2022年06月29日

逃病日記388(22.6.29.水)

(22.6.27.月)晴れ時々曇り
 左膝に人工関節を入れたら、たぶんベッドを利用しないといけないんだろうなぁ、と思ってAmazonや検索サイトでいろいろと調べていた。数年前にリフォームしたときに、壁面を作り付けの本棚にしたので、今、夜中にトイレなどに行くときは、その本棚の棚を支えにして立ち上がっている。しかし、人工膝関節の場合は曲がる角度に制限があって起き上がり難いと思われるので、ベッドを利用することにした。ただ、3DKで夫婦二人暮らしだが、数年前のリフォームで、私がつかていた部屋は、窓側と入口と押入のある側以外の東西側の壁面の床から天井まで全面を書棚にし、八畳間はヨメさんの占有状態になっている。もう一部屋は、キッチンと合わせてLDKとして使用しているので、普通のベッドは置きにくいため、結果的に、選択は折りたたみベッドになってしまった。
 Amazonではなく、ニトリや他の家具メーカーのサイトを見ていて、なんとなく、当方のチョイスにピッタリな感じのタイプを見つけ、購入予定のベッドをほぼ決めていた。ヨメさんに「こんなベッドや」と言ってPC画面を見せると、「退院したらすぐにいるんやから、もうたのんどいたらええんちゃう」とのこと、そんなこんなで、勢いで、今週の木曜日着で発注してしまった。組立ては、1時間程度でできるとのことなので、そんじゃまあ、ヨメさんに手伝ってもらって、入院前に設置するかな。

(22.6.28.火)晴れ
 エッ!もう、梅雨明け?どないなってんねん!ってな感じだが、さしづめこの夏は、「水不足」で苦しめられる夏になりそうだ。電力不足はすでに始まっているようだが、加えて水不足なんて、誰彼問わずこの夏は「どないなってんねん!」ということになりそうだ。
 人一倍の“暑がり”で、“汗かき”の私としては、入院する病棟がクーラーでギンギンに冷えていて欲しいと願うばかり。
 たぶん病室は四人の相室になるだろう。相室については、4年半前の基礎疾患での入院の時にエライ目にあった。4人室で各ベッドをカーテンで仕切っただけ。大きな音を立てると他の入院患者に迷惑がかかると思って、痰が喉に引っかかった時などにも、なるだけ咳をしないように我慢していたら、痰が喉に詰まり窒息しかかった経緯がある。喉の気管切開した箇所は退院後6ヶ月ぐらいかかって塞がった  切開して直径1cmぐらいの穴が空いていたが、縫合をしないで傷が自然に塞がるような処置だった。穴は塞がったものの、喉仏の下の辺りに傷痕があり、当然、同じ位置の気管内壁も傷痕があ理、滑らかな状態ではないので、そこに痰が引っかかりやすい。その時は異和感があって、どうしても咳が出てしまう。まあ、そんなこんなで、以前ほど酷い咳は出ないが、今回の入院では、必要以上に気を使わないようにしようと思っている。

(22.6.29.水)晴れ
 今日は、K大病院入院前の術前のPCR検査するため、自宅で検体を採取して病院に届けなければならなかった。
 当初は自分で検体を持っていくつもりだったが、ヨメさんが病院へ持って行ったげるわ、と言ってくれたので、クルマで送って行った。川端丸太町の娘一家の留守宅の郵便ポストに入っているチラシ類  普通の郵便はわが家に転送届を出している  を回収し、その後で病院に回ってヨメさんを降ろすことにした。検体を届けるだけといっても、通常の外来受診を同じような手続きをする必要があり、どのぐらい時間がかかるのか分からなかったので、ヨメさんを降ろしてから、私はすぐに自宅に帰った。
 この検査で異常があれば、入院が延期されるんだろうが、発熱のなどの兆候もないので、まず大丈夫だろう。

