2022年10月30日

逃病日記441(22.10.30.日)

(22.10.29.土)晴れ
 今日の朝日新聞の『読書』欄では、次のような本が目にとまった。
 @『人類の起源』篠田謙一(中公新書)
 A『あの本は読まれているか』ラーラ・プレスコット(創元推理文庫)
 B『君が異端だった頃』島田雅彦(集英社文庫)
 本棚のスペースがなくなってしまったので、『吉本隆明全集』以外は買わないようにしようと思っていたものの、この「読みたいなあ」という気持ちはなかなか抑え切れない。〈興味〉や〈知識欲〉からの気持ちの発露なので、無碍にこれを抑える必要はないのかもしれないと思い、今後、ツン読になってしまうかもしれないが、自分が興味を抱いた本はなるべく買うようにしようと思い直した。
 スペースの問題に関しては、読み終えた本で手元に置いておく必要のないものは、K大の熊野寮や左京図書館で引き取ってもらえる目処がたった。  K大熊野寮は川端丸太町の娘の家と同じ町内にあり、町内の『ふれあいかわら版 〇〇だより』という配布誌に『熊野寮だより』というコーナーがあって、そこに「古書を求む!」というメッセージが載っていた。このミニコミ誌?には、この他に、この地域の子どもたちを対象にした、寮生による週1回開催の無料の学習塾の記事も載っていた。この学習塾の名称が『KUMAN』!さすがK大生、シャレっけがバツグンやねぇ(ちなみに、私の息子も大学卒業時に「ヨシモト」に行きたいと言い出して往生させられたことがあった。「せめて大学院にでも進んでそれから考え直してもええんとちゃうか」と説得したが、その後、建築系修士を修了して、就職後に一級建築士を取得、現在は東京で某大手ハウス・メーカーの技術系課長をしとる。ヨシモトに行っとったらどうなってたやろ、ロザンの宇治原みたいに「K大卒」を売りもんにして活躍できてたやろか?まあ、多分、それはないわな、息子の「喋り」って、ぜんぜん、おもろないもん)。
 上記の本の在庫を確認するために、昼から大垣書店を覗いてきた。@の『人類の起源』があったので、早速、購入し、他のAとBに関して店員に調べてもらったら在庫はないとのこと。この手の本は恵文社には置いていないので、洛北阪急スクエア内のアバンティブックセンターに行ったら、在庫があったので購入した。このアバンティブックセンターも、洛北阪急スクエアに改築される前のカナート洛北にあったころは、本の数も多くてよく行っていた。改装後はスペースも本の数も半分以下になって、あまり行かないようになっていた。同じアバンティブックセンターの京都駅前店も、以前はワンフロア全体が大規模書店になっていて、よく行っていたが、アニメ関係や漫画本をたくさん置くように方針転換してから  河原町の丸善ができたこともあるが  行くこともなくなった。
 そういえば、河原町の丸善にも、最近、7月に人工膝関節手術をしてから行っていない。書いたい本もあるので、そろそろ出かけてみるか。

(22.10.30.日)晴れ
 今日は、日本シリーズの「決勝の日」なので、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、夕方6時から放映しているBSの方で観ることにした。また、9時から観ている中国ドラマ『上陽賦 運命の王妃』は、一応、録画予約しておいた。
 9時になって、日本シリーズは続いていたが「5対0」だったので、もう「決まり」だと思って『上陽賦 運命の王妃』の方を観ることにした。途中で何気にスマホの『スポーツ・ナビ』を覗いてみると「5対4」で試合が終了していた。「ええっ、どういうことやったん?観といたらよかった」と思いつつ、『上陽賦 運命の王妃』が終わったので、NHKの『サンデー・スポーツ』にチャンネルを回した。そうしたら、オスナがスリーラン・ホームランを打って「5対4」になったとのこと、危なかった。
 CSではヤクルトを応援していたが、日本シリーズは、どちらも好きなチームではあるけれど、一応、「関西」ということで、今回はオリックスを応援していた。
 さあ、来季は岡田阪神になるので、久しぶりにタイガースファンに戻って「関西ダービー」でも夢見ておこうか。

