2023年01月12日

逃病日記464(23.1.12.木)

(23.1.9.月)晴れ
 我が団地は、昨年末から2年近くかけて、全戸(約600戸)の排水管改修工事が行われることになっている。
 経緯は、10年ほど前に団地の長期修繕で一斉に排水管改修工事が行われたが、工事終了後に仕様が当時の防火基準を満たしていなかったことが判明して訴訟に発展。その結果、団地側が勝訴して工事のやり直しをすることになった次第。詳細は承知していないが、各戸の排水管周囲の補填材が可燃性のものだったので、火災時に上の階に延焼する恐れがあったということのようだ。
 今週の月曜から金曜日までの5日間は我が棟の番で、朝9時から夕方5時までの間に排水管周りの工事をするためにトイレや洗面が利用できない。昼間は施工業者が設置した仮設トイレか団地の集会所のトイレを利用しなければならないが、我が棟は近接している洛北阪急スクエアのトイレも利用できないことはない。ということで、朝食後は9時までにトイレを済まし、お昼までなんとか我慢して、昼食を洛北阪急スクエアのフードコートで食べることにして、その時についでにトイレを使うことにした。
 朝9時までにトイレにいっておくためにいつもより30分早く起きることにした。まあ、お昼までに催した場合は、仮設トイレか集会所のトイレを利用するしか仕方がないが、緊急時に備えてドライブ用の「携帯トイレ」も用意しておいた。
 朝食後に大小を済ませた後、なんとか昼までもったので、ヨメさんとお昼ご飯を食べに洛北阪急スクエアのフードコートに行った。やけに混んでいるなぁと思ったら、そうだ今日は平日でなく成人の日だったんだ。それでもなんとか席を確保して、今日は『丸亀製麺』を利用  ヨメさんが、最近、盛んにCMでやっている「豚汁うどん」を食べたいとのことで  することにした。私たちの席の近くに見覚えのある面々がいたが、そうだった、工事に入ってくれている職人さん達だった。まあ、彼らにしても近くに手軽に利用できるところがあってなによりだろう。
 昼食を済ませてヨメさんはそのまま買い物に出かけたが、私は帰宅していつものとおりのスケジュール(読書)。さすがに「小」の方は夕方5時までもたなかったので、散歩がてら、再度、洛北阪急スクエアのトイレを利用しに出かけた。
 これが5日間続くと思うとなんとなく気が重いが、まあ、しゃあないわな・・・

(23.1.10.火)晴れ
 今日も排水管改修工事があるが、ヨメさんはLスポーツのスイミング・スクールに出かけた。
 それで、恒例の「鬼の居ぬ間の映画鑑賞」ときめ込んだが、どうも工事の音がうるさい。どんな作業をやっているのか知らないがドリルの音がけたたましい。それも我が家の工事だけではなく、上下階も同じ工事をやっているのでかなりうるさい。それで映画を観るのはあきらめて、読書に切り替えることにした。私は、音楽などに関しては音に気がいくこともあるが、意味やメロディーのないただの雑音の場合は、多少のうるささはあってもそれほど気を引かれるようなことはない。
 今日の昼食は、ヨメさんはプールに行くので軽くパンを食べるだけですませるとのこと。それで私ひとりで洛北阪急スクエアに出かけ、「越後秘蔵麺 無尽蔵」でラーメンを食べることにした。現在、TwitterとAmebaブログで『京都一条時ラーメン街道探訪記』を続けているが、「越後秘蔵麺 無尽蔵」のラーメンもなかなか美味しかった。『京都一条時ラーメン街道探訪記』の「スピンオフ」として取り上げたらよかったが、写真を撮るのを失念していた。ホームページを見てみると、新潟県発祥で東日本と関西を中心に全国展開しているラーメン屋さんだった。メニューが豊富なので、また行ってみたい。

(23.1.11.水)
 今日は快晴だったので自転車で散歩に出かけたが、家を出て大原街道の洛北阪急スクエア南の交差点で自転車のチェーンが外れてしまった  急速に変速操作をしたからかもしれない。自分でも直せるかと思ったが、手が汚れるのも嫌なので、東大路通りの「サイクルベースあさひ」  11月頃にこの店で自転車を買った  まで自転車を押して行った。あっという間に直してくれたが、段差のあるところで変速をするとチェーンが外れることがあるとのことだった。
 修理後に「サイクルベースあさひ」からサイクリングを再出発。今度はコースを変え、北大路通りまで出て西行氏、高野橋を渡って、橋西詰のスロープ道から西岸河原道に降りて丸太町まで下った。この後、丸太町橋を渡って東岸河原道に降り、北行して蓼倉橋まで戻ってきた。
 今日はチェーンが外れるというアクシデント(というほどのものでもないが・・・)で、図らずも「ウォーキング+サイクリング」と効果的な運動ができた。

