2022年12月29日

逃病日記460(22.12.29.木)

(22.12.26.月)晴れ
 厳しい寒さで外出するのが億劫になって、ずっと家に居たためだろうか、昨日の晩、入浴前に体重計に乗ったら久しぶりに体重が82キロをオーバーしていた。ここ最近ずっと80キロを割っていたのに、こらあかん、と思って、今日は寒い中、気分を奮い立たせて高野川にウォーキングに出かけた。
 コースはいつもと一緒で出町柳までの往復、今日は河合橋は渡らずに川の中の亀石を伝って三角州デルタへ、そこから高野川西岸の河原堤を帰った。
 高野橋の辺りまで戻って来たら、河原に設置してある「腹筋トレーニング・ベンチ」が空いていたので、久しぶりに腹筋30回をして帰宅した。
 冬場は、どうしてもウォーキングが億劫になりがちだが、思い切って外出してみると意外に寒くはないもんだ。さすがに今日は、復路に上着を脱いで、Tシャツ1枚にはならなかったが。

(22.12.27.火)晴れ
 京都のみならず日本全国の「しかるべき人々」にとっては、文学・思想書などに関し、かつての知性のメッカと言ってもいい「三月書房  昔、詩人でもあった前々店主の宍戸恭一氏に会釈していた長身でがっしりした体格の男性が吉本隆明氏だった、というのは有名な話で、大学祭などでの講演で京都を訪れた時には必ず立ち寄られていたそうだ  は2020年末で閉店になったが、元店主の宍戸氏が廃業後もメルマガをやっておられて、吉本隆明関係の書籍が発刊されるたびにメルマガ登録者に発信されている。そのメルマガで『吉本隆明全集30巻』の発刊情報を得た。それでK大生協書籍部に電話で確認したら入荷しているとのこと、早速、自転車で運動を兼ねて出かけることにした。
 高野川河原から鴨川河原の道をずっと丸太町まで行ったが、信号で引っかかることもないので、10分で川端丸田町の娘宅辺りまで行くことができた。
 スポーツジムでエアロバイクを漕いでいるのをよく見かけるので、サイクリングも運動効果があるんだろう。ウォーキングと一日おきぐらいにすると、違う筋肉を使うので効果的なのかもしれない。ランニングなんかもしたいとは思うが、さすがに人工関節ではやめておいた方が良さそうだ。パラリンピックで有名な谷真海さんなんかが装着している人工下肢は競技用のもので、運動時に体重の数倍の重力がかかっても耐えられるようになっているんだろうが、一般的な使用に適うものではないんだろう(値段もスゴイんだろうな・・・)。
 川端丸田町から丸田町通りを東行し、熊野神社で左折して東大路通りを北上し、K大生協書籍部ルネに向かった。
 生協の店舗に着いて、『吉本隆明全集』30巻を受け取る前に店内を一通り見て周った。講談社学術文庫の棚に、ずっと探していた(先日行った丸善にもなかった)今西錦司の『進化とはなにか』があったのでとりあえず手に取った。その後、新書の平積みで『物語 遺伝学の歴史』をゲットし、その二冊を持ってレジに行き、『吉本隆明全集』と併せて支払いを済ませた。なんせ、大学生協書店は書籍は一割引きなので、『吉本隆明全集』のような高額本(諸費税込7590円)を買うときにはありがたい。
 その「一割引き」だが、先日、K大生協書籍部からハガキが届いていて、来年1月から「一割引き」は大学生協のポイントで還元する形になるとのこと。レジで支払いの時に確認したら、現金で購入はできるが「現金割引」はなく、金額の1割相当ポイントで還元されるそうだ。大学生協では『吉本隆明全集』など、書籍しか買わないが、別巻を含め全39巻のうちまだ10巻ほどが未刊なので、当分の間、利用することになるだろう。家に帰ってからスマホで登録手続きをしたが、結構、時間がかかってしまった。

(22.12.28.水)晴れ
 前回のブログの「22.12.25.日」の記事で、高校駅伝の留学生のことについて書いたが、スポーツニュースを観ていたら、高校バスケットボールなんかでも、高身長の外国人留学生が活躍するのが紹介されていた。高校駅伝に限らずどのスポーツの分野でも同じようなことが行われているようだ。
 そう言えば「相撲」の世界でも、はるか昔から外国人力士が活躍  「大相撲」では、現在ではモンゴルを中心とした外国人力士がいなければ成り立たない世界になっている  しており、それが高じて、高校の相撲部の段階で留学生を受け入れるのが当たり前のようになっているようだ。
 スポーツ界全体として見たら、まあこれは当たり前のことで、一方で、大谷選手やサッカー選手が外国で活躍しているんだから、目くじらを立てることもないのかもしれない。グローバル化した世界の中で、スポーツ界もまた同様の状況ということだろう。

