2022年09月30日

逃病日記428(22.9.30.金)

(22.9.29.木)晴れ
 今日は、久しぶりに歩いて恵文社まで行ってきた。
 恵文社では何を買うでもなく、ただ店内を一周してから店を後にし、川端通を横断して高野川に出て、河原堤の道を歩いて帰った。
 今日は、いつもと異なり、蓼倉橋まで足を伸ばし、そこから東鞍馬口通りを歩いて東大路通りに出て、田中大久保町バス停の辺りから我が団地の敷地内に入った。アプリの歩数計をみると約4000歩で、ちょうど高野川河原堤を出町柳まで往復した距離ぐらいのウォーキングになった。

 なかなかヤクルトの村上選手にホームランが出ない、どころか打率もだんだんと下がりはじめ、一方で中日の大島選手がジリジリと打率を上げてきている。ただ、大島選手も猛打賞というようなところまでは打っていないので、一、二厘程度の微妙な差が縮まりそうで縮まらない。
 セ・パ両リーグのチーム成績ともども、久しぶりに、最後まで目が離せないシーズンという感じだ。私個人としては、まあ、矢野阪神の成績はどうでもいい感じで、両親の影響で、物心ついて以来の阪神ファンとしては、来シーズンは、久しぶりに力を入れて阪神ファンに戻れそうだ。
 金本、矢野と外様監督が二代続いて、阪神もガタガタ  まあ、元々からガタガタ、ゴタゴタしてたところもあるけど  になってしまった。金本監督は、若手の養成とかいう名目で鳥谷選手をショートのポジションから外し  その後釜に据えた北条はどうなった?  、連続試合出場とフルイニング出場記録を止めさせてしまった(自分の記録を抜かれるのがいやだったのかな?)。矢野監督は、阪神の守備体系をグチャグチャに壊してしまった。来季は岡田監督になって、佐藤や大山のポジションや打順も固定されるだろう。矢野監督のような、日替わりメニューの守備体制や打線が一掃され、安定した成績が残せるようになるだろう。

(22.9.30.金)晴れ
 今日は、左膝人工関節置換術をして以来、はじめて植物園に出かけた。前回、行ったのは、7月5日が手術日だったので、おそらくそのすこし前、確か、梅雨明けの初夏の頃だったように記憶している。
 今日は自転車で出かけた。下鴨の白川疏水沿いの道を東行し、京都府立大学やコンサートホール沿いの下鴨中通りに出て、そこを北上して北山通りに出た。この辺りは久しぶりに通ったが、京都府立大学とコンサートホールの間に新しい建物が出来ていた。なかなか斬新な外観の建物で、これ、なんじゃいな、と思って正面玄関に近づいてみたら、「京都府立京都学・歴彩館」と看板に表示されていた。北山通りの角にあった「資料館」が廃館されと聞いていたので、その後継施設ということかもしれない。
 植物園北門前に自転車を停めて、いつもどおり、対面の東洋亭にランチに行った。午後1時を過ぎていたのでそれほど待たずに入れるだろうと思ったが、やはりここは平日のランチ時間帯を外しても混んでいる。受付機で受付をしたら5組待ちだった。植物園内を先に回るほどの時間の余裕はないだろうと思って店内で待っていたが、結局、30分以上待たされてしまった。
 受付番号を呼ばれて席に案内され、メニューはいつもの「東洋亭ハンバーグBランチ」  ランチとデザートがセットになっている  を注文、デザートはモンブランにした。まわりを見渡しても、ほとんどの客は「東洋亭ハンバーグランチ」  風船のように膨らんだアルミホイルの中に包まれたハンバーグ、まるままのトマトにドレッシングがかかっているトマトサラダ、ジャガバタがとり合わさったランチ  を注文しているようだ。
 最後のモンブランに舌鼓を打ちながら、「もう、今日は、晩ご飯いらんなぁ〜」なんて、お互い満足そうに顔を見合わせ、細やかな幸せを感じつつ、老夫婦は店を出たのであった。(なんじゃ、こら?)
 植物園に入ったが、ちょうど、草花も夏から秋への入れ替わりの時期だったようで、秋桜なんかが植えられていたが、これからという感じだった。園内の表門近くの販売店で鉢植えの植栽を買ってから、自転車を置いてある北門に戻った。
 帰路は、北山通りを東行、適当な所で住宅街の道を下がって白川疏水沿いの道に出て、来た道を帰った。
 今日一日は、サイクリングとウォーキングでよく運動したという感じがする。