【今日の読書321※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
E-23『自由対談』
F-76『夜のくもざる』
G-11『失われた時を求めて13』
I-24『読書の日記』
K-20『小説の技巧』
L-5『坊ちゃん』
コメント:またまた前回に引き続いて、K-20『小説の技巧』から印象に残った箇所を抜粋しておく。
p.186「未来についての小説のほとんどが過去形で語られるのは、一見矛盾しているように見えて、実はそれなりの理由によるものである。(中略)小説の想像の世界に入り込むために、我々は登場人物と同じ時空に身をおかねばならないが、未来系ではそれができない。過去形は物語にとって「自然」な時制なのだ。現在形ですら、何となくしっくりこない。なぜなら、何かが書かれているということは、論理的にそれがすでに起きてしまっていることを前提としているからである。もちろん、今日の我々にとって1984年はすでに起きてしまっている。だが、オーウェルがこの小説を書いたときには、彼は未来を想像していたのであり、それをしかるべく読み取るためには、これを歴史小説としてではなく、予言の書として読まなくてはならない。作者は、自分の未来図に小説ならではの現実感を与えるために過去形の語りを用いている。」
p.191「大ざっぱな言い方をすれば、あるものが何か別のものを『指し示して』いるとき、それはシンボルとして機能しているわけだが、その指し示し方にもさまざまなものがある。十文字はある文脈においては、十字架のイエスとの連想によってキリスト教を象徴しているが、また別の文脈においては、その図形的な類似性から交差点を意味する。文学における象徴性となるとこれほど単純には解読できない。つねに独自性を追求し、多義性や曖昧性(いずれも交通信号や宗教的図象、特に前者にはふさわしくない)によって含みを持たせる傾向にあるからである。隠喩や直喩がAをBにたとえることであるとするならば、文学的象徴はBがAを、あるいはいくつかのAを暗示することだと言える。象徴主義(サンボリズム)として知られる詩の作風は、19世紀後期のフランスにおいて、ボードレール、ヴェルレーヌ、マラルメらの作品から始まり、20世紀の英国文学に絶大な影響を与えたが、その特徴とするところは、事物に対する明確な指示性を持たず、テクストの表面できらきらと輝く暗示的意味の配列である。」
p.196-197「寓話は象徴的な物語の特殊な一形態であり、単に文字どおりの意味を越えて何かを暗示するにとどまらず、別の意味において全体を解読せよと指示するものである。(中略)寓話というものは、随所随所で裏の意味と対応しながら展開していくものなので、ヘンリー・ジェイムズが言うところの小説の『現実感』に反対する方向にある。したがって正統的な小説では、寓話はせいぜいのところ夢や、ある登場人物が他の人物に語る話のような形で、挿話として組み込まれる程度である。(中略)寓話は小説技法の一つとして応用され、『ガリバー旅行記』、『動物農場』、そして『エレホン』など、主に教訓的、風刺的な物語の中で用いられている。これらの名作では、表面的な写実によって空想的な出来事に不思議な迫真力が与えられており、現実との対応関係が見事な機知と技巧で練り上げられているため、そこには決して先が読めない面白さがある。」

今日の映画321】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『追跡(NHK-BSの録画で視聴)
原題:Pursued
製作年:1947年
製作国:アメリカ
監督:ラオール・ウォルシュ
出演:テレサ・ライト/ロバート・ミッチャム/ジュディス・アンダーソン/ディーン・ジャガー/ジョン・ロドニー
ストーリー:1900年のニュー・メキシコ。孤児のジェブ・ランド(ロバート・ミッチャム)はメドラ・コラム夫人(ジュディス・アンダーソン)に育てられたが、義母の愛を素直に受けることが出来なかった。育ての恩は十分感じているのであるが、彼は何かに追いかけられ狙われている気がして落ち着かないのだった。メドラの実子アダム(ジョン・ロドニー)とソーリー(テレサ・ライト)と共に育って来たジェブは、同じ年のソーリーといつか相愛の仲となっていた。米西戦争が起こると、ジェブは自分かアダムかが従事すべきだと言い出し、ソーリーが銀貨投げて運命を決した。出征したのはジェブで、名誉の戦傷を負い英雄として帰って来た。そしてまたアダムと争うことになり、今度は銀貨投げ勝負で負けた者は、相手が所有する牧場の株を買い取らねばならない。負けたのはまたジェブだった。彼は家を出て賭博場へ出かけたが、運よく勝って、まとまった金をふところに牧場へ帰る途中、待ち伏せしていたアダムと射ち合って、アダムを撃ち殺してしまった。正当防衛で彼は無罪放免とはなったが、ソーリーもメドラもジェブを憎まないでいられなかったが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.0、TSUTAYAは3.30、Filmarksは3.7で、私の評価は3.3とした。
 相当前に製作された西部劇だが、画像が鮮明な full movie が YouTube にアップされていたので、「原題」のところにリンクを張っておいた。音声は英語で英語字幕がついているので、字幕を見ながら音声を聴いているとリスニングの教材にちょうどいい。