 昨日、K大生協で『吉本隆明全集』を買ったが、いよいよ本棚がパンク状態になってきたので、再読することのなさそうな本を間引いて、収納スペースを確保しなければならない。
 そのため小説類を中心にで読み返すことがないと思われる本ピックアップした。なんせ持ち込み先がK大熊野寮なので、彼らが興味を示すような本でないといけない。『がんに打ち勝つ』というような「健康本」などは、さすがにNGだろう。定期購読していた革新的労働問題の季刊雑誌『ポッセ』のバックナンバーが50冊近くあった。かなり先鋭的な論文が所収された雑誌で、K大熊野寮の学生たちもにも適うだろうと思って持ち込むことにした。年末年始は帰省している学生も多いだろうから、年明け第二週にでも行くことにしよう。

(22.12.29.木)晴れ
 毎日いい天気が続く。予報では年末年始もずっと雨は降らないようだ。
 今度の正月は、東京の息子一家は沖縄に行くとのことで帰京しないそうだ。滞独中の娘一家も孫たちの就学に合わせて2月に帰国する予定なので、今回は夫婦ふたりの静かな正月になる。
 リタイア前なら、今日から年末年始の休暇なのでボーッとテレビ三昧の生活。この時期、長年の宮仕の習慣でなんとなく気分がダラけてくる。年末年始に入るとテレビもいろいろと特番があるが、今も、NHK『なるほどゼミ』なんかを観ながら、PCでブログを打っている。

 今日の午後、やっと重たい腰を上げて年賀状の印刷をした。
 DVDを観るときと、確定申告書や年賀状を作成するときしか使わないWindowsPCに『あっという間にかんたん年賀状』附録のDVDを挿入。絵柄は決めてあったので、そこに当方の住所・氏名を追加した。そのあと昨年に使用した住所録と今年届いていたの年賀状をチェックして送付者を加減した。
   先に絵柄面を印刷し、ヨメさん用に10数枚を除いて、住所一覧表によって送付先住所を印刷した。
 めんどくささが先にたってなかなか手が付かなかったが、取り掛かると「あっという間に」  ほんと書名のとおりやわ  出来上がった。

【今日の読書340※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-24『夏目漱石を読む』
A-42『昭和史 下』
B-46『利己的な遺伝子』
B-47『物理学の原理と法則』
C-8『小林秀雄全集6/ドストエフスキイの生活』
E-23『自由対談』
F-78『レキシントンの幽霊』
F-80『叶えられた祈り』
G-11『失われた時を求めて13』
H-4『パンセU』
K-21『天気の好い日は小説を書こう』
L-6『三四郎』
コメント:上記の本は毎日すべて読めているわけではない。「今日の読書」の平日の読書状況は以下のとおり。
 @とAは各々交替に一日おきぐらいに読んでいる。
 Bは、他の用事で読書時間が十分確保できないとき日を除いて、両書とも毎日読んでいる。
 Cは、現在「ドストエフスキイの生活」の章に差し掛かっているので毎日読むようにしている。小林秀雄の文章は、反語を用いた文章が多く、旧仮名遣いということも相まって、かなり難解で、読むためにかなりの集中力がいる。
 Eは、リビングに置いてあって、スキマ時間に読んでいる。
 Fは、時間が確保できれば両方とも毎日読んでいる。特にF-78は、短編集なので一短編ずつ読み進めている。
 GとLは、一日おきに交互に毎日就寝前の30分間にベッドの中で読んでいる。
 Hも就寝前に毎日2ページ程度ずつ読み進めている。
 Kは、各章が30ページ程度と比較的長いが、ほぼ毎日読んでいる。
 現在は、「D 小林秀雄・吉本隆明関係の著作」と「I 書店の平積みや書籍広告などで興味を持った本」の二つのカテゴリーに関しては、読書していない。それ以外のカテゴリーで「手が一杯」ということもあるが、対象となる本はあるので、なんとか読み始めたいと思っている。
 J-7『池波正太郎の銀座日記』は、外出した時の病院などでの待ち時間に読む本だが、最近、通院間隔が空くようになって、読書機会が減ってしまった。いつも持ち歩くカバンの中に入れたままなので、Eと同じようにスキマ時間を利用して読むようにしたい。