8B4C5A87-DE91-4EF6-AF1D-62A5FEA97C1C.jpeg.  C9B683BB-D703-4146-81A4-044AE3FE9AD8.jpeg.  595EC4F3-9D11-43E6-93C8-B082220240BD.jpeg

C8E84577-A8ED-4B9B-937E-6B4D3CD39AD3.jpeg.  9ABA4F14-A441-4404-854B-D7F844855EFB.jpeg.  D18C6FD3-35DE-4BF4-9425-D68F97EB1B23.jpeg


【今日の読書308※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字 
@-21『吉本隆明代表詩選』
@-23『源実朝』
A-41『昭和史 上』
B-46『利己的な遺伝子』
B-47『物理学の原理と法則』
C-8『小林秀雄全集6/ドストエフスキイの生活』
E-23『自由対談』
F-77『カメレオンのための音楽』
F-76『夜のくもざる』
G-11『失われた時を求めて13』
H-4『パンセU』
K-20『小説の技巧』
L-5『坊ちゃん』
コメント:K-20『小説の技巧』から、印象に残った箇所を抜粋しておく。
p.89「単なる個別の品のカタログなどというものは、ちょっと考えたところでは、人物や行動に焦点を合わせた物語には場違いであるように思える。しかし、小説の文章というものは素晴らしく雑食的である。ありとあらゆる言説  手紙、日記、供述書、さらにはリスト  を小説は取り込んで、みずからの目的に適合させてしまう。」
p.97「登場人物は、おそらく小説中の単一の構成要素としては最も重要なものである。たとえば叙事詩のような他の形式の語りや、映画のような他のメディアも、物語を伝える上では劣らないが、人間の本性を描くときの豊かな色合い、心理的洞察の深さにおいて小説に勝るものはない。」
p.98「古い小説などによく見られるとおり、人物を紹介する最も単純な方法は、身体的特徴を描写し、出生を要約することである。」
p.99「現代の小説家は、登場人物にまつわる事実を、その言動によってさまざまに色づけし、あるいは実際にそれを通して描写しながら、徐々に提示する手法を好む場合が多い。いずれにせよ、小説中の描写はすべて選択的になされるものであり、その基本となる修辞技法は、部分で全体を表す提喩である。ジョージ・エリオットもクリストファー・イシャウッドも、それぞれのヒロインの身体的イメージを喚起するために手と顔を集中的に描き、残りの部分を読者の想像に任せている点では変わらない。」
p.99「衣服はつねに、性格、社会階級、生活様式を示す標識として役に立つ」

今日の映画308】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『私のように美しい娘(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
原題:Une belle fille comme moi
製作年:1971年
製作国:フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ベルナデット・ラフォン/アンドレ・デュソリエ/シャルル・デネル/クロード・ブラッスール
ストーリー:社会学者のスタニスラス・プレヴィン(アンドレ・デュソリエ)が出版するはずだった書物「犯罪女性」は予告が出ていたにもかかわらず、店頭に並んでいない。1年ほど前、プレヴィンは女性犯罪者の動機と心理についての論文を書くために女囚刑務所を訪れる。愛人を塔から突き落とした罪で服役中のカミーユ・ブリス(ベルナデット・ラフォン)に会い、定期的にインタビューを行う。彼女の数奇な半生を聞いていくうちに、自らも彼女の魅力に参ってしまう。彼女の無実の罪という言葉を鵜呑みにして、事件の真相を究明するために現地に飛ぶ。殺人現場を撮影していた少年をみつけ、カミーユの無罪を証明するだけの材料を入手して裁判を迎える。晴れて出所した彼女とプレヴィンが語り合っている所に昔の愛人と称する男アルチュール(シャルル・デネル)が現われ、プレヴィンは殴り倒され意識を失って・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.5、TSUTAYAは3.23、Filmarksは3.8で、私の評価は3.5とした。
 フランソワ・トリュフォーが男性社会に対する風刺的なまなざしを交えながら軽やかなタッチで描いた犯罪喜劇で、ちょっとエッチでドタバタっぽい感じもあるが、なかなか面白い作品。フランス映画ならではの作品という感じ。