【今日の読書278※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字 
@-21『吉本隆明代表詩選』
A-39『バブル経済事件の深層』
B-43『数式を使わない物理学入門』
B-44『ダーウィンを超えて』
C-7『小林秀雄全集5/文藝批評の行方』
D-11『吉本隆明をよむ日』
E-22『二つの同時代史』
F-72『君たちはしかし再び来い』
F-74『冷血』
G-11『失われた時を求めて12』
H-4『パンセU』
K-19『サスペンス小説の書き方』
コメント:B-44『ダーウィンを超えて』を読了した。今西錦司と吉本隆明の対談集だが、40年以上前に発行されたとはいえ、示唆に富む意見  印象に残った言説を抜粋し、本欄で何回かに分けて掲載している  が多く、ダーウインの進化論に対する適切な距離のとり方の参考になった。次は、遺伝学関係の本でブライアン・サイクス『イヴの七人の娘たち』(河出文庫)にした。
 F-72『君たちはしかし再び来い』も読了した。朝日新聞『読書』欄の金原ひとみさんの巧みな書評「不思議な小説だ。読み始めてすぐに思う。これはちょっとおかしい小説だ。読み進めるうちにそう確信する。(中略)本書はそんな小説への謎が人類の謎を呼び、さらには世界の謎にまでじわじわ浸透していく類稀な一人称小説だ。(中略)『私は何を読んでいるんだろう』という疑問はきっと『私な何故生きているのだろう』と同義で、答えがないことを知った上で、人はこうも複雑で突拍子も掴み所もない思考の中で生き続けるのだという事実に、私たちは本書を通して痛烈に直面する。読み終えた時に残ったのは、『生きた』という初めての感想だった。」に吊られて読むことにしたんだが、言うほどの小説とは思わなんだ。一種の実験小説なんだろう。騙されたとまでは言わんが、まあ、私に感受性がなかったということにしておこう。次に読む本は、このFのカテゴリーは「小説一般」だが、入院中は、カポーティの『冷血』の他にKindleで漱石を読むつもりなので、予定していた村上春樹の短編集は退院後に延期した。
 最終的に入院中に病院に持って行く本は、Kindle以外に、@『二つの同時代史』(大岡昇平/埴谷雄高)A『冷血』(T.カポーティ)B『イヴの七人の娘たち』(ブライアン・サイクス)の3冊にした。

今日の映画278】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『フロントランナー(U-NEXTで視聴)
原題:The Front Runner
製作年:2018年
製作国:アメリカ
監督:ジェイソン・ライトマン
出演:ヒュー・ジャックマン/ベラ・ファーミガ/J・K・シモンズ/アルフレッド・モリーナ
ストーリー:1988年アメリカ大統領選挙。ゲイリー・ハート上院議員(ヒュー・ジャックマン)は、史上最年少の46歳で民主党の大統領候補となり、予備選で最有力候補として一気に躍り出た。その若さからジョン・F・ケネディの再来と称され、大衆からも愛されていたハートの状況を一変させる出来事が起こる。アイアミ・ヘラルド紙の記者が入手したハートに関する「ある疑惑」。このスキャンダルが一斉に報じられたことで、ハートの支持率は急落し、予備選の当落線上から姿を消すことになってしまう。
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.1、TSUTAYAは2.78、Filmarksは3.2で、私の評価は3.0とした。
 本作品は、『ペンタゴン・ペーパーズ』を観て、トム・ハンクスが演じたワシントン・ポスト紙の主幹のベン・ブラッドリーに関心を持ち、『大統領の陰謀』でベン・ブラッドリーを演じたジェイソン・ロバーズを思い出した。それで、Wikipediaなんかを見ていたら、フロントランナーでも彼が描かれているということでこの作品を観たが、本作品では些か影が薄い印象だった。アルフレッド・モリーナは、ちょっとベン・ブラッドリーのイメージに合わない感じだ。まあ、もともと、最初の『大統領の陰謀』のジェイソン・ロバーズでベン・ブラッドリーのイメージが出来上がってしまっているということもあるだろう。おそらく、トム・ハンクスも『ペンタゴン・ペーパーズ』でベン・ブラッドリーを演じる際にはジェイソン・ロバーズの演じるベン・ブラッドリー参考にしたような気がする。
 ということで、また『大統領の陰謀』を観たくなってきたが、先日、NHK-BSで放映していたのを録画しておいたのを観ることにしよう。NHK-BSはデジタルリマスター等の修復版がメインなので、U-NEXTやPrimeVideoに比べると映像がキレイな作品が多い。

