(22.10.29.土)晴れ
今日の朝日新聞の『読書』欄では、次のような本が目にとまった。
@『人類の起源』篠田謙一(中公新書)
A『あの本は読まれているか』ラーラ・プレスコット(創元推理文庫)
B『君が異端だった頃』島田雅彦(集英社文庫)
本棚のスペースがなくなってしまったので、『吉本隆明全集』以外は買わないようにしようと思っていたものの、この「読みたいなあ」という気持ちはなかなか抑え切れない。〈興味〉や〈知識欲〉からの気持ちの発露なので、無碍にこれを抑える必要はないのかもしれないと思い、今後、ツン読になってしまうかもしれないが、自分が興味を抱いた本はなるべく買うようにしようと思い直した。
スペースの問題に関しては、読み終えた本で手元に置いておく必要のないものは、K大の熊野寮や左京図書館で引き取ってもらえる目処がたった。 K大熊野寮は川端丸太町の娘の家と同じ町内にあり、町内の『ふれあいかわら版 〇〇だより』という配布誌に『熊野寮だより』というコーナーがあって、そこに「古書を求む!」というメッセージが載っていた。このミニコミ誌?には、この他に、この地域の子どもたちを対象にした、寮生による週1回開催の無料の学習塾の記事も載っていた。この学習塾の名称が『KUMAN』!さすがK大生、シャレっけがバツグンやねぇ(ちなみに、私の息子も大学卒業時に「ヨシモト」に行きたいと言い出して往生させられたことがあった。「せめて大学院にでも進んでそれから考え直してもええんとちゃうか」と説得したが、その後、建築系修士を修了して、就職後に一級建築士を取得、現在は東京で某大手ハウス・メーカーの技術系課長をしとる。ヨシモトに行っとったらどうなってたやろ、ロザンの宇治原みたいに「K大卒」を売りもんにして活躍できてたやろか?まあ、多分、それはないわな、息子の「喋り」って、ぜんぜん、おもろないもん)。
上記の本の在庫を確認するために、昼から大垣書店を覗いてきた。@の『人類の起源』があったので、早速、購入し、他のAとBに関して店員に調べてもらったら在庫はないとのこと。この手の本は恵文社には置いていないので、洛北阪急スクエア内のアバンティブックセンターに行ったら、在庫があったので購入した。このアバンティブックセンターも、洛北阪急スクエアに改築される前のカナート洛北にあったころは、本の数も多くてよく行っていた。改装後はスペースも本の数も半分以下になって、あまり行かないようになっていた。同じアバンティブックセンターの京都駅前店も、以前はワンフロア全体が大規模書店になっていて、よく行っていたが、アニメ関係や漫画本をたくさん置くように方針転換してから 河原町の丸善ができたこともあるが 行くこともなくなった。
そういえば、河原町の丸善にも、最近、7月に人工膝関節手術をしてから行っていない。書いたい本もあるので、そろそろ出かけてみるか。
(22.10.30.日)晴れ
今日は、日本シリーズの「決勝の日」なので、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』は、夕方6時から放映しているBSの方で観ることにした。また、9時から観ている中国ドラマ『上陽賦 運命の王妃』は、一応、録画予約しておいた。
9時になって、日本シリーズは続いていたが「5対0」だったので、もう「決まり」だと思って『上陽賦 運命の王妃』の方を観ることにした。途中で何気にスマホの『スポーツ・ナビ』を覗いてみると「5対4」で試合が終了していた。「ええっ、どういうことやったん?観といたらよかった」と思いつつ、『上陽賦 運命の王妃』が終わったので、NHKの『サンデー・スポーツ』にチャンネルを回した。そうしたら、オスナがスリーラン・ホームランを打って「5対4」になったとのこと、危なかった。
CSではヤクルトを応援していたが、日本シリーズは、どちらも好きなチームではあるけれど、一応、「関西」ということで、今回はオリックスを応援していた。
さあ、来季は岡田阪神になるので、久しぶりにタイガースファンに戻って「関西ダービー」でも夢見ておこうか。
【今日の読書321】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