今日のジャズ321】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
アーティスト:菊地雅章/ギル・エバンス・オーケストラ
レーベル:Philips/日本 フォノグラム/EmArcy
録音年月日:1972.7.5
曲名:@Ictus/AThoroughbred/BPriestess/CLove In The Open/D驟雨 ( Drizzling Rain )/EEleven/FCry Of Hunger/GLove In The Open (take 2)
ミュージシャン:Gil Evans (arr,cond,p,ring-modurator)/菊地雅章 ( Masabumi Kikuchi ) (p)/Billy Harper (ts,fl,chime)/Marvin Peterson (as,fl)/峰厚介 ( Kosuke Mine ) (as,ss)/鈴木重男 ( Shigeo Suzuki ) (as,fl)/篠原国利 ( Kunitoshi Shinohara ) (tp,flh)/鈴木武久 ( Takehisa Suzuki ) (tp,flh)/多戸幾久三 ( Kikuzo Tado ) (tuba)/山本直 ( Nao Yamamoto ) (frh)/松原千代繁 ( Chiyoshige Matsubara ) (frh)/宗清洋 ( Hiroshi Munekiyo ) (tb)/中沢忠孝 ( Tadataka Nakazawa ) (btb)/衛藤幸雄 ( Yukio Etoh ) (piccolo,alto-fl,bass-fl)/中川昌三 ( Masami Nakagawa )  (piccolo,alto-fl,bass-fl)/旭孝 ( Takashi Asahi ) (piccolo,alto-fl,bass-fl)/高柳昌行 ( Masayuki Takayanagi ) (g)/中牟礼貞則 ( Sadanori Nakamure ) (g)/江藤勲 ( Isao Etoh ) (b)/鈴木良雄 ( Yoshio Suzuki ) (b)/山口浩一 ( Kohichi Yamaguchi ) (timpani)/高橋みち子 ( Michiko Takahashi ) (vib,marimba)/宮田英夫 ( Hideo Miyata ) (per)/中村よしゆき ( Yoshiyuki Nakamura ) (ds)/富樫雅彦 ( Masahiko Togashi ) (ds)
コメント:1972年にギル・エヴァンスを招聘して菊地雅章のリサイタルが開かれた。これはそのツアー終了後にスタジオで録音されたアルバム。当時の日本を代表するプレイヤーを集めたオーケストラが、ギルのマジックで素晴らしいアンサンブルを聴かせる。それをバックに菊地が創造性の限りを尽くす。これは日本のジャズがいかに優れていたかをいまに伝える大傑作。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
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2022年10月28日

逃病日記440(22.10.28.金)

(22.10.27.木)曇り
 日本シリーズは、吉田正尚の劇的なサヨナラホームランで2勝2敗1分のタイになった。オリックスは、やはりシリーズの最終ゲームでソフトバンクを退けてリーグ優勝した決めたが、ここへきてこの時の経験が発揮されてきたような感じがする。おそらく、オリックスの選手たちも、胸中にあの時の気持ちを抱いて、それを支えにして闘っているのでではないだろうか。