今日のジャズ278】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Plays Duke Ellington
アーティスト:Thelonious Monk
レーベル:Riverside
録音年月日:1956.7.21/7.27
曲名:@It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)/ASophisticated Lady/BI Got It Bad (And That Ain't Good)/CBlack and Tan Fantasy/DMood Indigo/EI Let a Song Go Out of My Heart/FSolitude/GCaravan
ミュージシャン:Thelonious Monk (p)/Oscar Pettiford (b)/Kenny Clarke (ds)
コメント:特異なプレイと音楽性で独特のポジションを獲得しつつあったセロニアス・モンクが、そのスタイルを完成させる上で強く影響をうけたデューク・エリントンの曲を取り上げる。モンクとエリントンの音楽には、タッチやメロディ・ライン、和音の使い方など多くの点で共通項があった。それでいて、ここではモンクにしかできない演奏が記録されている。この個性とオリジナリティを聴けば、彼が乗りに乗ってピアノを弾いていたことがわかる。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
 同じ『JAZZ隠れ名盤100』から大西順子 (p)のコメント「これモンクじゃない?わたし好きなんだよね、モンクって。これは彼がエリントンの曲をやっているレコードでしょ。実は今度のアルバムで〈キャラヴァン〉をレコーディングしたんだけれど、あれってこの演奏からヒントを得ているの。ベース・ラインなんか大分参考にさせてもらった。それからケニー・クラークのドラムスがちょっとルンバぽいんだけれど、ビリー・ヒギンスも似た感じでやってくれたし、これ聴いていると、アー、幸せになれるって感じよね。この作品はフェイヴァリット・アルバムといってもいいわ、相当聴いているから。この曲〈キャラヴァン〉と〈黒と茶の幻想〉が好きなの。〈黒と茶の幻想〉は、デュークの演奏とはまったく違うでしょ。デュークはジャングル・サウンドでやっているけれど、モンクはもっと別のサウンド  クールな感じでやってる。デュークの演奏も素晴らしいし、それ以上にこのモンクは本当にかっこいい。別の曲をやってるみたい。タッチについていうなら、軽いのか重いのかわからない。ヴィデオで観ていたら、普通、高音部の和音は右手でトップで左手を下にしてガチャッてやるんだけれど、彼は腕をクロスさせて左手をトップに持ってきたりするの。あれが謎なんですよね。どうしてああややるんだろうってずっと思っているんだけれど、いまだにわからない(笑)。でもモンクがやっていることには常に理由があるから、あれも彼なりにちゃんとした理由があるんだろうと思う。でもわからないの。モンクで凄いなって思うのは間じゃないかしら。彼は音の数が少ないでしょ。しかも間の取り方が凄い。あれですべてを語るっていうか、耳をそばだててしまうわね。一番凄いのはソロ・ピアノのときね。普通ならソロだとハーモニーをゴージャスにするんだけれど、彼は逆。シンプルで、しかも音数が少ない。それでいて最高に聴かせてくれるのよ。」
<YouTubeライブ映像>
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2022年06月26日

逃病日記387(22.6.26.日)

(22.6.25.土)曇り時々晴れ
 今日の午前中は、NHK-BSで大谷選手の活躍を観ながら、入院日も近づいてきたので、「入院保証書」等の必要書類の記入をしていた。
 「身元引受人」はヨメさんでいいとして、「連帯保証人」は、患者と別世帯の者でないといけないので、東京在住の息子にLINEメールで、正式な「勤務先名」とそこの「勤務先電話」を問い合わせた。息子の勤務先は、TVコマーシャルや新聞広告でもよく見かけるハウスメーカーで、通称名もポピュラーだが、正式な社名と勤務部署の電話番号を連絡してくれるようにメールしたら、名刺を写メして送ってきた。役職名と氏名に並んで「一級建築士」「一級建築施工管理技士」と印刷されている。私が退職後に取得して、名刺に印字していた資格「特定社会保険労務士」よりは、まあ、はるかに輝いて見える。
 生年月日も念のために確認したが、何とか間違っていなかった。「お父さん、自分の息子の生年月日も知らんのかいな」と言われんですんだ。
 以上の書類の他にも、病衣の「事前申込書」や「誓約書」など、結構な書類を書かんならんもんだ。
 今日は、とりあえず、入院時の書類の作成だけにしておいた。明日は、前回の入院で必要だなと感じた、ベッドサイドで用いる物品などを揃えてみて、足らないものを近くの洛北阪急スクエアかイズミヤに買いにいくことにした。