今日のジャズ308】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Images
アーティスト:Phil Woods 〜 Michel Legrand And Orchestra
レーベル:RCA
録音年月日:1975.2.
曲名:@The Windmills Of Your Mind/AA Song For You/BNicole/CThe Summer Knows/DWe've Only Just Begun/EI Was Born In Love With You/FClair De Lune/Images
ミュージシャン:Phil Woods (as)/Michel Legrand (p,arr,cond)/Derek Watkins (tp)/Don Lusher (tb)/Roy Willox (woodwinds)/Armand Migiani (bass-sax)/Jud Proctor (g)/Ron Mattewson (b)/Kenny Clarke (ds)/strings/voices
/Jack Rothstein (concertmaster)
コメント:ミッシェル・ルグランとの共演によりフィル・ウッズの持ち味が最良の形で発揮された一枚。ルグランが施したアレンジはほとんどイージー・リスニング・ジャズといっていい。けれどこの作品で朗々とソロを吹くウッズに、理由はわからないが熱いものを感じる。そして近年の彼は、ウォームかつ表情豊かなプレイを全面に打ち出すようになってきた。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
<YouTubeライブ映像> 
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記

2022年09月28日

逃病日記427(22.9.28.水)

(22.9.26.月)晴れ
 今日もいそいそ自転車で散歩(散走か?)に出かけた。
 先週の土曜日と同じように、高野交差点から東大路通りを東行して白川通りに出た。その後は恵文社のある曼殊院通りではなく、修学院駅のある北山通りに出て、そこから修学院駅前の踏切を渡り、東大路通りを下がって元の高野交差点に戻ってきた。
 今日は、特に本屋などにも立ち寄らずに、ただ自転車で30分程度の街乗りをしていただけだったが、ウォーキングとはまた違う筋肉を使った感じがする。どこのスポーツジムにもエアロバイクがあるんだから、筋力運動としても効果があるんだろう。
 京都市内はそれなりの高低差のある道路が多いので、変速機付きの自転車を買っておいてよかった。特に、東行して白川通りに出る手前は、どの通りも、立ちこぎをしないと走れないほどの勾配がある。
 京都市内はどこに行くにも自転車で移動するのに適している。どの通りを入った街中にも、豆腐屋や和菓子屋など住民の暮らしに根付いている商家や京町家をリノヴェーションした喫茶店や小売店などが多く、回っていてもほんとうに飽きることがない。疏水辺りの道を走るのものどかだし、気が向けば植物園まで足を伸ばしてもいい。なにより、私にとってはいい運動にもなる。これからは、ウォーキングと1日おきぐらいにバイスクリングをするのもいいかもしれない。

(22.9.27.火)曇りのち雨
 来季の阪神タイガース監督が下馬評のとおり、岡田元監督に決定した。私の個人的な思いとしては、ベストな結果と言える。そして、その岡田監督のもとに今岡、鳥谷、藤川氏らのタイガースOBがコーチとして選ばれるだろうとのこと、今から、来シーズンが楽しみだ。ガチの阪神ファンに戻ろうかと思う。