E-23『自由対談』
F-76『夜のくもざる』
G-11『失われた時を求めて13』
I-24『読書の日記』
K-20『小説の技巧』
L-5『坊ちゃん』
コメント:またまた前回に引き続いて、K-20『小説の技巧』から印象に残った箇所を抜粋しておく。
p.186「未来についての小説のほとんどが過去形で語られるのは、一見矛盾しているように見えて、実はそれなりの理由によるものである。(中略)小説の想像の世界に入り込むために、我々は登場人物と同じ時空に身をおかねばならないが、未来系ではそれができない。過去形は物語にとって「自然」な時制なのだ。現在形ですら、何となくしっくりこない。なぜなら、何かが書かれているということは、論理的にそれがすでに起きてしまっていることを前提としているからである。もちろん、今日の我々にとって1984年はすでに起きてしまっている。だが、オーウェルがこの小説を書いたときには、彼は未来を想像していたのであり、それをしかるべく読み取るためには、これを歴史小説としてではなく、予言の書として読まなくてはならない。作者は、自分の未来図に小説ならではの現実感を与えるために過去形の語りを用いている。」
p.191「大ざっぱな言い方をすれば、あるものが何か別のものを『指し示して』いるとき、それはシンボルとして機能しているわけだが、その指し示し方にもさまざまなものがある。十文字はある文脈においては、十字架のイエスとの連想によってキリスト教を象徴しているが、また別の文脈においては、その図形的な類似性から交差点を意味する。文学における象徴性となるとこれほど単純には解読できない。つねに独自性を追求し、多義性や曖昧性(いずれも交通信号や宗教的図象、特に前者にはふさわしくない)によって含みを持たせる傾向にあるからである。隠喩や直喩がAをBにたとえることであるとするならば、文学的象徴はBがAを、あるいはいくつかのAを暗示することだと言える。象徴主義(サンボリズム)として知られる詩の作風は、19世紀後期のフランスにおいて、ボードレール、ヴェルレーヌ、マラルメらの作品から始まり、20世紀の英国文学に絶大な影響を与えたが、その特徴とするところは、事物に対する明確な指示性を持たず、テクストの表面できらきらと輝く暗示的意味の配列である。」
p.196-197「寓話は象徴的な物語の特殊な一形態であり、単に文字どおりの意味を越えて何かを暗示するにとどまらず、別の意味において全体を解読せよと指示するものである。(中略)寓話というものは、随所随所で裏の意味と対応しながら展開していくものなので、ヘンリー・ジェイムズが言うところの小説の『現実感』に反対する方向にある。したがって正統的な小説では、寓話はせいぜいのところ夢や、ある登場人物が他の人物に語る話のような形で、挿話として組み込まれる程度である。(中略)寓話は小説技法の一つとして応用され、『ガリバー旅行記』、『動物農場』、そして『エレホン』など、主に教訓的、風刺的な物語の中で用いられている。これらの名作では、表面的な写実によって空想的な出来事に不思議な迫真力が与えられており、現実との対応関係が見事な機知と技巧で練り上げられているため、そこには決して先が読めない面白さがある。」
【今日の映画321】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『追跡』(NHK-BSの録画で視聴)
原題:Pursued
製作年:1947年
製作国:アメリカ
監督:ラオール・ウォルシュ
出演:テレサ・ライト/ロバート・ミッチャム/ジュディス・アンダーソン/ディーン・ジャガー/ジョン・ロドニー