(23.1.12.木)晴れ
 今日は、洛北阪急スクエアのフードコートに飽きたということでもないが、ヨメさんが阪急スクエアの地階の『焼肉弘』の精肉店舗『京のお肉処 弘』で牛丼を買ってきた。
 今週の排水管改修工事でトイレが使えないような事態になると、我が団地、特に団地の敷地北西端にある我が棟は、洛北阪急スクエアと近接していて、甚だ便利な立地条件だなぁと思う。 竣工後40年以上が経過しているが、中古住宅価格が値下がりすることもなく、洛北阪急スクエアが出来てから、また1割ほどアップしている。そのためリノベーションも盛んで、「スケルトン」という工法で建物基礎部分を残して全部を取っ払ってリフォームをしている。40年前の竣工時の販売価格よりも値上がりしているなんて団地もあまりないんじゃないかな。中古物件が出るとすぐに売れてしまうようで、我が家のポストにも、不動産屋の「売家求む!」というチラシが週に数回は入っている。

【今日の読書344※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-24『夏目漱石を読む』
A-42『昭和史 下』
B-46『利己的な遺伝子』
B-47『物理学の原理と法則』
E-23『自由対談』
F-78『レキシントンの幽霊』
F-80『叶えられた祈り』
F-81『神の子どもたちはみな踊る』
G-11『失われた時を求めて13』
H-4『パンセU』
K-21『天気の好い日は小説を書こう』
K-22『深くておいしい小説の書き方』
L-6『三四郎』
コメント:上記の日々の記事の通り、今週1週間は下水管工事で落ち着きがなかったが、少しずつ読書生活が戻ってきた感じ。
 ということで、F-78『レキシントンの幽霊』を読了して、次に同じ村上春樹の短編集のF-81『神の子どもたちはみな踊る』を、K-21『天気の好い日は小説を書こう』を読了して、次に同じ三田誠広『深くておいしい小説の書き方』を読み始めた。
 K-21『天気の好い日は小説を書こう』は、K-20『小説の技巧』などと比べるとあまり切れ味は良くなかったが、私がマーカーを引いた箇所を挙げておく。
p.5「私の教室(引用者注:早稲田大学文芸科演習「小説創作」)では、『孤独』という言葉は『禁じ手』にしてある。『孤独』というのは図式的な概念であり、この言葉を用いるということは、個性を殺し凡庸なパターンに逃げ込んで満足してしまうことを意味している。小説は、書き手の自己満足の手段であってはならない。現実から逃避するためのシェルターであってはならない。小説というのは、他者へのメッセージであり、想像力を媒介とした魂と魂のコミュニケーションの場なのだ。」
p.27「小説を書くためにいちばん重要なのはモチーフですね。どうしても書きたい、書かねばならぬ、という内的衝動が必要なんですね。そういう強い動機があればおのずと書くものに力がみなぎってくる。」
p.33「多様な体験をもつことは、その人の書くものに幅と奥行きをもたらします。文学を豊かにするためにも、文学とは距離をとった視点というものが必要になります。」
p.35「書いたものが本になり、文学の歴史の中に残っていくということは、その人の人間観、あるいはその人の人生の軌跡が、そのまま歴史に刻まれるということですね。まあ人間としてこの世に生まれてですね、十把一からげの人間として埋もれてしまうのではなく、私はこういうふうに生きたんだということを、メッセージとして世界に訴えることのできる人間というのは、恵まれた人だろうというふうに思います。」
p.49「スーパーマンではないどこにでもいるような主人公がいて、その主人公がなかなか実現できない欲望をもってしまう。そのことによって、苦しみ、悩み、あるいはその欲望に向かって壁にぶつかるようような形で試みをする。その試みのプロセスが小説のプロットとなって話が展開していうわけですね。そこで重要なのは、主人公の様々な行動が、読者とどこかで繋がっている、あるいは読者のすぐ身の周りにいる人物との共通性をもっている。そこで読者は自分の人生、自分の本物の人生の一種のシミュレーションとして、近代小説というものを読んでいく。自分だったらどうするかと考えたり、あるいは自分の将来に小説のような出来事が起こるのではないかと期待する。(中略)読者は小説の主人公に感情移入して、不安や喜びを共有できるわけですね。」
p.161「最後に禁じ手を作ります。この言葉は使ってはいけないというルールを決めておきましょう。『孤独』『絶望』『愛』『希望『感動』。この五つです。』」
p.166「自然淘汰におかれた物語というものは、人から人へ伝えられている過程で自然淘汰が起こります。面白くない作品は伝えられなくなる。面白い作品だけが残っていくということになるわけです。人がどういう物語を面白いと感じるかというと、そこにはいくつか条件があります。人間の持っている本質的な要素、肉体的な条件とか、社会的な条件というものがかかわってくる。それから、一般に理解されている社会の表面的な機構だけではなくて、その社会を支えている人間たちの持っている潜在的な願望というものが、その自然淘汰に働くんですね。」
p.167「物語というものは、隠された人間の願望と繋がっているところがあるんです。そこで、現在まで伝わっている神話、伝説、物語を分析していくと、人間の本質的な部分が見えてくるということがあります。」
p.169「自分のリアルな体験をもとに『私小説』を書いているつもりの人が、単なるパターンに陥ることがあります。なぜかというとですね、自分が何かを体験した時に、多くの人がこれを、自分がそれまでに読んだ物語、あるいは人から聞いた物語と比べて、このパターンだということを認識した上で、自分の体験をパターンに合わせて把握してしまうからなんですね。」