 今日、火曜日は、いつものとおり、ヨメさんがエル・スポーツのスイミング・スクールに行っている間、9月初めから借りているTSUTAYA宅配レンタルのビデオを見ていた。今日、観たのはジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の『騎兵隊』で、「南北戦争」を舞台にした一味違った西部劇。
 Wikipediaをみると「南北戦争」の背景というのは、結構、興味深い感じがする。「共和党」の出自は、現在の支持者層の傾向からして「南軍」かと思っていたが「北軍」とのこと、意外だった。「共和党=保守党」というような一般的なイメージがあるが、南北戦争当時のリンカーン大統領は共和党で、「奴隷制度廃止」を宣言したんだった。現在の共和党の立ち位置とは真逆なイメージがあるが、我々がそのようなイメージを抱くようになった一因には、トランプ元大統領の存在があるのかもしれない。

(22.9.28.水)曇り時々晴れ
 ワイドショーなどを観ていると、最近の「旧統一教会」に関する報道について、臨時国会の開催が近づくにつれて、「円安」「物価高」「安全保障」など様々な重要な案件が控えているのに、貴重な審議時間を「旧統一教会問題」だけに費やすなというような意見が、またぞろ、出だしてきた。自民党はこのような声を背景にして、この問題をやり過ごそうとしているんだろう。
 しかし、この「旧統一教会問題」は、よく野党が政府を追求して、これまで審議が滞ることの多かった「モリ・カケ・サクラ」などの問題とはレベルが異なる、「戦後政治の根幹」に関わるような問題だと思う。

【今日の読書307※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字 
@-21『吉本隆明代表詩選』
@-23『源実朝』
A-41『昭和史 上』
B-43『数式を使わない物理学入門』
B-46『利己的な遺伝子』
B-47『物理学の原理と法則』
C-8『小林秀雄全集6/ドストエフスキイの生活』
E-23『自由対談』
F-77『カメレオンのための音楽』
F-76『夜のくもざる』
G-11『失われた時を求めて13』
H-4『パンセU』
K-20『小説の技巧』
L-5『坊ちゃん』
コメント:B-43『数式を使わない物理学入門』を読了した。元々は昭和38年5月に発行された本だったが、細胞生物学者で歌人の永田和宏氏が高校時代に読んだ本書を、折に触れて「この本に接した時の驚きとその後の進路を変えるに足るインパクトを持っていた」と話したことがきっかけとなって復刊されたとのこと。その経緯については、本書の末尾に所収されている「文庫化に寄せて」という同氏の一文で詳しく語られている。復刊に当たっては、物理学者の大須賀健氏の監修により、50年以上前に発行されて以降の物理学の急激な進展  例えば、宇宙が加速膨張していること、太陽系以外にも惑星が存在すること、アインシュタインの予言した重力波が宇宙空間を伝播すること、ニュートリノに重量があること、ヒッグス粒子が発見されたこと等の実証や発見  に即した適切な注釈が、原文を損なわないように配慮して加えられている。
 本書により、「巨大な宇宙は感覚世界の拡大図ではなかったし、また、極微の世界も感覚世界の縮小図ではなかった」ということが理解でき、「私たちが、公理であるとさえ信じていることも、私たちのせまい感覚的世界での経験的知識にすぎない場合がある」という言葉は、単に物理学の世界にとどまらない知見として受け取ることができる。
 原著者の猪木正文氏は、本書の最後を、ニールス・ボーアの「エキスパートとは、起こりうる可能性のある、すべての失敗を経験した人である」という含蓄のあることばで締め括っている。