今日の映画340】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『リトル・アクシデント(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:Little Accidents
製作年:2014年
製作国:アメリカ
監督:サラ・コランジェロ
出演:エリザベス・バンクス/ボイド・ホルブルック/ジョシュ・ルーカス/クロエ・セビニー/ジェイコブ・ロフランド
ストーリー:小さな炭鉱町で10人の労働者が亡くなる大事故が起きた。たったひとり生き残った青年エイモス(ボイド・ホルブルック)は、訴訟を起こそうとする遺族たちと会社の板挟みになり追いつめられていく。一方、事故で父親を亡くした少年オーウェン(ジェイコブ・ロフランド)は、炭鉱の責任者ビル(ジョシュ・ルーカス)の息子ジェイティーが転倒して死亡する場面に遭遇し、思わず遺体を森に隠してしまう。ジェイティーの母親ダイアン(エリザベス・バンクス)は必死で息子の行方を探すが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.2、TSUTAYAは  、Filmarksは3.0で、私の評価は3.0とした。
 本作品は日本では劇場公開されていないが、WOWOWで放映されたらしい。炭鉱が舞台になっているので映像的には重苦しい感じがするし、緊迫感もあるが、テーマはそれほど深いものがあるわけでもない。

今日のジャズ340】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Tauhid 
アーティスト:Pharoah Sanders
レーベル:Impulse
録音年月日:1966.11.15
曲名:@Upper Egypt And Lower Egypt/AJapan/BMedley : Aum 〜 Venus 〜 Capricon Rising
ミュージシャン:Pharoah Sanders (as,ts,piccolo)/Dave Burrell (tp)/Sonny Sharrock (g)/Henry Grimes (b)/Roger Blank (ds)/Nat Bettis (per)
コメント:この時代のファラオはコルトレーンとそっくりだった。毎晩一緒に演奏していたんだからそれも不思議じゃない。延々とフレーズを伸ばしながら抑揚をつけていく奏法なんかコルトレーンに瓜ふたつだった。ただしコルトレーンはそれを本能のおもむくままにやっているように感じられるが、ファラオは意識してやっているようだ。それだって悪くない。どうしたら優れた表現ができるか、そのことに腐心していたのが当時の彼だった。それだけに、この作品は評判がいいけれどファラオの演奏になっているかと考えればいまひとつだ。ただし曲は個性的なものばかり並んでいる。エジプトや日本をテーマにしているが、これはファラオならではのものだった。わたしはプレイより、このアルバムでは彼の作品を評価している。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』の「ボーナス・トラック」からアーチー・シェップ (ts) のコメント)
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2022年12月25日

逃病日記459(22.12.25.日)

(22.12.23.金)晴れ
 昨日、丸善を出て、クルマを置いていある川端丸太町の娘宅に帰るに当たって、どのルートで帰るのが一番早いのか、最初は、来たときと同じように河原町三条で市バスに乗って河原町丸太町で降りて歩こうかなと思った。それで歩き始めたが、確か京都バスで河原町四条から左折して四条通りを東行して川端通りを通るバスがあった。これだと川端丸太町で降りれると気づいて、京都バスの河原町市場のハス亭に向かった。
 河原町を四条通りの方に向かって歩いたが、こんな風に河原町を歩くのは本当に久しぶりの感じがする。へぇ〜、河原町蛸薬師にドン・キホーテが出来てる!あの、芸能人御用達のドン・キホーテ、また、今度、出直して行ってみよう。 
 河原町四条の京都バスのバス停で長い間待っていて、やっと来た「岩倉村松団地」行きのバスに乗った。河原町通を左折して川端通りに出て、北上したが、アリャ!三条通りへ行くやん、そや、この「岩倉村松団地」行きのバスは河原町を運行しているんやった。なんのこっちゃ、これやったらあんなに待たんでも最初から河原町三条から市バスに乗ったらよかった。やはり、出馴れてないと、判断力や勘が鈍っとるわ。

(22.12.24.土)曇り
 ついこの間、「12月やせわしなってきたなぁ」と思っていたが、今年ももう来週1週間だけになってしまった。それなのに、まだ年賀状を書いていない。12月に入ってすぐに、毎年使っている「年賀状のデザイン」の本を買ってきた。昔、書店でこの手の本で値段の一番安いのを買って使い始めたが、デザインとセットになっている賀状送付先一覧の関係もあって、一度、特定の本を使うとなかなか他の本に変え難い。てなことで、ずっと同じ『あっという間にかんたん年賀状』ずっと使っている。今年は早めに買ってきたわりには、長い間手をつけずにほったらかしにしていた。
 とりあえずざっと一通り目を通して、目ぼしい絵柄数点にフセンを貼っておいたが、それから後がなかなかスタートしない。今年もまた「元旦配達期限」ギリギリまで作り出さないんだろうな。
 そういえば、5年前の入院中はどうしたんだったかな、11月末から1月前半まで入院していたので、年賀状を出さなかった。それでもええのかもしれんなぁ・・・