(22.6.26.日)曇りのち晴れ
 連日、暑い日が続くが、少しでも歩いたほうがいいと思って、近隣をうろつき、まずは、大垣書店に立ち寄った。特に買いたい本はなかったが、入院中の病棟で読もうと思って、少しだけ読み始めていたT.カポーティ『冷血』が、かなり前に発行された本なので、活字が細かくて読みづらい感じだった。それで、もし大垣書店に活字の大きな新版があればと思って書棚を見ると、あった、あった。
 書棚にあったは、佐々田雅子訳の平成18年発行の新版で、私の所持していたのは、昭和53年発行の龍口直太郎訳の平成13年の23刷版だった。
 いつ頃からだったろうか、新聞活字が読みやすいように大きくなったが、それに慣れてしまったということもあるんだろう。この『冷血』も活字が大きくなったことで、だいぶ頁数が増えているのかと思ったが、意外にも30頁ほどしか増えておらず、厚さは逆に薄くなっている。薄い用紙でも破れにくくて、文字が裏に映らないような用紙が開発され、使われているんだろう。
 家に持ち帰って中を見てみると、旧版と新版では訳者が違うということもあるが、それだけではなく、訳文に「時代の相違」というものを多少感じた。
 最初の書名の裏頁の「献辞」が、新版では「〇〇へ愛と感謝をこめて」とあるが、旧版では「〇〇にわが愛と感謝をこめて捧ぐ」と、なんとなく表現が古臭い。「謝辞」冒頭の文章が、新版では「本書の素材は、わたし自身の観察によるものを除けば、すべて、公の記録か、直接の関係者とのインタヴュー、それも多くは相当の長期にわたって何度となくなされたインタヴューから得られたものである。」とあるが、旧版では「本書の中の材料で、私自身の観察によらないものはすべて、公の記録から取ったか、もしくは、直接関係した人々とのインタヴュー、むしろ相当長い期間にわたって行われた無数のインタヴューの結果から生まれたものである。」となっていて、なんとなく直訳めいた表現で、少し堅苦しい印象がある。
 大垣書店のあとはイズミヤの中にあるキャンドゥーに寄って、入院中に必要と思われる細々とした品物を買って帰った。

【今日の読書277※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字 
G-12『失われた時を求めて12』
H-3『パンセU』 
K-19『サスペンス小説の書き方』
L-4『吾輩は猫である』
コメント:前回に続けて、B-44『ダーウィンを超えて』から、印象に残った言説を抜粋した。なお、前回と同様、(今)は今西錦司、(吉)は吉本隆明の発言を示すが、実際には今回も、今西錦司の発言からだけの引用になった。
p.20(今)「人間が新たにつくりはじめた一つのシステム、それを生態系といってもええけれども、農耕の開始以後ある意味で人間は、自然のシステムに謀反して、人間のシステムというものに移っていったんです。いずれにしても自然のシステムは、32億年の進化史を背景にもった壮大な構築物であるから、これと比べたら、まだせいぜい1万年ぐらいしかたっていない人間のシステムには、いろいろな点で欠陥があってもやむをえない。ところでその人間システムを取りあつかったマルサスの理論を、いきなり自然のシステムに適用しようとしたところに、今日から見ればダーウィンの行きすぎがあったといえるでしょう。」
p.21(今)「ダーウィンのいっている個体間の差異というものは彷徨変異といいまして、その後、進化には寄与しない変異だ、と考えられるようになった。」
p.21-22(今)「私の進化論のいちばんの特徴は、種から出発しているということでして、種というもは無機の世界であったら元素に匹敵するものなんです。これが生物の世界における基礎的なユニット、私はそこから出発した。(中略)ダーウィンが進化の拠点とした個体差などというものは、そこに多少の優劣があったからといっても、優者が必ず生き残れるという保証はどこにもないんです。」
p.21(今)「ダーウィンの進化論は緻密なように見えながら、じつは中心的なところで非常に観念的ということになるんです。」
p.29-30(今)「ダーウィンの立場を考えると、彼は二つの問題をかかえて苦労したんですね。一つは、生物は神がつくったものではなくて自然に進化してきたものだということ、換言すれば、進化は自然現象であり、自然の事実であるということを、一般に認めさそうかということです。そのために、『種の起源』の第七章以下で、いろんな面からいろいろな事実を引き合いに出してきて、進化は事実であるということを納得さそうとした。そして、それを系統という点から一貫させようとした。これはダーウィンの残したたいへん大きな功績であったと、いまでもわれわれは認めています。しかし、これとは別にもう一つ、それなら進化はどういうプロセスで起こったか、という問題があったのです。こちらは理論です。自然選択説はダーウインの出した理論なんですね。『種の起源』の第四章までの部分がこれに当たります。この二つ、すなわち進化が事実であることを明らかにしようとした後の部分と、進化がいかにして起こったかというはじめの理論的部分とは、関連がないわけではないけれど、一応別々にお考え願わねばならないのです。」
p.36(今)「ダーウインの考えやったら、種はいつでも、生存競争があるかぎりは、生まれてこなければならないし、それと同時にたえず滅びる種もあるということになりますけれども、ダーウインはじっさいは、斉一説に徹底することができなかった。」
p.(今)「全地球上のすべての場所に同じ生物が発生したと考えるよりも、ある非常に好適な条件のところにはじめて生物が発生して、それがひろがったと考えた方が、無難じゃないでしょうか。」
p.39(今)「人類に言語ができてくるのは、人類の大脳がある程度まで発達し、言語を用いるに耐えられるような構造になったときです。絶えられるような構造になるということは、人類が一種類である以上、多少の時間的なずれはあっても、世界じゅうに分布しているどこの人類にも起こってるんですね。それではじめてこれだけさまざまな言語というものが存在するようになった。ダーウインのいうように、言語を一つの系統にまとめようという試みは、いまでもないとはいいませんが、結局徒労に終わるでしょうね。」

