(22.5.7.土)晴れ
先日、誤作動するので使用を中止していたiMacのBluetoothのキーボードを、再度、使い始めた際、それとなく懸念していたが、案の定、以前と同じ誤作動が起きるようになった。
数字やアルファベット・キーを入力すると、一回しか操作していないのに、入力した同じ数字や文字が、「2222222222」ってな感じで、連打したように勝手に入力されてしまう。だからスリープ画面からパスワードを入力しようとしても、数字を正常に入力できないので、画面を開くことができない。
以前、同様の誤作動が起きたのは5年以上も前のことで、まあ、以前よりはPCの操作も習熟しているので、いつもPC操作上の疑問が生じたときにしているように、Googleで「Bluetoothキーボード」と「誤作動」とキーワードを入れて検索してみた。
すると、あったあった、同じような事例に関する「Q&A」サイトがたくさん出てきた。それらの「Q&A」はエレコムのキーボードに関するものだったので、さらに「Mac」とキーワードを追加したら、「Macキーボードの暴走」というような類似の記事がたくさん現れた。そのうちの一つの記事によるとAppleのサイトでも『Mac で NVRAM または PRAM をリセットする』と解決策が示されているとのことだった。
それらの記事に書かれてある手順に従って操作したら、キーが連打したようになる現象は見事に解消した。この操作は、メモリをリセットするものらしく、なんか画面の輝度も増して明るさがましたように思う。
最近は、パソコンやスマホの操作上の疑問は、ほとんどのケースが、このGoogle検索に適当なキーワードを入れることで適切な解決策が示され、解消することが多い。
(22.5.8.日)晴れ
永田和宏・河野裕子夫妻関連の本を集中的に読んでいて、「短歌づいた」わけでもないが、気になる本があって、本棚の奥に眠っている短歌関係の本をいろいろと探し出した。
@吉本隆明『吉本隆明 詩歌の呼び声 岡井隆論集』、A岡井隆『吉本隆明をよむ日』、B岡井隆『現代短歌入門』、C岡井隆・金子兜太『短詩系文学論』、D上田三四二『戦後短歌史』、E菅谷規矩雄『詩的リズム』等々で、一番古いのはD『戦後短歌史』だが、奥付を見ると1974年5月31第1版第1刷発行とある。なんと50年近く前に刊行された本だ。経年焼けで変色しているが、パラパラとめくってみると所々に棒線 当時は現在のようなマーカーなんてシャレたものではなく鉛筆 が引かれているので、記憶にはないが、一応、読んだということなんだろう。
家探しして出てきた本 確か、読んだはずだと記憶していた本 は確かにあった。しかし、今、再読すべきかどうか迷うところだが、とりあえず、@『吉本隆明 詩歌の呼び声 岡井隆論集』、A『吉本隆明をよむ日』だけは読むことにした。後は、まあ、その都合でということにしようと思うが、関連して『吉本隆明をよむ日』で言及されている吉本の『言葉からの触手』『写生の物語』『源実朝』なども再読したくなってきた。
「書物に淫する」というのはこういうことを言うのだろうか。
【今日の読書256】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
G-11『失われた時を求めて11』
H-3『パンセT』
I-34『評伝・河野裕子』
K-17『小説的思考のススメ』
コメント:G-11『失われた時を求めて11』は、本編を読了し、あとは「訳者あとがき」のみになった。本巻末で、同棲していたアルベルチーヌが「私(プルースト)」の館から出て行くことになる。次巻12巻「消え去ったアルベルチーヌ」を経て、第13巻〜第14巻でプルーストが『失われた時を求めて』を書くに至る経緯などが示されるらしい「見出された時」で、全14巻の結末となる。
I-34『評伝・河野裕子』を読了した。永田和宏・河野裕子夫妻の息子である永田潤氏の著作だが、やはり息子にしか書けない絶妙の距離感という感じがする。他人の手になる評伝の場合は、これほど愛情に溢れた記述はできなかったろう。また、永田和宏氏による『あの胸が岬のように遠かった』や『歌に私は泣くだろう』の場合は、夫としての一方向からの見方になるざるを得ないが、本書は、一定の距離を置いて客観的に両親を捉えているように思う。また、随所に取り上げられている永田一家四人の歌が、それぞれの立場からの濃密な感情を閉じ込めたカプセルのように、地の文とは異なる効果を醸し出している。