今日の映画307】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『カポーティ(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
原題:Capote
製作年:2005年
製作国:アメリカ
監督:ベネット・ミラー
出演:ティフィリップ・シーモア・ホフマン/キャサリン・キーナー/クリフトン・コリンズ・Jr./ブルース・グリーンウッド
ストーリー:1959年、カンザス州の小さな町で、一家4人が惨殺されるという事件が起こった。ニューヨーク・タイムズ紙でこの事件を知り興味を持ったカポーティ(ティフィリップ・シーモア・ホフマン)は、幼馴染で『アラバマ物語』(映画の中ではディルという名前でカポーティが出てくる)の女性作家ハーパー・リー(キャサリン・キーナー)と共に現場に向かう。事件をノンフィクション小説の題材にしようとした彼は、取材を進める中で、自分と同様に子供時代に家族に見捨てられた死刑囚と友情が芽生え始める。カポーティは、死刑執行によって事件が完了して小説を早く完成させたいと願う一方で、死刑囚を「友人」として助けたいとも思って、気持ちが大きく揺れ動き、精神的に疲弊していき・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.5、TSUTAYAは3.22、Filmarksは3.6で、私の評価は4.0とした。
 ノンフィクション・ノベルという新たなジャンルを切り拓いたトルーマン・カポーティの傑作『冷血』誕生の秘話を描いた伝記ドラマ。この小説の発表後にカポーティが小説を書けなくなってしまった心理的な経緯を赤裸々に描くストーリーとなっている。  
 本作は2005年度アカデミー賞で作品賞、監督賞、主演女優賞、助演女優賞、脚色賞の5部門にノミネートされ、カポーティ本人に生き写しの演技を披露したフィリップ・シーモア・ホフマンが主演男優賞を受賞している。
 この作品を観るのも二回目になるが、個性豊かなトルーマン・カポーティという人物を、これまた個性豊かなフィリップ・シーモア・ホフマンが名演した。次に、U-NEXTで『冷血』を、再度、観るつもりだが、これにはトルーマン・カポーティという人物は出ていなかったと思う。二人の犯人のキャスティング  特にペリー・スミスを演じたロバート・ブレイク  は、本作の方が良かったような印象がある。

今日のジャズ307】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Blues For Dracula
アーティスト:Philly Joe Jones
レーベル:Riverside/ビクターエンターテインメント/Fantasy
録音年月日:1958.9.17
曲名:@Blues For Dracula/ATrick Street/BFiesta/CTune Up/DOw!
ミュージシャン:Nat Adderley (cor)/Julian Priester (tb)/Johnny Griffin (ts)/Tommy Flanagan (p)/Jimmy Garrison (b)/Philly Joe Jones (ds)
コメント:1958年に録音された本作では、こまわりの効くトラマーに成長したフィリー・ジョー・ジョーンズによる見事なハード・バップ・ドラミングが堪能できる。シンバルとスネアのコンビネーションに無理がなく、そこから生み出されるビートが演奏にグルーヴを与えていく。派手なプレイはしないものの、イブシ銀のようなサポートが光り輝いている名作。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記

2022年09月25日

逃病日記426(22.9.25.日)

(22.9.24.土)晴れ
 今日の朝日新聞『読書』欄等で私が気になった本は次の4冊。
  @『旧約聖書がわかる本』並木浩一・奥泉光(河出新書)
  A『縄文人と弥生人』坂根徹(中公新書)
  B『パリの空の下で、息子とぼくの300日』辻仁成(マガジンハウス)
  C『宇宙を動かしているものは何か』谷川義明(光文社新書)
  D『本物の読書家』乗代雄介(講談社文庫)
 上記の@とCは、書評ではなく書籍広告に載っていた本。Dについては、今日、恵文社に寄ったら平積みで置いてあったので、チラッと立ち読みしたが、買うまでには至らなかった。@〜Cは、恵文社には置いてなかったので、明日にでも大垣書店で確かめてみようと思う。

