(22.9.29.木)晴れ
今日は、久しぶりに歩いて恵文社まで行ってきた。
恵文社では何を買うでもなく、ただ店内を一周してから店を後にし、川端通を横断して高野川に出て、河原堤の道を歩いて帰った。
今日は、いつもと異なり、蓼倉橋まで足を伸ばし、そこから東鞍馬口通りを歩いて東大路通りに出て、田中大久保町バス停の辺りから我が団地の敷地内に入った。アプリの歩数計をみると約4000歩で、ちょうど高野川河原堤を出町柳まで往復した距離ぐらいのウォーキングになった。
なかなかヤクルトの村上選手にホームランが出ない、どころか打率もだんだんと下がりはじめ、一方で中日の大島選手がジリジリと打率を上げてきている。ただ、大島選手も猛打賞というようなところまでは打っていないので、一、二厘程度の微妙な差が縮まりそうで縮まらない。
セ・パ両リーグのチーム成績ともども、久しぶりに、最後まで目が離せないシーズンという感じだ。私個人としては、まあ、矢野阪神の成績はどうでもいい感じで、両親の影響で、物心ついて以来の阪神ファンとしては、来シーズンは、久しぶりに力を入れて阪神ファンに戻れそうだ。
金本、矢野と外様監督が二代続いて、阪神もガタガタ まあ、元々からガタガタ、ゴタゴタしてたところもあるけど になってしまった。金本監督は、若手の養成とかいう名目で鳥谷選手をショートのポジションから外し その後釜に据えた北条はどうなった? 、連続試合出場とフルイニング出場記録を止めさせてしまった(自分の記録を抜かれるのがいやだったのかな?)。矢野監督は、阪神の守備体系をグチャグチャに壊してしまった。来季は岡田監督になって、佐藤や大山のポジションや打順も固定されるだろう。矢野監督のような、日替わりメニューの守備体制や打線が一掃され、安定した成績が残せるようになるだろう。
(22.9.30.金)晴れ
今日は、左膝人工関節置換術をして以来、はじめて植物園に出かけた。前回、行ったのは、7月5日が手術日だったので、おそらくそのすこし前、確か、梅雨明けの初夏の頃だったように記憶している。
今日は自転車で出かけた。下鴨の白川疏水沿いの道を東行し、京都府立大学やコンサートホール沿いの下鴨中通りに出て、そこを北上して北山通りに出た。この辺りは久しぶりに通ったが、京都府立大学とコンサートホールの間に新しい建物が出来ていた。なかなか斬新な外観の建物で、これ、なんじゃいな、と思って正面玄関に近づいてみたら、「京都府立京都学・歴彩館」と看板に表示されていた。北山通りの角にあった「資料館」が廃館されと聞いていたので、その後継施設ということかもしれない。
植物園北門前に自転車を停めて、いつもどおり、対面の東洋亭にランチに行った。午後1時を過ぎていたのでそれほど待たずに入れるだろうと思ったが、やはりここは平日のランチ時間帯を外しても混んでいる。受付機で受付をしたら5組待ちだった。植物園内を先に回るほどの時間の余裕はないだろうと思って店内で待っていたが、結局、30分以上待たされてしまった。
受付番号を呼ばれて席に案内され、メニューはいつもの「東洋亭ハンバーグBランチ」 ランチとデザートがセットになっている を注文、デザートはモンブランにした。まわりを見渡しても、ほとんどの客は「東洋亭ハンバーグランチ」 風船のように膨らんだアルミホイルの中に包まれたハンバーグ、まるままのトマトにドレッシングがかかっているトマトサラダ、ジャガバタがとり合わさったランチ を注文しているようだ。
最後のモンブランに舌鼓を打ちながら、「もう、今日は、晩ご飯いらんなぁ〜」なんて、お互い満足そうに顔を見合わせ、細やかな幸せを感じつつ、老夫婦は店を出たのであった。(なんじゃ、こら?)