ストーリー:1900年のニュー・メキシコ。孤児のジェブ・ランド(ロバート・ミッチャム)はメドラ・コラム夫人(ジュディス・アンダーソン)に育てられたが、義母の愛を素直に受けることが出来なかった。育ての恩は十分感じているのであるが、彼は何かに追いかけられ狙われている気がして落ち着かないのだった。メドラの実子アダム(ジョン・ロドニー)とソーリー(テレサ・ライト)と共に育って来たジェブは、同じ年のソーリーといつか相愛の仲となっていた。米西戦争が起こると、ジェブは自分かアダムかが従事すべきだと言い出し、ソーリーが銀貨投げて運命を決した。出征したのはジェブで、名誉の戦傷を負い英雄として帰って来た。そしてまたアダムと争うことになり、今度は銀貨投げ勝負で負けた者は、相手が所有する牧場の株を買い取らねばならない。負けたのはまたジェブだった。彼は家を出て賭博場へ出かけたが、運よく勝って、まとまった金をふところに牧場へ帰る途中、待ち伏せしていたアダムと射ち合って、アダムを撃ち殺してしまった。正当防衛で彼は無罪放免とはなったが、ソーリーもメドラもジェブを憎まないでいられなかったが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.0、TSUTAYAは3.30、Filmarksは3.7で、私の評価は3.3とした。
相当前に製作された西部劇だが、画像が鮮明な full movie が YouTube にアップされていたので、「原題」のところにリンクを張っておいた。音声は英語で英語字幕がついているので、字幕を見ながら音声を聴いているとリスニングの教材にちょうどいい。
【今日のジャズ321】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
アーティスト:菊地雅章/ギル・エバンス・オーケストラ
レーベル:Philips/日本 フォノグラム/EmArcy
録音年月日:1972.7.5
曲名:@Ictus/AThoroughbred/BPriestess/CLove In The Open/D驟雨 ( Drizzling Rain )/EEleven/FCry Of Hunger/GLove In The Open (take 2)
ミュージシャン:Gil Evans (arr,cond,p,ring-modurator)/菊地雅章 ( Masabumi Kikuchi ) (p)/Billy Harper (ts,fl,chime)/Marvin Peterson (as,fl)/峰厚介 ( Kosuke Mine ) (as,ss)/鈴木重男 ( Shigeo Suzuki ) (as,fl)/篠原国利 ( Kunitoshi Shinohara ) (tp,flh)/鈴木武久 ( Takehisa Suzuki ) (tp,flh)/多戸幾久三 ( Kikuzo Tado ) (tuba)/山本直 ( Nao Yamamoto ) (frh)/松原千代繁 ( Chiyoshige Matsubara ) (frh)/宗清洋 ( Hiroshi Munekiyo ) (tb)/中沢忠孝 ( Tadataka Nakazawa ) (btb)/衛藤幸雄 ( Yukio Etoh ) (piccolo,alto-fl,bass-fl)/中川昌三 ( Masami Nakagawa ) (piccolo,alto-fl,bass-fl)/旭孝 ( Takashi Asahi ) (piccolo,alto-fl,bass-fl)/高柳昌行 ( Masayuki Takayanagi ) (g)/中牟礼貞則 ( Sadanori Nakamure ) (g)/江藤勲 ( Isao Etoh ) (b)/鈴木良雄 ( Yoshio Suzuki ) (b)/山口浩一 ( Kohichi Yamaguchi ) (timpani)/高橋みち子 ( Michiko Takahashi ) (vib,marimba)/宮田英夫 ( Hideo Miyata ) (per)/中村よしゆき ( Yoshiyuki Nakamura ) (ds)/富樫雅彦 ( Masahiko Togashi ) (ds)
コメント:1972年にギル・エヴァンスを招聘して菊地雅章のリサイタルが開かれた。これはそのツアー終了後にスタジオで録音されたアルバム。当時の日本を代表するプレイヤーを集めたオーケストラが、ギルのマジックで素晴らしいアンサンブルを聴かせる。それをバックに菊地が創造性の限りを尽くす。これは日本のジャズがいかに優れていたかをいまに伝える大傑作。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)