【今日の映画256】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『青い戦慄』(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:The Blue Dahlia
製作年:1946年
製作国:アメリカ
監督:ジョージ・マーシャル
出演:アラン・ラッド/ヴェロニカ・レイク/ウィリアム・ベンディックス/ハワード・ダ・シルバ/ヒュー・ボーモント
ストーリー:予備役になったアメリカ海軍少佐ジョニー(アラン・ラッド)は、戦友のバズ(ウィルアム・ベンディクス)とジョージ(ヒュー・ボーモント)とともにカリフォルニア州ハリウッドに帰る。ジョージとバズが一緒にアパートを探す間、ジョニーは妻ヘレン(ドス・ドウリング)を驚かせようと、彼女のいる「キャヴェンディシュ・コート・ホテル・アンド・バンガロー」を訪れ、妻がナイトクラブ「ブルー・ダリア」の経営者ハーウッド(ハワード・ダ・シルヴァ)と親しくする姿を目にする。ジョニーはハーウッドを殴って退散させ、ヘレンと言い合いになる。酔っ払っていたヘレンは、ジョニーがジフテリアで死んだと信じていた息子ディッキーが、自分が起こした飲酒運転事故で亡くなったと告白する。感情的になったジョニーは、自分の拳銃を妻に向けるが、「殺す価値もない」とソファに投げ、雨の中バンガローを去る。 雨の中ジョニーがあてどなく歩いているところ、コンバーティブルを運転している美女ジョイス(ヴェロニカ・レイク)に拾われ、どちらも名前を明らかにせず、マリブの旅館の別々の部屋で夜を過ごす。翌朝、ジョニーがフロントでチェックアウトの手続きをしているところに、ラジオからヘレンが殺害されたというニュースが流れ、ジョニーが容疑者に挙がっていることが判明するが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.5、TSUTAYAは2.71、Filmarksは3.2で、私の評価は3.3とした。
本作品の原題が『The Blue Dahlia』で、「暗黒のLA4部作」の第1作目の『ブラック・ダリア』の元になった実際の事件「ブラック・ダリア事件」のネーミングの由来になったと言われている。また『The Blue Dahlia』の脚本・原作者が、あの一連のハードボイルド小説の名探偵フィリップ・マーロウ・シリーズ シリーズ全作品の村上春樹の翻訳がある の原作者チャンドラーということで、興味をそそられて観ることになった次第。
【今日のジャズ256】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Know What I Mean?
アーティスト:Cannonball Adderley
レーベル:Riverside/ビクター音楽産業/Fantasy
録音年月日:1961.1.27/1961.2.21/1961.2.13
曲名:@Waltz For Debby/AGoodbye/BWho Cares/CWho Cares (take 4)/DVenice/EToy/FElsa/GNancy ( With The Laughing Face )/HKnow What I Mean (take 7)/IKnow What I Mean (take 12)
ミュージシャン:Cannonball Adderley (as)/Bill Evans (p)/Percy Heath (b)/Connie Kay (ds)
コメント:由来キャノンボール・アダレイとビル・エヴァンスが二年ぶりの再会を果たした。リリシズムに溢れたエヴァンスの名曲〈ワルツ・フォー・デビー〉をフィーチャーしたこの作品でフィーチャーしたこの作品でファンキー路線を歩み始めたキャノンボールが久々にモダン・ジャズの真髄に迫る。マイルスのグループでは相性がよくないと考えられていたふたりだが、この作品で互いが持ち味を発揮しつつ素晴らしい協調を示す。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)