今日の映画344】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『キリング・フィールズ(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:Texas Killing Fields
製作年:2011年
製作国:アメリカ
監督:アミ・カナーン・マン
出演:サム・ワーシントン/ジェフリー・ディーン・モーガン/クロエ・グレース・モレッツ/ジェシカ・チャステイン
ストーリー:刑事マイク(サム・ワーシントン)と相棒のブライアン(ジェフリー・ディーン・モーガン)は、連続して発生した少女の失踪と殺人事件の捜査にあたっていたが、その矢先にブライアンが気にかけていた、心に傷を抱えた少女アン(クロエ・グレース・モレッツ)も失踪してしまう。アンが事件に巻き込まれたと直感したブライアンは、犯罪が多発することで知られる「キリング・フィールド(殺人地帯)」と呼ばれる危険地帯へと向かうが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは2.7、TSUTAYAは2.64、Filmarksは2.7で、私の評価は2.5とした。
 原題の『Texas Killing Fields(テキサス・キリング・フィールド)』と言う場所  テキサスの油田とインターステートハイウェイ45に挟まれた湿地帯  で実際に起きた連続殺人事件を題材にした作品で、実際、この場所では1970年台から現在まで、12歳から25歳までの30人の女性の遺体が見つかっており、さらに複数の女性が行方不明になっている現場だそうだ。アメリカと言う土地柄や銃社会ということだけでなく、貧困や教育水準などの低劣な地方社会の現実が描かれた作品だが、映画作品としての評価はあまり高くない。

今日のジャズ344※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:EON
アーティスト:Richie Beirach ( Richard Beirach )
レーベル:ECM/ユニバーサル クラシックス&ジャズ/トリオ
録音年月日:1974.11.11
曲名:@Nardis/APlaces/BSeeing You/CEON/DBones/EMitsuku
ミュージシャン:Richie Beirach ( Richard Beirach ) (p)/Frank Tusa (b)/Jeff Williams (ds)
コメント:ビル・エヴァンスをモダンにしたスタイルのピアノだね。初期のリチー・バイラークじゃないかな?彼とビルとの共通点は、ひとつひとつの音をとても大切にしていることだ。〈オーディス〉が典型だよ。和音をそっと弾いて、それに合わせるがごとくに印象的なフレーズを重ねる。この余韻がわかるかな?反対もある。フレーズに合わせて和音を構成する手法もエヴァンス的だ。だから、音のイメージが似ている。ただし、ハーモニーはリッチーのほうが新しい。それともうひとつ、とても好ましいのが〈イーオン〉だ。トリオの三人がそれぞれ自己主張をしながら、あくまでリッチーのピアノを中心に演奏を収斂させていく。万華鏡のようにてんでばらばらになっても次の瞬間にぴたりとひとつになる。これが素晴らしい。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』の「ボーナス・トラック」から ギル・グールドスタイン (p) のコメント)
<YouTubeライブ映像>
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記