(22.12.25.日)晴れ時々曇り
 今日は高校駅伝をテレビ観戦。なんせ京都市内を走るので我々には馴染み深いイベント  年明けには都道府県女子対抗駅伝もある。以前はよく、息子たちを連れて、男子のコースになっている百万遍の交差点や白川通りまで応援?に行ったりしたもんだ。
 今日は快晴で、まさに「駅伝日和」といいう感じだが、さすがに出向いて応援に行くような元気は今はない。それでもテレビで観始めると、抜いたり抜かれたりのデッドヒートが面白くてなかなかテレビの前を離れられない。午前中は女子、午後から男子だったが、女子の方は京都市内の西側の地域がコースになっているので、我々の近くにはやってこない。男子のコースは、年明けにある都道府県女子駅伝と同じコースで、京大沿いの東大路通りや今出川通り、白川通りなどを経て宝ヶ池の国際会議場前まで行くコースになっている。
 レースの結果は、地元の京都勢は検討したものの3位以内  男子は洛南が7位、女子は立命館宇治が4位  には入れなかった。
 しかし、高校駅伝を観ていて感じたのは、男女とも留学生との実力が違い過ぎる。各校とも、駅伝で優勝するためだけに留学生を受け入れてメンバーにしてるような感じだが、なんか異和感があった。多分、留学生の出場は各校一人というような制限があるんだろうとは思うが、駅伝選手のためだけの留学生ではなく、  国籍や「生まれ育った」ということまでは要求しないが  せめて日本で育って、普通に高校に入学した生徒に限るべきではないだろうか。年齢的にどうなのかは知らないが、日本人選手はまだまだ子どもっぽい印象の生徒も結構いたように思うが、留学生の方はもうほとんど「いっちょ前のオッサン」ってな感じで、実力があまりにも違い過ぎる。こんなふうに書くと、姑息な手段や抜け道が好きな日本のスポーツ界のことだから、また、若年期からアフリカ地域の子供たちを受け入れたりするのかもしれないが・・・・・・
 しかし高校生のスポーツ、勝つためにここまでせなあかんのやろか・・・と疑問に思わざるをえない。

【今日の読書339※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-24『夏目漱石を読む』
A-42『昭和史 下』
B-46『利己的な遺伝子』
B-47『物理学の原理と法則』
E-23『自由対談』
F-78『レキシントンの幽霊』
F-80『叶えられた祈り』
G-11『失われた時を求めて13』
H-4『パンセU』
K-21『天気の好い日は小説を書こう』
L-6『三四郎』
コメント:読み終えているK-20『小説の技巧』から、残りの、印象に残った文章を挙げておく。
p.280「メタフィクション的言説は、単に作家が伝統的リアリズムの制約を時おり逃れるために使う抜け穴・アリバイにとどまるものではなく、むしろ中心的な関心事、インスピレーションの源である。」
p.280「メタフィクション作家は(中略)想定される批評をあらかじめテクストのなかに取り込んで、それを狡猾に『虚構化』してしまう傾向がある。彼らはまた、パロディの手法を用いて、オーソドックスな小説の信憑性を突き崩してしまうことも好む。」
p.289「物語の構造というのは、現代の高層建築を支える梁の骨組みのようなものである。目には見えないけども、建造物の形や個性を左右する。といっても小説の構造の効果は、空間ではなく時間を通して  それもしばしばきわめて長い時間を通して経験される。」
p.301「物語が読者の脳裏に喚起する疑問が解決されるか、意図的に未解決のまま放っておかれるかは別として  小説の物語としての結末と、テクストの最後の一、二頁とを区別しておく必要があるだろう。後者は物語りの結末というよりも、一種の結び口上や追記として機能することが多く、言説を静止へと導くためのゆるやかな減速部分なのである。」
p.302「最後のひねりは、長編よりも短編小説で典型的に見られる手法である。あるいは、短編小説は『結末志向』だと言ってもいい。長い小説のページを開くとき、それがどんな終わり方をするのかなど予想のしようもないが、短編を読み始める場合、結末がそう遠くはないことはわかりきっているのだ。短編を読むときには、予想される結末の磁力に引かれるかのように、一気に読んでしまうことが多い。ところが長編となると、不規則な間隔で中断しながら読み進み、最後の方になるとむしろ読み終えたくないと思うことするある。昔の小説家などは、読書体験を通じて生まれる読者と小説との感情的な絆すらも作品の中で利用している。」