今日の映画277】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『孤狼の血  LEVEL2(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:  
製作年:2021年
製作国:日本
監督:白石和彌
出演:松坂桃李/鈴木亮平/村上虹郎/西野七瀬
ストーリー:亡き先輩刑事・大上の後を継いだ刑事・日岡(松坂桃李)は、汚い手段もいとわず広島の裏社会に安定をもたらすために奔走していた。そんなある日、上林成浩(鈴木亮平)という男が7年の刑期を終え出所する。上林は自分が服役中に殺された五十子会長の仇をとることに執念を燃やし、原因となった抗争の黒幕を突き止めようとしていた。そんな上林の常軌を逸した暴走で、かろうじて保たれていた裏社会の秩序が崩れ始めるのだったが・・・・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.7、TSUTAYAは3.15、Filmarksは3.9で、私の評価は3.5とした。
 白石和彌監督が映画化し大ヒットしたやくざ映画「孤狼の血」の続編。大上の後を継いで広島の裏社会を抑え込んできた一匹狼の刑事・日岡と、彼の前に突如として現れ、圧倒的な残虐性で混沌をもたらす非道な最凶モンスター上林との壮絶な戦いの行方を描く。
 凄まじい映画という感じだ。特に鈴木亮平が演じる上林の迫力がハンパない。前々から思っていたが、鈴木亮平の演技力が突出している。鈴木亮平は役作りのために、結構、体重を落としたりするらしいが、今回も“頬骨”のあたりが、だいぶ絞っているという感じがした。

今日のジャズ277】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:The Swinger From Rio
アーティスト:Sergio Mendes
レーベル:Atlantic/East West Japan
録音年月日:1964.12.7/1964.12.8/1964.12.9
曲名:@Maria Moita/ASambinha Bossa Nova/BBatida Diferente/CSo Danco Samba/DPau Brazil/EThe Girl From Ipanema/FUseless Panorama/GThe Dreamer/HPrimavera/IConsolacao/JFavela
ミュージシャン:Sergio Mendes (p)/Antonio Carlos Jobim ( Tom Jobim ) (g)/Tiao Neto (b)/Chico De Souza (ds)/Art Farmer (flh)/Phil Woods (as)/Hubert Laws (fl)
コメント:ブラジル’66で人気になったセルジオ・メンデスだが、その〈マシュ・ケ・ナダ〉が大ヒットしているころに、ポップス路線から離れてこのようなボサノヴァ集も残していた。こちらはアントニオ・カルロス・ジョビンまで迎えた本格派で、フィル・ウッズやアート・ファーマーも美しいソロを聴かせてくれる。ピアニストの真価を聴きたい向きにお薦めの一枚。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
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2022年06月24日