(22.10.28.金)晴れ
 今日、ヨメさんと自転車で、娘から頼まれていた孫(次男)の保育園の申込書を、荒神口近くの第一希望の保育園に提出に行った。この園には、孫の長男の方が在園していたときは、時々、迎えに行ったり、運動会などの催しの際によく来ていた。昼食時だったので、ちょうど園児たちが食事をとっている時に出くわした。事務の人に申込書類を手渡して、受領書を受け取ってから、今日、昼食のために予約をしておいた荒神口通りのレストラン『パッション』に向かった。
 先日、行った時は予約をしていなかったため、応対したマスターに、予約客優先なので少し待ってもら必要がある、と言われて入店しなかった。この店も何年ぶりになるんだろうか。確か、私が発病して入院する以前だったので5年以上前になるだろう。マスターも(頭髪の具合を見ると)少し歳をとった感じがする。入店して応接してくれた女性は、以前の女性と替わっているような印象だった。
 久しぶりで要領を得なかったので、普通のランチセットを注文した。食事を運んでくれたときに、ヨメさんがその女性に「ここ、久しぶりなんです」と話しかけたら、「そうですね」との返事。えっ!?覚えておいてくれはったん、というか、同じ女性?そうか、髪型が違うから分からなかったが、客と話すときの丁寧な口調は、そうだ!以前と同じ女性だ、と気づいた。それにしても、5年以上前に来ていたのを覚えておいてくれたとは感激だ。ちょうど孫の長男の方が、先ほど申込書を提出した保育園に通っていた頃で、やんちゃ盛りで、店の奥の方の席を予約したりしていたので印象深かったのかもしれない。
 食事は、「小さなスープ」の後、オードブルが三種も出て、ヨメさんはそれだけでもうお腹がいっぱいと言っていた。この後、メイン・ディッシュのステーキ、ヨメさんは「もも肉」、私は「ミスジ」という部位を注文。食事の後はデザートとコーピーが出てたが、デザートは、アイスクリーム、ケーキ、焼きプリンと小ぶりの三品、これで3500円はリーズナブル。
 写真は、「小さなスープ」とオードブル二品。この後の料理は、食べるほうに気がいってしまって、ついつい写真を撮り忘れてしまった。

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 食事のあとは、鴨川西側の河原の沿道に降りたが、この府立大学病院の裏手のあたりの道はコンクリートで舗装されていて、自転車で走りやすかった。この道を通るのも何年ぶりかになるが、以前は未舗装の土道のために、雨の後などはぬかるんで走りにくかったもんだが、いつ工事をしたんだろう。この道を自転車で北に向かい、加茂大橋のふたつ先の葵橋の辺りから一般道路に出て、御影通りから下鴨東通りに出て、葵中学校の辺りまで来て、蓼蔵橋を渡って帰宅した。

【今日の読書320※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-21『吉本隆明代表詩選』
@-23『源実朝』
A-41『昭和史 上』
B-46『利己的な遺伝子』
B-47『物理学の原理と法則』
C-8『小林秀雄全集6/ドストエフスキイの生活』
E-23『自由対談』
F-77『カメレオンのための音楽』
F-76『夜のくもざる』
G-11『失われた時を求めて13』
I-24『読書の日記』
K-20『小説の技巧』
L-5『坊ちゃん』
コメント:前回に引き続いて、K-20『小説の技巧』から印象に残った箇所を抜粋しておく。
p.178「散文芸術家にとって、世界は他人の言葉にあふれている。(中略)そのさまざまの声のなかで彼は自分を方向づけ、それらの声の特徴をきわめて鋭い耳で聞き取ることができなくてはならない。それらの声をみずからの言説の表面に、その表面自体を損なうことなく導入しなければならない。これにもいろいろな方法がある。自由間接文体を使って、作者自身の声に登場人物の声を重ね合わせ、思考や感情を伝えることもできる。あるいは、語り手の声に、キャラクターとはまったく無関係な色付けを行うこともできる。」
p.179「小説の言語はひとつの言語ではなく、さまざまな声と文体が作り出すメロディーである、という点に尽きる。小説をこの上なく民主的な、反全体主義的な文学形式にしているのも、まさにこの特徴にほかならない。そこにはいかなるイデオロギー的・道徳的立場も、異議申し立てと反駁を逃れはしないのである。」