今日の映画339】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『沈黙の行方(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:The Unsaid
製作年:2001年
製作国:アメリカ
監督:トム・マクローリン
出演:アンディ・ガルシア/ビンセント・カーシーザー/リンダ・カーデリニ/テリー・ポロ
ストーリー:アメリカの片田舎の町で、精神科医であり心理学者でもあるマイケル・ハンター(アンディ・ガルシア)は仕事帰りに家族を車で迎える。娘のシェリー(リンダ・カーデリニ)はその夜、学校で演劇をするが、シェリーの兄・カイルは、1人になりたい、行きたくないと言って、妹と父を部屋から見送る。マイケルと妻は、学校で娘の公演を観劇するが、その間に、カイルは睡眠薬を多量摂取した上で、ガレージの中で車の排気ガスを使って自殺を遂げた。家族はカイルの喪失のために崩壊し、マイケルは家族と別居して酒浸りとなり、臨床診療から退き、学者として本を執筆したり、大学生に向けて講演を行うだけの生活になっていた。彼の元学生であるバーバラ・ワグナー(テリー・ポロ)はある講演ののち、マイケルにある少年の症例について協力を求める。父親が母親を殺害した現場を目撃した17歳の少年、トミー(ビンセント・カーシーザー)について、マイケルは最初は拒否したが、トミーの様子を見て協力することにした。トミーは、あと数週間で18歳となり、施設を出ることが許可される少年だった。マイケルはトミーの心の内を探るうちに、いつしか喪った息子であるカイルを重ね合わせてしまうが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは4.0、TSUTAYAは3.22、Filmarksは3.5で、私の評価は3.8とした。
 二人の少年に関する「The Unsaid(語られなかった)」ことの背後に潜むエディプスコンプレックスや児童虐待など、なかなか重たいテーマの作品。原題『The Unsaid』を『沈黙の行方』とは、なかなか見事な邦題を付けたなという感じがする。

今日のジャズ339】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Piano For Nuria
アーティスト:Tete Montoliu
レーベル:Saba/MPS
録音年月日:1968.2.2
曲名:@Blues For Nuria/ATranquillogy/BAlone Together/CSpeak Low/DVisca L'Ampurda/EI Surrender Dear/FStablemates
ミュージシャン:Tete Montoliu (p)/Peter Trunk (b)/Al Tootie Heath (ds)
コメント:ビバップ・ライクでもどことなく異国情緒が感じられる。こういうピアノを弾く人でわたしが知っているのはテテ・モントリューだけだ。正解かな?〈ステイブル・メイツ〉はベニー・ゴルソンが書いた曲で、これをこういうテンポで弾くのは難しい。テテはダブル・テンポで緊張感を途切れさせないようにしている。ひところはわたしもこの曲をよく弾いていた。やはり同じような手法を採用していたよ。このモンク風の演奏はタイトル・トラックだね。不協和音を適度に散りばめることでメランコリックな味わいをうまく表現している。ブルージーな音を使わなくてもテテは翳りを帯びたプレイができるんだね。これは見習わなくてはいけない(笑)。総じてのアルバムは好きだ。誰でも楽しめると思うし。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』の「ボーナス・トラック」からデューク・ジョーダン (p) のコメント)
<YouTubeライブ映像>
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2022年12月22日

逃病日記458(22.12.22.木)

(22.12.19.月)晴れのち曇り
 今日は、川端丸太町の娘一家の留守宅の補修工事に立ち会ってきた。
 昨日、深夜にあったW杯の決勝テレビ中継を観始めたが、今日の午前中の補修工事を思い出して観戦を取り止めた。なぜかというと、今日の午前中にNHK-BSでW杯決勝の再放があるので、補修工事の手持ち無沙汰な立ち合い時間中にその放送を観ていればいんじゃないかと思いついたため。
 補修工事の場所はリビングに面したバス・洗面スペースへの入口の縁部分だったので、リビングのソファーに座って、ニイチャンが補修工事している物音や気配を背後に感じつつテレビ観戦できた。最初は、待機時間中は本でも読もうかと思っていたが、物音や気配などで落ち着いて読書などできなかったろう。
 決勝の試合内容は、もし深夜に観ていたら、アルゼンチンが「2対0」リードしていた前半終了時に就寝していたんじゃないだろうか。翌日のテレビのワードショーなどでのコメントでも、「『2対0』だったので途中で寝てしまった」というようなコメントが結構あった。
 今日の娘宅の補修工事は9:30開始だったが、今朝、起きてから朝刊やテレビのW杯決勝の結果を観ないようにしていたので、それなりに緊迫感をもってテレビ観戦を楽しむことができた。