 今日は午後から、買いたての自転車で上記のとおり恵文社まで行ってきた。高野交差点から東大路通りを東行して白川通りへ出て北上、曼殊院通りと交わるところを左折して西行し、京福電鉄の一乗寺駅の踏切を越えるとしばらくすると恵文社に行き着く。
 これを歩いて行くと30分近くかかるかもしれないが、自転車なので10分足らずで行き着いた。ええトシこいて、新品の自転車に乗るとワクワクする。恵文社の店内は、土曜日ということもあってかなり人がいたが、若者だけではなく、結構、ジジババもいる(私もそのうちの一人だが)。ザッと店内をひと回りして、上記の『本物の読書家』を手にとって品定め。
 このほか、岩波文庫版の太宰治『右大臣実朝』があったので立ち読みしたが、難読漢字にふりがなが打ってある。実朝関係の著作の多くは『吾妻鏡』や『愚管抄』に拠っている。吉本隆明の『源実朝』では、この二著からの引用は現代語訳になっているが、Kindle版の太宰『右大臣実朝』では、太宰自身の本文は旧仮名遣い、二著からの引用は漢文読み下し文になっていて、いずれの難読漢字にもフリガナがついていないので読みづらい。買おうかなとも思ったが、それではKindleで読んでいる意味がなくなるので、さて、どうすべえかな。

 大谷投手が、14勝をゲット。ツインズの地元の米中部ミネソタ州ミネアポリスでの試合だったが、当日の現地の天候は小雨混じりで、大谷投手も指先に息を吹きかけてながらの投球で、見てるとなんかとても寒そうな感じ。それでも14勝をゲットして、規定投球回数クリアーも現実味を帯びてきた。

(22.9.25.日)晴れ
 今日は、昨日の朝日新聞『読書』欄などで見かけた本を確認するために大垣書店に立ち寄った。昨日、チェックしたうち、@『旧約聖書がわかる本』とC『宇宙を動かしているものは何か』を購入した。他に、以前、どこかの書評か書籍広告で見かけた高橋源一郎『ぼくらの戦争なんだぜ』(朝日新書)があったので購入した。A『縄文人と弥生人』とB『パリの空の下で、息子とぼくの300日』は大垣書店には見当たらなかった。
 この後、歩いて恵文社へ行って、昨日から気になっていた岩波文庫版の太宰治『右大臣実朝』を、結局、購入してしまった。この岩波文庫版の『右大臣実朝』は、だいぶ以前に発行さえたものと思っていたが、奥付を確認すると今年の8月10日だった。帯には「大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場」とあったので、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を当て込んでの発刊ということのようだが、なんとなく「岩波」らしくない感じ・・・・・・

【今日の読書306※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字 
E-23『自由対談』
F-76『夜のくもざる』
I-35『私の文学史』
K-20『小説の技巧』
L-5『坊ちゃん』
コメント:LのKindle端末の『吾輩は猫である』の次は、当初、太宰の『右大臣実朝』にしていたが、岩波文庫版の太宰治『右大臣実朝』  難読漢字にふりがなが付いているため読み易い  を購入したので、LのKindle端末の方は引き続いて夏目漱石にし、L-5『坊ちゃん』を読むことにした。岩波文庫版の太宰治『右大臣実朝』の方は、「I 書店の平積みや書籍広告などで興味を持った本(ジャンルは問わない)」のカテゴリーとして、吉本隆明の@-23『源実朝』を読み終えてから、読むことにする。
 なお、I-35『私の文学史』は、町田康の著作だが、これも大垣書店の平積みで見つけ、買ってすぐ読み始めて、もう読み終えてしまった。町田康については、以前、『告白』を読んだことがあるが、非常に面白かった記憶があったので、今回、本書を手にとった。パンク・ロッカーから芥川賞作家という異色の経歴だが、この『私の文学史』は、なんかイマイチという感じで、いささか拍子抜けした。

