(22.7.30.土)晴れ
今日の京都の気温は36度だと、こりゃたまらんわな。それでも、人工膝関節での歩行に少しでも早く慣れようと思って、夕方になってから近くの大垣書店やイズミヤに出かけた。
大垣書店では、今朝の朝日新聞『読書』欄で取り上げられていた『生命の大進化40億年史 古代生物編』(講談社ブルーバックス)を手にとってみたが、買うまでには至らずという感じ。
私の知り合いで、先に人工膝関節置換術をした人が、やはり、少し異和感があると言っていたが、私自身も、確かにそんな感じがする、というのが実感。多分、外部には音は出ていないだろうと思うので、「骨音」というんだろうか、歩行に合わせて「カツカツ」と関節の音が聞こえる、と言うより感じると言った方がいいのかもしれない。
夕方とは言え、根っからの汗かきなので外を歩くと汗だくになるが、杖を持って歩いているのでタオルハンカチで汗を拭うのも、なんか、もどかしい感じだ。この時期、やはり、洛北阪急スクエアを歩くのが 涼しいだけではなく、3フロアあって距離も稼げるので 一番いいのかもしれない。
(22.7.31.日)晴れ
今日も朝から暑そうな日差し。
『サンモニ』の後は、MHK-BSのメジャー・リーグ中継にチャンネルを切り替える。
大谷選手のトレードはどうなるんだろうなぁ、打者としてのホームラン数は完全に個人成績と言っていいと思うが、投手成績の方は、三振奪取や防御率は個人のパフォーマンス如何によるが、勝敗数はチーム力による部分が大きいだろう。ましてトラウトの負傷欠場が続く状況を考えると、大谷投手が好投しても、なかなか点数が入らないだろうし、エンぜルスのリリーフ陣の状態を考えると、勝星をゲットできる確率 なんとか10勝はできるとしても は低いだろう。
ドジャースぐらいに移籍した方が、15勝ぐらいは確実に稼げるだろうし、ポストシーズンにも進出して活躍できるだろうから、大谷選手にとってはいいんじゃないだろうか。エンゼルスでのマトン監督等によるリアル二刀流としての起用法に感謝するにしても、このままだと大谷選手の一世紀に一人というほどの稀有な才能を十分に発揮できずに終わってしまう。
今日も夕方になってから、洛北阪急スクエアをウォーキングしてきたが、さすがに日曜日ということで人が多い印象だ。特に家族連れが目立った。土曜・日曜日は、そろそろ恵文社辺りまで足を延ばそうかな。
【今日の読書282】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
G-12『失われた時を求めて12』
H-3『パンセU』
K-19『サスペンス小説の書き方』
L-4『吾輩は猫である』
コメント:G-12『失われた時を求めて12』は、入院中、中断していたので、筋が思い出せないというか、そもそも、主人公(プルースト)と別れたアルベルチーヌとのことや、以前、親しかったジルベルトのことなどがダラダラと綴られていて、まあ、筋らしい筋もないといえばないんだが・・・・・・。
GとHは、元々、就寝前に読む本なんだが、最近は、土曜・日曜日に限ってKindleのL-4『吾輩は猫である』を読むようにしていた。ところが、退院後、8月17日の次の整形外科の外来までは、感染防止のために入浴が禁止され、シャワーで済ませているので時間が余るため、GとHとLを併読している。
【今日の映画282】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『華麗なるギャツビー』(U-NEXTで視聴)
原題:The Great Gatsby
製作年:1974年
製作国:アメリカ
監督:ジャック・クレイトン
出演:ロバート・レッドフォード/ミア・ファロー/ブルース・ダーン/サム・ウォーターストン
ストーリー:ニューヨーク郊外のロングアイランドのウェストエッグにあるその大邸宅では毎夜、豪華絢爛な饗宴が繰り広げられていた。近隣やニューヨークから着飾った大勢の男女が訪れ、軽快な音楽に合せてダンスを踊り、シャンペンが何本も抜かれ、何人ものコックが大量のご馳走を作り、給仕達が忙しく、大広間、芝生の庭、プールの回りを駆け回っていた。ニック・キャラウエイ(サム・ウォーターストン)はある夜その喧騒が静まった静寂の中、じっと佇み、海の向こうの緑色のランプを見つめる男を見かける。その男はギャツビー(ロバート・レッドフォード)、かつての恋人デイジー(ミア・ファロー)に再会するために盛大なパーティを毎夜繰り返していた。数年前、大富豪の娘であるデイジーと軍人のギャツビーは愛し合うようになるが、ギャツビーは戦場に行き、帰ってきても無一文の貧乏青年だった。デイジーはギャツビーをあきらめ、大金持ちのトム・ブキャナン(ブルース・ダーン)と結婚してしまう。1920年代の繁栄するアメリカの中でギャツビーは成功を収め巨万の富を得て、デイジーの愛を取り戻そうとする。ギャツビーはニック・キャラウエイの手助けによりデイジーとの再会を果たす。夫への愛が冷めていたデイジーも過去の愛を思い起こしていく。デイジーの愛を再度得たギャツビーはトムと別れることを望むが、デイジーは決心がつかず、ギャツビーとトムの口論に取り乱し、部屋を飛び出す。後を追うギャツビー。その帰り道に事故が起きる。愛のため自分を犠牲にすることを厭わないギャツビーだったが、悲劇は事故だけでは終わらず、思わぬ方向へと・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.3、TSUTAYAは3.14、Filmarksは3.6で、私の評価は3.8とした。
第一次世界大戦後の失われた世代の代表的作家、F・スコット・フィツジェラルドの原作をロバート・レッドフォードとミア・ファローの主演で映画化した作品。2013年にレオナルド・ディカプリオ主演で再映画化されたが、本作品の文芸作品としての格調の高さには遠く及ばない。
【今日のジャズ282】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:African Piano
アーティスト:Dollar Brand
レーベル:Japo Records
録音年月日:1969.10
曲名:@Bra Joe From Kilimanjaro/ASelby That The Eternal Spirit Is The Only Reality/BThe Moon/CXaba/DSunset In Blue/6Kippy/FJabulani - Easter/GTintinyana
ミュージシャン:Dollar Brand (p)
コメント:ダラー・ブランドはアフリカの大地を思わせる雄大なスケールとフォーク・タッチのプレイに特色がある。そこにジャージな響きも加えて、彼はたった一台のピアノで壮大な音世界を現出させていく。〈Bra Joe From Kilimanjaro〉では、マル・ウォルドロンに通ずる執拗な繰り返しのパターンから演奏を独自の形で徐々に発展させていく手法が印象的。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
同じく『JAZZ隠れ名盤100』から、マル・ウォルドロンのコメント「ダラー・ブランドのソロ・ピアノ・アルバム。現在の彼はアフリカン・ネームのアブドゥーラ・イブラヒムを名乗っているが、彼はダラー・ブランドのころから、この作品のようにアフリカン・フレイヴァーを全面に打ち出した演奏で個性を発揮してきた。わたしのプレイと似ているって?そうかな?自分じゃわからない。盛り上がりの少ない展開(笑)が似てるかな?淡々とプレイしているしね。わたしはそれほど感情をむき出しにしない。エモーションは誰より強く込めているつもりだけれどね。そこが似ているかもしれない。でも、音楽的にはそれほどの共通点はないと思うよ。テクニックも表現力もダラーの方が上だし、音楽の世界がまったく違う。ジャスというよりフォーク・ミュージック的だものね。」
<YouTubeライブ映像>