(22.12.20.火)晴れのち曇り
 火曜日は定例の「嫁の居ぬ間の(鬼の居ぬ間の?)映画鑑賞」で、今日は、【今日の映画】に挙げた『ホワイトナイツ 白夜』で、内容も、画像もいかにも古い作品という感じだったが、その一方で、ふたりの主人公のダンスが凄くて見応えがあった。

 ヨメさんは、スイミング・スクールが終わった後、近くの自然食品系スーパーHELPで買い物をして帰ってくる。
 ここ最近は、火曜日の夕食は、ヨメさんがスイミング・スクールで疲れているためもあって、なるだけ手のかからないものにしている。
 近頃、凝っているのは、HELPが火曜日にセールをしているお寿司。従来から刺身などの魚類は産地直送のものが多く、もともと新鮮さには定評があったが、この秋頃から火曜日に、新鮮な魚類を握り鮨や海鮮寿司に調理して売りだすようになった。握り鮨や海鮮寿司なんかはネタの新鮮さが決め手なんだし、価格もリーズナブルで非常にお買い得。最初の頃は、ヨメさんの「手抜き」かいな?と思たりもしたが、毎回、1000mぐらい泳いで、夕方5時頃に疲れて帰ってきて、それからの夕食作りも大変だろうし、そのお鮨もなかなか美味しいので、それなりに楽しみにしている。

(22.12.21.水)雨のち晴
 日曜日にテレビでM1グランプリを観ていたが、途中から大河ドラマ『鎌倉殿の13人』とNHK-BSの『上陽賦 運命王妃』を観るために、録画に切り替えて、中断した。その録画しておいたM1のビデオを今日観ることにした。
 優勝したのはウエストランドというコンビだったが、なんでこんなんがおもろいねんやろ、というのが素直な感想。いまでもやはり、M1と言えば2019年のミルクボーイが最高に面白かったという印象がある。それ以後、2020年はマジカルラブリー、2021年は錦鯉と優勝した。正直なところ、何でこれらの漫才がおもろいねん、というように思ったが、今年も同じだったような感じがした。2019年M1の、ミルクボーイ、かまいたち、ぺこぱが突出していたのかもしれない。
 今回、ついでに過去のYouTube映像も観てみたが、ミルクボーイの『コーンフレーク』や『最中』は、会話の展開といい、間といい完璧で、何回みても笑ってしまう。身振りや声を荒げることによって“笑い”を誘うのではなく、あくまで話術の妙で“笑い”を誘発しているように思う。

(22.12.22.木)曇りのち晴
 月曜日の娘宅の補修工事の後に、河原町の丸善に寄ろうと思っていたが、工事が午後2時頃までかかってしまったので取りやめてしまった。その補修工事のきっかけとなった定期点検の結果報告が今日あったので、その後に丸善に行くことにしていた。
 最初は自転車で行こうかと思っていたが、あまりの寒さだったので、娘宅まで車で行って、そこに車を置いて、河原町丸太町から市バスで行くことにした。
 最初に、地下一階の売場で、@『地の果て 至上の時』を見つけた後、A『ある作家の日記』を店内の検索端末で探したら在庫があったので、所定の書棚でその本も確保。その後に店内を見回ったが、やはりリアル書店はいい、脚さえ不自由でなかったら、それこそ何時間でも居れそうな感じ。店内をあちこちとまわって、二冊の本に加えて、ペンテルのノック式マーカーの替芯を5本確保してから地下二階に降り、ここのレジで、注文してあったB『温泉百名山』と合わせて会計をして帰った。結局、
 今日、買ったのは次の三冊で、Aは、I-24『読書の日記』  1000頁ほどもあって現在も読み続けている阿久津隆氏の本  の中で紹介されていた書。
 @『地の果て 至上の時』中上健次(講談社文芸文庫)
 A『ある作家の日記』ヴァージニア・ウルフ(みすず書房)
 B『温泉百名山』飯出敏夫(集英社)