今日の映画320】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『冷血(U-NEXTで視聴)
原題:In Cold Blood
製作年:1967年
製作国:アメリカ
監督:リチャード・ブルックス
出演:ロバート・ブレイク/スコット・ウィルソン/ジョン・フォーサイス/ジェフ・コーリー
ストーリー:1959年11月16日、カンザス州のとある寒村で、農場主の一家4人が自宅で惨殺されているのが発見された。農場主はのどを掻き切られた上に、至近距離から散弾銃で撃たれ、彼の家族はみな、手足を紐で縛られた上にやはり至近距離から散弾銃で撃たれていた。あまりにもむごい死体の様子は、まるで犯人が被害者に対して強い憎悪を抱いているかのようであった。しかし、被害者の農場主は勤勉かつ誠実な人柄として知られ、周辺住民とのトラブルも一切存在しなかった。一家を恨む人間は周辺に一人もおらず、むしろ周辺住民が「あれほど徳行を積んだ人びとが無残に殺されるとは・・・」と怖れおののくほどであった。事件の捜査を担当したカンザス州捜査局の捜査官は、強盗のしわざである可能性も視野にいれるが、女性の被害者には性的暴行を受けた痕がなく、被害者宅からはほとんど金品が奪われていないなど、強盗のしわざにしては不自然な点が多かったが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.4、TSUTAYAは3.17、Filmarksは3.5で、私の評価は4.0とした。
 作家トルーマン・カポーティが一家惨殺事件の全容を綿密な取材を基につづった同名ノンフィクション小説を映画化した作品。「暴力教室」「熱いトタン屋根の猫」などのリチャード・ブルックスが監督・脚色を手がけ、カポーティの原作と同様、事件発生から犯人の死刑執行までを実録タッチで描き出している。

今日のジャズ320】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
アーティスト:Marcus Roberts
レーベル:Novus/BMGビクター
録音年月日:1988.7.26/1988.7.27/1988.8.29 〜 1988.8.31
曲名:@The Arrival/ABlue Monk/BMaurella/CSingle Petal Of A Rose/DCountry By Choice/EThe Truth Is Spoken Here/FIn A Mellow Tone/GNothin' But The Blues
ミュージシャン:Wynton Marsalis (tp)/Marcus Roberts (p)/Reginald Veal (b)/Elvin Jones (ds)/Todd Williams (ts)/Charlie Rouse (ts)
コメント:ウィントン・マルサリスのコンボに抜擢されたマーカス・ロバーツの初リーダー作。オリジナルと共に、セロニアス・モンクの〈ブルー・モンク〉、デューク・エリントンの〈バラのひとひら〉や〈イン・ア・メロウ・トーン〉が収められている。斬新な音楽性と共にジャズの伝統にも敬意を払っていたウィントン一派ならではの選曲と内容は、いま聴いても新鮮。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
<YouTubeライブ映像>
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2022年10月26日

逃病日記439(22.10.26.水)

(22.10.24.月) 晴れ
 現在、ドイツ滞在中の娘一家に関しては、孫(次男)の保育園申込手続きなどをはじめ、「あれたのむわ、これもたのむわ」とLINEで連絡してくる。
 先日も、川端丸太町の住居の建物構造保証ための10年目の定期点検の案内が来て、この点検を受けないと保証継続がされないと通知に書かれてあった。点検を受けるには数万円の費用がかかるが、娘はその費用を立て替えておいてくれとのこと。また、点検時には保証書を用意しておく必要があるが、事前にそれを家探しして見つけ出しておかなければならない。点検の期限が11月18日までとあるが、11月前半には病院関係の診察・検査予約が3日ほど入っている。祝日もあったりするので、点検してもらう日が限られてくる。
 この間、LINEの電話があったときに、「なんやかんやと忙しいわ」と言ってやったら、「ボケ防止にええやんか」と切り返された。
 ヨメさんは、来春に娘と孫たちが帰って来るのを心待ちにしている。事務仕事はもっぱら私の方がさせられているが、ヨメさんの方は、定期的に留守宅の掃除や風通しに行ってくれているので、まあ、分に応じてというところかな。

(22.10.25.火)晴れのち曇り
 今日火曜日の恒例の「ヨメのいぬ間の映画祭」は、NHK-BS『プレミアムシネマ』のスピルバーグの『宇宙戦争』。あの『E.T.』と比べたら、スピルバーグにしては、何の観どころも、感動もない凡作。しかし、「宇宙人もの」というのは、なんでこんなふうな「タコのはっちゃん」みたいな宇宙人が出てくるようなステレオタイプの作品しかないんだろうか。

 今日の日本シリーズは、昨年の6試合、今年のこれまでの2試合が僅差だったのに、「緊張の糸が切れた」かのような大差がついた。ここにきて、実力差が現れたかのような試合内容だった。

