁量労働制を適用するに当たっては、当該手当が不支給となるため労働契約法第10条の「不利益変更」の問題を生じる可能性があります。場合によっては、何らかの代替措置が必要となるかもしれません。




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2015年05月26日

シンポジウム「労働・教育・福祉の一体化に向けた政策課題を探る」に出席

 先週の土曜日(5月23日)、京都駅前のホテル・セントノーム京都で開催された、NPO法人「あったかサポート」主催の「労働・教育・福祉の一体化に向けた政策課題を探る」に出席しました。
 パネリストは、濱口桂一郎(労働政策研究・研修機構)、本田由紀(東大教育)、埋橋孝文(同志社大社会福祉教育)の三氏で、労働・教育・福祉の三つの分野をつなぐ政策課題について議論を深めるための共通するキーワードとして「生活困窮者自立支援法」を取り上げて企画されたとのことでした。キャラの立ったパネリストを選んでいたにもかかわらず、あまり議論が深まらなかったな、というのが聴取後の私の印象です。

 濱口氏の次の著書については、以前に読んでいましたし、平成25年の京都社労士会の勤務社労士セミナーでの講演を拝聴していた(その際、名刺交換をさせていただきました。)こともあり、出席を楽しみにしていました。

 @『新しい労働社会』(岩波新書)
 A『日本の雇用と労働法』(日経文庫)
 B『若者と労働』(中公新書ラクレ)
 C『日本の雇用と中高年』(ちくま新書)
 
 氏は、「メンバーシップ型」と「ジョブ型」という概念を提示され、上記の各著書で雇用を中心とした労働法にまつわる諸問題・課題を明快に分析され、その成果は、労働経済や雇用の分野に止まらず、現代の日本社会の諸問題を論ずるに当たり(現在では「メンバーシップ型」「ジョブ型」という概念がごく一般的に用いられている)、少なからず影響を与えているのではないかと思います。
 二つの概念により対象を分析する場合、得てして「二項対立」的な弊害に陥るのが常ですが、氏は上手くグラデーションを効かせて論を展開されているため、分析の網から漏れ落ちる事象が最小限に留まっている、というのが氏の著作に対する私の感想です。

 本田氏については、事前に次の著書を読んでいました。@とBは、このシンポジウムの開催案内がある前から読んでいました。Aに関しては、Bを読んんだあと、@とともに Amazon で取り寄せ、ツン読していたものを、今回のシンポジウムに合わせて読了しました。

 @『「ニート」って言うな!』内藤朝雄、後藤和智との共著(光文社新書) 
 A『軋む社会』(河出文庫)
 B『もじれる社会』(ちくま新書)

 今回のシンポジウムで使われたPP資料「戦後日本型循環モデル」に関しては、ご本人が「毎回、同じ曲を歌う流行歌手」などと照れ隠しに前置きされていましたが、@は“ニート”に関する著書なので、まだ、現在の「戦後日本型循環モデル」は使用されていませんが、それらしい原型となるようなモデル図が掲載されています。
 
 しかし、“ニート”っていう言葉、最近はあまり使わなくなってしまいましたが、実態が存在しなくなったからなのか、それに代わる言葉が使われだしたからなのか、どうなんでしょうかね。まさか、“ニートって言うな!”ということで言わなくなったということはないんでしょうが・・・


 濱口氏が「メンバーシップ型」と「ジョブ型」の二つの概念をツールとして用いられているのに対し、本田氏は「教育」「仕事」「家族」という三つの社会領域の連携構造の分析を通じて「戦後日本型循環モデル」というツールを編み出し、現実の社会の変遷に沿って、議論を展開していっておられますが、最後に提示される処方箋は、分析の斬新さに比べ、 ややありきたりな印象に終わってしまっているような気がしないでもありません(社会学者ですから、それでいいのかも・・・)。
 当日、席上ではなかなか威勢もよく、ウィットにも富み、東大の社会学といえば、かつて名を馳せた有名女性教授がいました(教授退職後の現在も活躍されていますが)が、当日の本田氏も、なかなかどうして・・・あの某女史に勝るとも・・・第二のTUとも・・・いやいや・・・