【今日の読書338※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-24『夏目漱石を読む』
A-42『昭和史 下』
B-46『利己的な遺伝子』
B-47『物理学の原理と法則』
E-23『自由対談』
F-80『叶えられた祈り』
G-11『失われた時を求めて13』
H-4『パンセU』
K-21『天気の好い日は小説を書こう』
L-6『三四郎』
コメント:読み終えているK-20『小説の技巧』から、残りの、印象に残った文章を挙げておく。
p.234「小説の会話というものはすべて、ある意味で電話の会話に通じるところがある。演劇とは違って、小説は話し手の肉体的存在なしで話を進めなければならないからだ。さらに、肉体の持つ音色や語調も、小説には欠けている。」
p.238「シュルレアリスムは、すでに述べたマジック・リアリズムと明らかな血縁関係にあるが、両者はまったく同じものではない。マジック・リアリズムにおいては、現実と幻想との間に緊張をはらんだ結びつきがつねに存在している。そこで起きるありえない出来事は、現代史のはらむ極度のパラドックスを表す一種の隠喩なのだ。これがシュルレアリスムでは、隠喩こそが現実となって、理性と常識の世界を抹消してしまう。」
p.242「修辞学でいうところのアイロニーとは、腹の中で思っていることと反対のことを言うこと、あるいは言葉の表面的な意味とは違う意味を読み取らせようとすることである。隠喩、直喩、換喩、提喩など他の修辞技巧と違い、アイロニーは、何か特殊な言語形態を頼りに字義どおりの表現と見分けることは不可能である。アイロニーの表現は、解釈という行為を通してはじめてしかるべく認識されるのだ。」
p.243「ある状況に関する事実と、その状況についての登場人物の理解が違っていることに読者が気づくとき、『劇的アイロニー』という効果が生まれる。あらゆる小説は、本質的に無垢から経験への移行を描いたもの、あるいは見かけ上の世界の裏にひそむ現実を描いたものだと言われている。とすれば、この文学形式の至るところに文体的、あるいは劇的アイロニーが見られるのは驚くに当たらない。」
p.247「物語が『真実』でないと知りながら、我々は小説を読んでいかなる知識を得ようとしているのだろうか。この質問に対する伝統的な答えは、人間の真理、あるいは精神についての知識、であった。小説家は、自分が描く人物が心中密かに抱いているような想念まで見抜いているが、これは歴史家や伝記作家、あるいは心理分析家でもできない芸当だ。したがって小説は、人がなぜ、どのようにしてある行動をとるのかについて、それなりに説得力のある見本を示してくれる。ポストモダニズムとポスト構造主義は、そういう意匠の根本にある  自らの行動を自らの責任において行う、唯一無二の自律的な個人という  キリスト教的、あるいは自由主義、人間的な考え方を解体してきたが、完全に破壊していない。いまだに我々は、人間行動の動機づけに光を当ててくれる小説、特に伝統的なリアリズム小説に価値を見出している。」
p.247「内的、外的なさまざまの要因の組み合わせによって、彼等が必然的にそのような行動に導かれたということを、『因果関係』のコードは我々に信じ込ませようとする。リアリズム小説における動機づけは、フロイト的な言い方をすれば『重複決定』によってなされる傾向にある。つまり、ある特定の行動は、人格のくつかのレベルから生み出された複数の心理的動因や葛藤の産物だということになる。一方、民話や伝統的ロマンスでは、一つの原因だけで十分に行動の説明がつく  英雄は英雄であるがゆえに常に勇敢であり、魔女は魔女ゆえに悪者なのだ。」
p.256「いかなる出来事も、何から何まで完璧に描写するのは不可能である。したがって小説はすべて必然的に欠落と沈黙を含むことになる。ポスト構造主義風に言うなら、『テクストを産出する』ために読者は自分でそれを埋めなければならない。しかし、場合によっては、そうした欠落や沈黙が、書き手側の無意識の回避・抑圧の結果だということもあるし(これはこれでまた興味深いが)、逆に意図的戦略として、意味をあからさまに伝えてしまう代わりに言外に匂わすということもありうる。」
p.267「一般に『思想小説』という呼び名が使われるのは、思想がその小説の活力の源になっているように思える場合に限られる。感情、道徳的選択、人間関係、運命の有為転変などではなく、思想こそが物語にはずみを与え、物語を形作り、その動きを維持しているように思える小説が『思想小説』である。」
p.278「メタフィクションとは、フィクションについてのフィクションである。みずからが虚構であるという事実や、それ自身が書かれる過程に注意を喚起するたぐいの小説である。(中略)メタフィクションは決して現代の発明ではないが、現代作家の多くが特に惹かれがちな手法であることは確かだ。それは現代作家が、文学史の先達に圧迫を感じざるをえず、何を言おうとしてももうすでに誰かに言われてしまっているのではないかという不安に苛まれる上に、現代文化の風潮からしえも過剰な自意識に陥りがちなためでもあるのだろう。」