植物園に入ったが、ちょうど、草花も夏から秋への入れ替わりの時期だったようで、秋桜なんかが植えられていたが、これからという感じだった。園内の表門近くの販売店で鉢植えの植栽を買ってから、自転車を置いてある北門に戻った。
帰路は、北山通りを東行、適当な所で住宅街の道を下がって白川疏水沿いの道に出て、来た道を帰った。
今日一日は、サイクリングとウォーキングでよく運動したという感じがする。
【今日の読書308】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-21『吉本隆明代表詩選』
@-23『源実朝』
A-41『昭和史 上』
B-46『利己的な遺伝子』
B-47『物理学の原理と法則』
C-8『小林秀雄全集6/ドストエフスキイの生活』
E-23『自由対談』
F-77『カメレオンのための音楽』
F-76『夜のくもざる』
G-11『失われた時を求めて13』
H-4『パンセU』
K-20『小説の技巧』
L-5『坊ちゃん』
コメント:K-20『小説の技巧』から、印象に残った箇所を抜粋しておく。
p.89「単なる個別の品のカタログなどというものは、ちょっと考えたところでは、人物や行動に焦点を合わせた物語には場違いであるように思える。しかし、小説の文章というものは素晴らしく雑食的である。ありとあらゆる言説 手紙、日記、供述書、さらにはリスト を小説は取り込んで、みずからの目的に適合させてしまう。」
p.97「登場人物は、おそらく小説中の単一の構成要素としては最も重要なものである。たとえば叙事詩のような他の形式の語りや、映画のような他のメディアも、物語を伝える上では劣らないが、人間の本性を描くときの豊かな色合い、心理的洞察の深さにおいて小説に勝るものはない。」
p.98「古い小説などによく見られるとおり、人物を紹介する最も単純な方法は、身体的特徴を描写し、出生を要約することである。」
p.99「現代の小説家は、登場人物にまつわる事実を、その言動によってさまざまに色づけし、あるいは実際にそれを通して描写しながら、徐々に提示する手法を好む場合が多い。いずれにせよ、小説中の描写はすべて選択的になされるものであり、その基本となる修辞技法は、部分で全体を表す提喩である。ジョージ・エリオットもクリストファー・イシャウッドも、それぞれのヒロインの身体的イメージを喚起するために手と顔を集中的に描き、残りの部分を読者の想像に任せている点では変わらない。」
p.99「衣服はつねに、性格、社会階級、生活様式を示す標識として役に立つ」
【今日の映画308】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『私のように美しい娘』(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
原題:Une belle fille comme moi
製作年:1971年
製作国:フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ベルナデット・ラフォン/アンドレ・デュソリエ/シャルル・デネル/クロード・ブラッスール
ストーリー:社会学者のスタニスラス・プレヴィン(アンドレ・デュソリエ)が出版するはずだった書物「犯罪女性」は予告が出ていたにもかかわらず、店頭に並んでいない。1年ほど前、プレヴィンは女性犯罪者の動機と心理についての論文を書くために女囚刑務所を訪れる。愛人を塔から突き落とした罪で服役中のカミーユ・ブリス(ベルナデット・ラフォン)に会い、定期的にインタビューを行う。彼女の数奇な半生を聞いていくうちに、自らも彼女の魅力に参ってしまう。彼女の無実の罪という言葉を鵜呑みにして、事件の真相を究明するために現地に飛ぶ。殺人現場を撮影していた少年をみつけ、カミーユの無罪を証明するだけの材料を入手して裁判を迎える。晴れて出所した彼女とプレヴィンが語り合っている所に昔の愛人と称する男アルチュール(シャルル・デネル)が現われ、プレヴィンは殴り倒され意識を失って・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.5、TSUTAYAは3.23、Filmarksは3.8で、私の評価は3.5とした。
フランソワ・トリュフォーが男性社会に対する風刺的なまなざしを交えながら軽やかなタッチで描いた犯罪喜劇で、ちょっとエッチでドタバタっぽい感じもあるが、なかなか面白い作品。フランス映画ならではの作品という感じ。
アーティスト:Phil Woods 〜 Michel Legrand And Orchestra
レーベル:RCA
録音年月日:1975.2.
曲名:@The Windmills Of Your Mind/AA Song For You/BNicole/CThe Summer Knows/DWe've Only Just Begun/EI Was Born In Love With You/FClair De Lune/Images
ミュージシャン:Phil Woods (as)/Michel Legrand (p,arr,cond)/Derek Watkins (tp)/Don Lusher (tb)/Roy Willox (woodwinds)/Armand Migiani (bass-sax)/Jud Proctor (g)/Ron Mattewson (b)/Kenny Clarke (ds)/strings/voices
/Jack Rothstein (concertmaster)
コメント:ミッシェル・ルグランとの共演によりフィル・ウッズの持ち味が最良の形で発揮された一枚。ルグランが施したアレンジはほとんどイージー・リスニング・ジャズといっていい。けれどこの作品で朗々とソロを吹くウッズに、理由はわからないが熱いものを感じる。そして近年の彼は、ウォームかつ表情豊かなプレイを全面に打ち出すようになってきた。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
<YouTubeライブ映像>