(22.10.26.水)晴れ
 今日は川端丸太町の娘の留守宅に、月曜日に書いた、定期点検に必要な「保証書」を探しに行ってきた。
 ヨメさんとふたり、自転車で出かけた。最初は、娘の家への経路の途中にある保育園の申込書も持参しようかと思っていたが、申込書類の最終チャックをしていたら、申込者(保護者=娘の婿)の確認書類が漏れているのがわかった。それで娘に、婿さんのパスポートか免許証の写メを至急  ドイツとの時差は7時間なのでまだ真夜中だが  当方に送るようLINEでメールしておいた。
 娘の家に到着して家の中に入って、昨日、娘が心当たりのあると言っていた場所を探すと、意外にあっさりと目的の保証書が見つかった。ちょうど昼時だったので、その書類を持って、近辺で昼食をとるため、当初、予定していた荒神口のレストラン『パッション』に行ったが、予約をしていないとかなり時間待ちしなければならない、とのことだった。
 それで他の店を探すことにしたが、荒神口から河原町丸太町を中心とした界隈は、小ぶりのヨサゲな店がたくさんある。荒神口から河原町通りに出て、適当な店を探しながら南に下がって、河原町丸太町まで来てしまったが、なかなか適当な店が見つからない。それで寺町通りの方に向かい、その通りを自転車でゆっくりと下がっていった。すると、ちょうど一保堂を少し下がったところに、 ヨサゲな店があったのでそこに入ることにした。
 『寺町ハンバーグ極楽蜻蛉』という、ハンバーグがメインの落ち着いた雰囲気の店。私が「寺町ハンバーグ」、ヨメさんが「ランチハンバーグ」を注文した。昼食時間帯だったので、客層はこの近辺のビジネスマンらしき男性が多く、あとは観光客風の人たちで、ほぼ満席の状態。出てきたハンバーグは、ごく普通のハンバーグだったが、デミグラスソースをかけるとなかなか美味しい。ヨメさんに、よく行く「東洋亭」のハンバーグと「どちらが美味しい?」と訊かれ、「ふ〜ん、まあ、どっちも美味しいなあ、比べられんわ」と答えておいたが、ヨメさんは東洋亭のハンバーグの方がお気に入りのようだ。まあ、しかし、味の好みはひとぞれぞれというところがあるので、なかなか答えるのが難しい。私の本音としては「あれは美味しいし、これも美味しい」というところだが・・・・・・
 味覚は、視覚や聴覚と一緒で、いい絵を観ると目が肥え、いい音楽を聴くと耳が肥えるのと同じで、美味しいものを食べつけていると、舌も肥えてくるんだろう。
 ランチを食べ終えて店を出て、帰路は丸太町大橋を渡って、川端通りを北へ上がっていった。途中でデイツーに立ち寄って、鉢植えを買って帰ったが、ほどよいサイクリングになった。
 整形外科の医師の話では、人工膝関節術後のひとつの目標が自転車に乗ることだそうだが、今日のようにこれだけ乗り回すと、ひとつのハードルをクリアーした感じがする。