逃病日記386(22.6.24.金)

(22.6.23.木)晴れのち曇り
 先日もこのプログに書いたが、夜間に目覚めてトイレに行く時は、本棚に手を添えてなんとか立ち上がる。起き上がってからは、左膝関節が痛くて第一歩が踏み出せない。寝ている間は長時間にわたって膝関節に体重がかかっていない状態が続き、起き上がって関節に体重がかかると痛みが生じることになる。トイレまでは数メートルほどしかないが、激痛で歩いて行けない。それで、Amazonで杖を購入したが、4点支持の杖で持ち手も2箇所あって、トイレの行き来には重宝しているが、外出する際には少し大袈裟な感じがしないでもない。そこで、入院したら病棟でも杖は必要だろうと思って、もう少しシンプルな普通の杖を、前回と同様にAmazonに注文した。昨日の昼ごろに発注して、今日の午前中にインターホンが「♩ピンポ〜ン」、ほんま速いわ、Amazon Prime会員やから送料もいらんし。
 なんで、こういうのを日本独自でビジネス展開でけへんかったんやろか。発想力のなさや既得権益保護とかいろんな要因があるんだろうが、結果として、日本は産業構造の転換ができず、G7を始め韓国にも一人当たりGDPや賃金その他の指標で追い抜かれ、この30年の間に見るも無惨な国に成り果ててしまった。
 私見として、手近で具体的な解決策は「移民の受入」だと思うが、日本をこんな惨めな国にした張本人の安倍、高市一派が今でも権力を握る自民党には、そのような開明的な政策は望むべくもなく、まさに「日出ずる国」ではなく「日沈む国」に成り果ててしまうんだろう。
 安倍、高市一派は、よく「日本人の誇り」なんてことを口に出すが、そのことについては、もはや何の実体もない現在の日本の状況下で、「誇り」などを持つことなどは困難だろう。この連中は、「戦前の日本」にはそのような「誇り」の実体があったかのような虚言を吐き、そこへの回帰を訴えているが、「戦前の日本」こそが、現在のロシアのウクライナ侵攻と同様に、自国を特別な国であるかのような妄想を抱いて、中国や東南アジア諸国に攻め入ったのではなかったか。
 思うに、明治維新で西洋文化の洗礼を受け、自国のアイデンティティを荒唐無稽な〈皇室と皇統〉に求めた戦前の日本の姿は、ソ連崩壊後のロシアで、欧州でもなくアジアでもないという地勢学的な条件の下、ロシア革命前の帝政ロシアにそのアイデンティティを求めたプーチンの振る舞いには、多くの面で重なるものがある。
 それはまた、常に英仏が中心だった西欧社会にあって、軍事力を増強することによって存在感を増し、アーリア人の優越性をアイデンティティとしたヒトラーのナチスドイツも同様ではないかと思う。ウクライナのゼレンスキー大統領が、アメリカでの議会演説で「真珠湾攻撃」をロシア侵攻と同列になぞらえたことで、日本国内ではそれに対する反発があったやに伝えられている。そんな日本人の心性を推し測ると、メダルの裏表のような、弱者に対する〈優越性〉と強者に対する〈劣等生〉を併せ持った日本人のメンタリティーは、戦後も変わることなく、地下水脈のように生き続けていると思わざるをえない。