 「社会福祉」に関しては、私はあまり馴染みがなく、埋橋孝文氏については、当日、初めて拝見しましたので、特にコメントはありません。おっとりとした関西風の喋り(「喋り」ではなく「発言」ですね、失礼!)に親しみが持てました。

 「労働」「教育」「福祉」のそれぞれの専門家が、三つの分野をつなぐ政策課題について議論を深めるための共通するキーワードとして「生活困窮者自立支援法」を設定した、ということだったんですが、シンポジウムを行う場合、普通は、パネリストには、特定のテーマに関する当該分野の専門家を選んで意見交換するのが一般的ではないのでしょうか。
 今回は三人のパネリストが「生活困窮者自立支援法」を共通のキーワードにして、それぞれの専門分野の立場から発言を行い、その後、それぞれの意見に対して他の二人が各々の立場から感想や意見を述べるということだたんですが、これってパネリストもやり難かったんではないでしょうかね。
 各々の専門分野の立場からの意見については、仮に相違点があったとしても、それは基本的にはそれぞれ拠って立つ立場が異なるからなのであって、当然といえば当然のことと思われます。立場の相違はあっても、双方の立場をお互いに尊重する以上、根源的な反対意見が発言される機会は少ないのではないでしょうか。結局、専門分野の周辺部の、ある程度、見解が近い領域に関してコメントを述べる程度に止まらざるを得ないのではないでしょうか。
 
 「労働」と「教育」と「福祉」の三つの分野を通じて議論できる今日的なテーマっていうのは限られてくると思いますが、私なら、“三題噺のお題”としていただいたとしたら、まず思い浮かぶのは「家族の格差と教育の格差」というテーマですかね。「新卒一括採用」なんかも面白いんですが、「福祉」とは関係が薄いですしね。

 「家族の格差と教育の格差」というテーマで、一方の端に「正規社員」を置き、他方、反対側の端に「生活保護」を置いて、中間地点に「非正規社員」を置くようなイメージ図で考えると、「正規社員」の「賃金」には「生活給」として、一般的には「扶養・家族手当」が含まれていますから、「教育」にかかる費用は企業が負担していると考えることが可能です。一方、反対側の端の「生活保護」では「教育扶助」という制度があるにもかかわらず、その対象は義務教育に限られています。その間にいる「非正規社員」の賃金には、「扶養・家族手当」など含まれていませんから、仮に、「非正規社員」同士が結婚したとしても、当然、「教育」に費やすお金などありません(「児童手当」などもありますが、これも義務教育の段階止まりです。)。
 少子化対策の問題とも相まって、子供の養育・教育費コストを社会的に負担するシステムの問題は、今日の日本の社会にとって、急務の課題と言えます。さらに、義務教育、中等教育を終えた後の高等教育に関しては、社会福祉的にサポートする仕組みはなく、文部科学省所掌の「奨学金制度」ということになりますが、日本の場合、給付奨学金ではなく貸与奨学金が一般的で、謂わば“学生ローン”というようなものでしかなく、その奨学金により大学に進学し、「教育の格差」を克服し得たとしても、長い期間に亘って返済の義務が付きまとい、「家族の格差」の格差は“伏流水”のように途切れることがありません。

 「幼稚園と保育所」「大学病院の教育と診療」「医師の養成」など、文部科学省と厚生労働省の管轄下で省庁の壁による縦割り行政の弊害はたくさんありますが、この「教育扶助と児童手当と奨学金制度」など、その最たるものではないでしょうか。

 まだまだ、ここら辺りの問題点や論点は尽きることがなく、濱口氏は「労働」、本田氏は「教育」、埋橋氏は「福祉」と、三つの立場が相違していても、今日的な、噛み合った熱い議論ができたのではないでしょうか。



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