今日の映画338】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『ホワイトナイツ 白夜(NHK-BSの録画で視聴)
原題:White Night
製作年:1985年
製作国:アメリカ
監督:テイラー・ハックフォード
出演:ミハイル・バリシニコフ/グレゴリー・ハインズ/イザベラ・ロッセリーニ/イエジー・スコリモフスキ
ストーリー:ロンドンから東京に向う国際線が、白夜のシベリアのとある空港に不時着し、乗客の世界的なダンサー、ニコライ(ミハイル・バリシニコフ)は負傷しながらも、身元のわかるパスポートやクレジットカードをちぎってトイレに流した。彼は8年前にアメリカに亡命し、祖国ソ連では犯罪者となっていた。病院のベッドで意識を取り戻したニコライに、KGBのチャイコ大佐(イエジー・スコリモフスキー)が笑みを浮かべ、ニコライは重傷者として拘留されることになった。チャイコはニコライを新装されるキロフ劇場に再び登場させようと考え、その説得役として黒人のレイモンド(グレゴリー・ハインズ)とン連人妻ダーリヤ(イザベラ・ロッセリーニ)の夫婦に彼を預けた。レイモンドは、かつてアメリカの国策に反対し、ニコライとは逆にソ連に亡命したタップダンサーでだった。監禁状態同様のあつかいにニコライは、レイモンドとダーリャをKGBの手先だと批難した。芸術の自由を得るために母国を捨てたロシア人と、自国の政治に反発して芸の桧舞台を捨てたアメリカ人  反目しあった2人だが、やがて互いの立場を理解し、ニコライはダンスをすることを了解。公けには意識不明とされたまま、彼はレイモンド夫妻とともにレニングラードヘ移され、かつての恋人ガリナ(ヘレン・ミレン)と再会し・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.5、TSUTAYAは3.56、Filmarksは3.7で、私の評価は3.5とした。
 ソビエト、キューバ、ベトナムなどを舞台にしたアメリカ映画作品は、その多くはもはや時代遅れという感じの作品が多い。この作品も、KGBなどシチュエーション的にはまったく時代錯誤という感じだが、二人の主人公のダンスが凄いので、見ていて飽きることがない。 

今日のジャズ338】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Giblet Gravy
アーティスト:George Benson
レーベル:Verve/ポリドール
録音年月日:1967.2
曲名:@Along Came Mary/ASunny/BWhat's New?/CGiblet Gravy/DWalk On By/EThunder Walk/FSack O' Woe/GGroovin'/HLow Down And Dirty/IBillie's Bounce/JWhat's New? (alt take)/KWhat's New? (alt take)
ミュージシャン:Ernie Royal (tp)/Snooky Young (tp)/Jimmy Owens (tp,flh)/Alan Raph (b-tb)/Pepper Adams (bs)/Herbie Hancock (p)/Carl Lynch (g)/George Benson (g)/Ron Carter (b)/Billy Cobham (ds)/Tom McIntosh (arr,cond)/Eric Gale (g)/Bob Cranshaw (b)/Eileen Gilbert (vo)/Lois Winter (vo)/Albertine Robinson (vo)/
Johnny Pacheco (cga)
コメント:この時代のジョージ・ベンソンはスターになっていなかったから、好きにギターを弾いていた。その後にウェス・モンゴメリーの後継者的な売られ方をして、彼はポップなフィーリングを強調するようになった。この作品でもポップなスタイルは認められる。〈サニー〉〈ウォーク・オン・バイ〉〈グルーヴィン〉あたりは当時のヒット・チューンだからね。でもウェスのヴァーヴ盤やA&M盤に比べたら、こういう曲でもベンソンはもっとジャージーに演奏する。というより、彼の原点にあるソウル・フィーリングが顔を覗かせる。そこが好きだ。テクニックもあるしね。ベンソンの速弾きは名人芸だよ。ジャズ・ギタリストとしても実力者だが、この時代にこういうテイストのギタリストはいなかった。それも魅力に思われた。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』の「ボーナス・トラック」からテッド・ダンバー (g) のコメント)
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記