【今日の読書319※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-21『吉本隆明代表詩選』
@-23『源実朝』
A-41『昭和史 上』
B-46『利己的な遺伝子』
B-47『物理学の原理と法則』
C-8『小林秀雄全集6/ドストエフスキイの生活』
E-23『自由対談』
F-77『カメレオンのための音楽』
F-76『夜のくもざる』
G-11『失われた時を求めて13』
I-24『読書の日記』
K-20『小説の技巧』
L-5『坊ちゃん』
コメント:例によって、K-20『小説の技巧』から印象に残った箇所を抜粋しておく。
p.169「虚構の言説には、つねに何が起こっているかを描写している部分と、何が起こったかを語っている部分が交互に現れる。最も純粋な描写形態は登場人物の発話をそのまま伝える書き方で、そうすれば(出来事が言葉から成り立っているわけだから)言葉がそのまま出来事を映し出す鏡となる。最も純粋な語りの形態は語り手による要約であり、この形態においては語り手の言葉の簡潔性・抽象性が登場人物とその行動の特殊性・個別性を消し去ってしまう。したがって、小説が完全に要約な形態で書かれたとしたら、ほとんど読むに耐えないものになるだろう。だが、要約にもそれなりの効用がある。たとえば、あまり面白くない、あるいは面白すぎる  つまり、あまりかかずらわっていると本筋に戻りづらくなるような  部分を簡単に済ませることによって物語の進行を速めることができる。」
p.174「すべて要約形式で書かれた小説はほとんど読むに耐えないだろうと述べた。しかし、現代文学では、要約形式を大幅に取り入れて、かつそれほど大きな代償を払わずに済んでいる作家もいるようである。要約的な語りは、アイロニー、スピード感、簡潔さを好む当世流の趣味にうまく合っているということか。特に、人物が大勢出てきて、時間的にも長きにわたる物語を扱うには効果的である。古典的な小説の、ゆったりした時の流れと濃密なディテールに拘泥していては、そうした物語は泥沼にはまりかねない(中略)しかし、油断は禁物である。下手な要約文体は、語彙も構文ものっぺりした単調なものになってしまいかねない。」
p.177「伝統的な叙事詩や抒情詩の言語、あるいは論説的な散文の言語は「単声」的である。それらは単一の文体を通して、世界に対するひとつのビジョン、ひとつの解釈を打ち出そうと企てる。対照的に、小説は「対話」的で合って、いくつもの違った文体、声を取り込もうとする。それらの複数の文体もしくは声が、たがいに語りあい、さらに、テクスト外のさまざまな声  文化・社会全体の種々の言説  とも語りあうのである。」

今日の映画319】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『セントラル・ステーション(NHK-BSの録画で視聴)
原題:Central do Brasil
製作年:1998年
製作国:ブラジル
監督:ウォルター・サレス
出演:フェルナンダ・モンテネグロ/マリリア・ペーラ/ヴィニシウス・デ・オリベイラ/ソイア・ライラ
ストーリー:リオの中央駅で代筆屋を営む中年女ドーラ(フェルナンダ・モンテネグロ)の所へ少年ジョズエ(ヴィニシウス・デ・オリヴェイラ)と母親がやって来た。だが父親への手紙を依頼した直後、母親が交通事故で急死。ドーラは行き場を失ったジョズエを家に連れ帰り、翌日彼を養子縁組斡旋所に売り渡した。しかしそこが臓器売買組織だと知って慌てて連れ戻し、住所を頼りに父親探しへ旅立つ。途中で無一文になりながらもジョズエの機転で切り抜け、父親の家にたどり着く。そこには・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.7、TSUTAYAは   、Filmarksは3.9で、私の評価は4.0とした。
  父親探しを通して芽生えた少年と中年女性の心の交流を暖かく描いたロードムービーだが、なかなか面白い名作だった。出演はブラジルの名女優フェルナンダ・モンテネグロで、98年ベルリン映画祭金熊賞(グランプリ)銀熊賞・主演女優賞(モンテネグロ)受賞。第71回(98年度)アカデミー主演女優賞(モンテネグロ)ノミネートとのこと。 
 フェルナンダ・モンテネグロという女優さん、かなりのバアちゃんだが、若い頃の写真をみるとかなりの美人だ。

今日のジャズ319】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Miles In Tokyo
アーティスト:Miles Davis
レーベル:Columbia/ソニーミュージックエンタテインメント/CBSソニー/CBS Sony/ソニーレコード
録音年月日:1964.7.14
曲名:@Introduction/AIf I Were A Bell/BMy Funny Valentine/CSo What/DWalkin'/EAll Of You/FThe Theme
ミュージシャン:Miles Davis (tp)/Sam Rivers (ts)/Herbie Hancock (p)/Ron Carter (b)/Tony Williams (ds)
コメント:マイルス・デイヴィスが初来日時に残したライブ盤。この作品はサム・リヴァースが参加したところにポイントがある。クインテットが異常なほどフリー・ジャズに接近した演奏をしているのも、彼がマイルス以下のメンバーを触発したからだ。中でもトニー・ウィリアムスの奔放なドラミングは見事の一語に尽きる。テンポを自在に操り、さまざまなビートを紡ぎ出すウィリアムスに煽られ、グループが変幻自在なプレイを重ねていく。こんな自由なマイルス・クインテットも珍しい。
 このアルバムもいまでは世界中で入手できるようになった。ただし、80年代末までは日本でしか手に入らなかった。それもあって、来日するミュージシャンの欲しがるアルバムの筆頭がこの作品である。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記