今日の映画306】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『隣の女(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
原題:La Femme Dacote
製作年:1981年
製作国:フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ジェラール・ドパルデュー/ミシェール・ボームガルトネル/アンリ・ガルザン/ファニー・アルダン/ヴェロニク・シルヴェル
ストーリー:32歳のベルナール(ジェラール・ドパルデュー)は、妻アルレット(ミシェール・ボームガルトネル)と幼ない息子と平穏な日々を送っていた。ある日、隣にボーシャール夫妻が引っ越してきた。夫のフィリップ(アンリ・ガルザン)は、空港に勤めるベテランの菅制官である。美しい妻マチルド(ファニー・アルダン)は、フィリップとはかなり歳が離れていた。しかし、彼女が隣人であるベルナールに向ける表情は、何かを含んでいた。彼らが引っ越して来た翌日マチルドはベルナールに電話した。実は二人は、昔、恋人同士だったのだ。電話の内容は、お互いの相手に、自分たちの過去を打ち明けたか、ということだった。翌日、ボーシャール夫妻を夕食に招いたとアルレットから聞いたベルナールは、ジューヴ夫人(ヴェロニク・シルヴェル)の家から電話し、仕事で帰れないと嘘をついた。ジューヴ夫人は、20年前に愛していた男に裏切られ、そのために窓から飛びおり杖をつく身となっている中年女性で、恋の痛手をベルナールに話して聞かせた。しかし、ベルナールとマルチドは、お互いに罪の意識を持ちながらも、旧交を取り戻し・・・・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.3、TSUTAYAは3.33、Filmarksは3.7で、私の評価は3.5とした。
 この作品と多少似通ったシチュエーションの『危険な情事』の場合は、男のスケベ心が事の発端だった。本作の場合は、現在は各々の家庭を持っているが、かつて深い恋愛関係にあった男女の一方が、隣に引っ越してきたというシチュエーション。やはり、こういう結末に至った要因は男のスケベ心という気がする。このような状況に落ちいた場合、多くの男性はスケベ心が起きるように思う。しかし、少し踏みとどまって想像力を働かせれば  本作品のような結末は極端としても  結果として何らかの“刃傷沙汰”に巻き込まれることは想像がつくはずで、普通ならそこでブレーキがかかると思うんだがなぁ・・・ウ〜ン・・・破滅願望というのもあるからなぁ・・・、ほんと、他人事とは思えんわ・・・・・・

今日のジャズ306】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Harlem Blues
アーティスト:Phineas Newborn Jr.
レーベル:Contemporary/ビクター音楽産業/Fantasy
録音年月日:1969.2.12/1969.2.13
曲名:@Harlem Blues/ASweet And Lovely/BLittle Girl Blue/CRay's Idea/DStella By Starlight/ETenderly/FCookin At The Continental
ミュージシャン:Phineas Newborn Jr. (p)/Ray Brown (b)/Elvin Jones (ds)
コメント:残された作品は多くないが、いずれも高い評価を得ていたのが個性はピアニストのフィニアス・ニューボーン・ジュニアである。とりわけこの作品は、持ち前のブルース・フィーリングが良好な形で発揮された名盤としていまも高い人気を誇っている。タイトル曲での奔放なブルース表現。そこに、このピアニストの魅力と創造性が息づいている。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
 同じ『JAZZ隠れ名盤100』からジュニア・マンス (p) のコメント「フィニアスは右手のタッチに独特のものがある。このアルバムもその典型で、強弱がひとつのフレーズの中に混交されている。強いタッチでも柔らかいタッチでも、ある程度の長さを一定に保つのが普通だ。突然ピアニシモになったりフォルテシモになったりすることはあっても、タッチの強さを連続的に変えることはしない。フィニアスはそういうことをやって、トレモロのような響きを生み出す。それが彼ならではのブルース・フィーリングにつながっている。フィニアスは閃きの人だと思う。話をしていてもそうだ。突然、まったく違うところに話が飛ぶ。彼の中では理路整然とその話に写っているんだろうが、突如、まったく違うところに話が飛ぶ。彼の中では理路整然とその話に移っているんだろうが、こちらにはわけがわからない。プレイも同じだ。急展開というより、ワープしたような印象を覚える。そこに、わたしは大きな魅力を感じている。このアルバムではタイトル曲がその時代だ。こんなブルースはフィニアスにしか弾けない。通常のブルース展開は最初だけで、あとはとんでもない飛躍の連続になるからね。それこそ彼の独壇場じゃないか。」
 本アルバムは、めずらしく、Amazon Music Unlimted では配信されていなかったので、YouTubeの『Harlem Blues』で聴取した。音もなかなかいい感じだった。
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記