 Amazonに杖を発注した話からえらく話が逸れてしまったわな。

(22.6.24.金)晴れ
 新しい杖が、なかなか調子がいい。先に買った杖は、握る箇所が二箇所あって両手で体重を支えて預けるようにして使っていた。今回新たに買った杖は、街中でよく見かける普通の杖で、なんかこちらの方が楽な感じ。
 杖を使用するときは、どちらの方で持つのが正しいのだろうかと、ふと疑問が湧き、Googleで調べてみた。そしたら、痛みのある方の脚と反対側の手で持つのが正しいとの記事があった。私は、痛みがある脚の側の手で持つものだと思っていたので、調べてよかった。違った方の手で杖を持って使っていると、痛みが悪化したりするらしい。
 閑話休題、PCにしろスマホにしろ、分からないことがあったらすぐにGoogleで調べるようにしている。旧字体等の難しい漢字  小林秀雄全集は旧字体のままなので、発音や意味不明の漢字が頻繁に出てくる  やPCの操作マニュアル、人名とその人の経歴等々、分からないこと全般について、こまめに検索するようにしている。
 このブログを書いている時に、疑問に感じたことも即座に調べて確認するようにしている。まさに〈外在化した頭脳〉という感じがする。
 もちろん、今回の入院の際にもPCを持ち込む予定をしている。以前に書いたように、病棟でもインターネットを無料で使えるようになったので、前回の入院の時に比べて利用価値も倍増する。ブログを書き、U-NEXTやPrime Videoで映画を観て、Amazon Musicでジャズを聴きいて、シャバでの日常を変わらない生活を送れそうだ。

【今日の読書276※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字 
@-21『吉本隆明代表詩選』
A-39『バブル経済事件の深層』
B-43『数式を使わない物理学入門』
B-44『ダーウィンを超えて』
C-7『小林秀雄全集5/文藝批評の行方』
D-11『吉本隆明をよむ日』
E-22『二つの同時代史』
F-72『君たちはしかし再び来い』
F-74『冷血』
G-11『失われた時を求めて12』
H-4『パンセU』
K-19『サスペンス小説の書き方』
コメント:今西錦司と吉本隆明の対談本であるB-44『ダーウィンを超えて』を読んでいると、ダーウィン  特に『種の起源』  を無条件に評価できないという感じがしてきた。本書は50年近く前に刊行された本なので、ここ50年の生物学の進展  特にDNAを始めとする細胞生物学やその他関連分野  に伴う学術的成果や知見が反映されていないので、いくぶんか情報調整をする必要があるが、考え方や理論的な面では、今でも十分、〈生命観〉にについての〈認識の基盤〉とすることができるように思う。
 本書の「はしがき」は、誰が書いたかは不明  対談する二人が書いた文章ではないようだ  だが、「自然選択説と突然変異説とを二つの柱にした、いわゆる正統派進化論によれば、環境の変化に対して、生物はでたらめのつくり変えでしか反応できず、生物というものが、生きることにたいしてなんの目的も意味ももちえない哀れな存在になってしまいます。種の意地と繁栄が偶然のチャンスにまかせられ、環境の生物の相互適応という、自然界にとってもっとも大切な問題は、答えられないものになってしまします。」と、対談への先導役を果たしている。以下、さしあたってはダーウィンへの反逆として、自然選択説への批判である今西進化論に関し、「棲みわけ理論」中心に  切先の鋭い吉本の質問をはぐらかすかのような関西弁で  自説を展開している。
 その対談の中から、印象に残った言説を抜粋してみた。(今)は今西錦司、(吉)は吉本隆明の発言を示す。
p.7(今)「それならどうして突然変異が起こるのかということになると、やっぱり解決がついておらない。だから生物が変わるということは、生物自身にそなわった属性である、と見ておいたほうが、かえって無難であるような気がいたしますね。むしろ変わるべきはずである生物が、自然状態においては、そうそう変わるものではない、というところをこそ問題にすべきではないでしょうか。」
p.7(今)「生物がもと一つの種から分化していく過程で、まだ種とまでは至らない段階で、亜種  サブスペシーズという段階を経過する。そのくらいのときですと、交配すればまだ雑種のできる可能性があるんです。ところが、それがさらに分化して、種の段階まですすむと、もはや交配しても雑種ができない。つまり不稔性になる。」
p.8-9(今)「ダーウィンは、不稔性の問題をたいへん重要視してましたけれども、不稔性は種の起源の問題というよりも、むしろ種の成立に伴った一つの結果なのではなかろうか。(中略)私の考えでは、これはやはり種の自己完結性といいますか、そこまでゆかなければ、一つのシステムとしての種ができあがったことにならないのではないか。そういう意味では不稔性は、種の完成度をはかる一つのものさしになるかもしれない。」
p.11(今)「セオリーはどうであろうと、進化の事実として、いちばん間違いのない証拠は化石である。」
p.16(今)「すべての生物がもともと別々の起源をもったものだたら、また考え方を変えななりませんけど、もとは一つのものから生成発展したんであるということになると、この生物の世界というものは、はじめから調節が効いていたうえで成り立ったシステムなんだということです。」
p.18(今)「たくさんの卵や子供を産むということ、これは自然界の事実なんです。しかし、ダーウィンの説は、それだけたくさんのものが生まれてくれば、そこで競争が起こるだろう。とくに同種の個体のあいだでは、いちばん競争が激しいのじゃないか、というふうにもっていった。ところがこれは仮定なんです。われわれが見ている自然というものは、そういう闘争がぜんぜんないとはいいませんけれども、じつはまことに稀なんです。闘争によって勝負を決めているんじゃなくて、もっとほかのたとえば気象条件とか、そういうものによって大量死が生じたりしている。生存競争とか自然淘汰あるいは適者生存といったことは、ダーウィンが自然界における事実として観察したことではなくて、マルサスの影響があったにせよ、自分の頭の中で作り上げたことにすぎない。そこで、これはまあ私の理論になりますけれども、同種の個体というものは、どれが死んでもどれが生き残ってもいいようにはじめからできている。つまり私の言葉でいうと、甲乙がないということになりますが、甲乙のないものは競争して一方が勝つということになならぬでしょう。」

今日の映画276】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『3時10分、決断のとき(NHK-BSの録画で視聴)
原題:3:10 to Yuma
製作年:2007年
製作国:アメリカ
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ラッセル・クロウ/クリスチャン・ベール/ピーター・フォンダ/グレッチェン・モル
ストーリー:南北戦争が終わってまだ間もないアリゾナ準州。北軍の一員として従軍し、切断には至らなかったが片足を不具にし退役した牧場経営者ダン・エヴァンス(クリスチャン・ベール)は、その存在を疎ましく思う町の有力者とその部下たちによって様々な嫌がらせを受けていた。そんなある日、ダンは有力者と交渉するためにビスビーの町に赴く。その道すがらダンは無法者ベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)率いる強盗団と遭遇、そして彼らに襲撃された駅馬車を発見する。ダンはただ一人生き残ったピンカートン探偵社に所属する賞金稼ぎを救助する。ビスビーの町で、ダンはベンが保安官たちに捕まる現場に居合わせたが、ベンの強盗団によって度々損害を蒙っていた鉄道会社の重役は、彼を縛り首にするため明後日の「ユマ行き3時10分発」の汽車に乗せようとする。ベンをコンテンションの駅まで護送する一行に、ダンも同行を願い出て、道中で何人も犠牲者を出しつつも、ダンは何とかベンを連れてコンテンションの町に到着するが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.9、TSUTAYAは3.57、Filmarksは3.9と軒並み高評価で、私も評価は3.9とした。
 1957年に公開された『決断の3時10分』のリメイクということだが、出だしから、なんかいい感じの「西部劇」だなという感じがした。2007年9月7日に全米で公開され、その週の興行収入1位を記録し、アメリカ国内では約5300万ドル、アメリカ国外では約1600万ドルの興行収入を挙げ、衰退著しい西部劇映画としては久々のヒットとなったとのこと。年老いた賞金稼ぎの役を演じていたのがピーター・フォンダだったとは最後まで気がつかなかった。
 それほど昔の作品ではないのに、Full Movie が YouTube にアップされていた。もちろん字幕はないので、リスニングの練習にでも・・・。

今日のジャズ276】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Zoot!
アーティスト:Zoot Sims
レーベル:Riverside/ビクターエンタテインメント/Jazzland/Fantasy
録音年月日:1956.12.13/1956.12.18
曲名:@Why Cry?/AEchoes Of You/BSwim Jim/CHere And Now/DFools Rush In/EOsmosis/FTaking A Chance On Love
ミュージシャン:Zoot Sims (ts,as)/Nick Travis (tp)/George Handy (p,arr)/Wilbur Ware (b)/Osie Johnson (ds)
コメント:ズート・シムズがクインテットで豪快な演奏を聴かせる。日ごろはスイング寄りのテナー・プレイを得意にしている彼だが、リバーサイドというレーベル・カラーもあるのだろう。かなりハード・バビッシュなソロが堪能できる。内容のよさにもかかわらず、シムズの作品群では割と見過ごされてきた。それでも熱心なファンはこの作品を忘れていない。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
<YouTubeライブ映像>
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記