2022年05月29日

逃病日記375(22.5.29.日)

(22.5.28.土)晴れ
 だいぶご無沙汰していた当方のツイッター『京都一条寺ラーメン街道探訪記』のための食べ歩きのために、今日は「一条寺つるかめ」に行ってきた。
 最近はいつ行っても店が閉まっていたので、今日、行ったときにその旨を確認してみた。店員(やや無愛想なお兄いさん)の話では、定休日は木曜日だが他には特に休んでいないが、とのことだった。ようわからんけど、「一条寺つるかめ」に行こうと思って出かけた日が、たまたま定休日の木曜日ばかりだったということかもしれん。
 まあ、とにかく魚介醤油ラーメンを注文。つけめんの方は、以前、ヨメさんと来て食べたことがある。『京都一乗寺ラーメン街道探訪記』で取り上げるに当たっては、個人的には、つけめんはラーメンではない、と思っている。だから、「一条寺つるかめ」のようにラーメンとつけめんの両方やっている店ではラーメンの方を選択するが、つけめんだけしかやっていない店も、一応は寄ってみる(もちろん食べる)ことにしている。 
 ツイッターにも書いたが、麺の量を、ラーメンは「小100g・並120g・中180g・大200g」、つけめんは「小150g・並200g・大300g・特大400g」が、各々、同一料金で注文可能だが、そのシステムがようわからん。自販機なので細かく区分すると対応できないからだろうか?ラーメンとつけめんの原価率は30%ほどで、その内で麺の原価は数十円程度らしいが、それで押し並べて店側の収益が確保できるから同一料金でいい、ということなら、店側の都合だけで客のことを考えていないことになるんじゃないか。
 他方、サービスで同一料金にしているという考え方なら、それも解せない。ラーメンなら小と大、つけめんなら小と特大で倍以上も量の差があるのにサービスで、というのも、わけわかめ。
 店員が「麺の量はどうします?」と尋くので  量は違うのに料金は同一なんて普通は思わんから「麺の硬さ」のことを尋かれたと思って  「並で」と応えてしまった。カウンターの椅子に座ってから、それとなく卓上の貼り紙を見ると「同一料金で麺量が選べる」と書いてある、なんじゃこりゃ、という感じだったが、もうめんどくさいから、オーダーはそのままにしておいた。
 出てきたラーメンに関するコメントは、ツイッターにザックリと書いたとおり、すり鉢状の鉢で、スープの量も少なかったので、“見てくれ”も味わいもつけめんのような感じだった。最初にスープをひと口啜ってみたが、鰹節や煮干しなど魚介の味が濃厚で他所ではあまりない味。チャーシューは大きめの赤身の部位で、柔らかくて美味だった。
 料金は800円で、高いのか安いのかわからんが、麺の量が倍以上違うのに同一料金というのが、客目線として、どうしても解せない。まあ、特大を注文したら割安になるんだろうが・・・
  
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(22.5.29.日)晴れ
 7月に手術する方の左膝の痛みが酷くなってきた。昨年末ぐらいから、夜中にトイレに行くために寝床から立ち上がる時、寝ている間は膝関節が緩んでいるが、立ち上がるときに体重がかかので痛みが生じる。それが今年になってからさらに酷くなってきたので、Amazonで杖を購入し、夜中に目覚めてにトイレに行く時に使っていた。
 手術日の3ヶ月前からヒアルロン酸注射を中止する必要があり、日が経つにつれて膝内のヒアルロン酸がなくなってきたからだろうか、日増しに痛みが酷くなってきた。以前はトイレから戻る時には痛みも緩和しているので杖は必要なかったんだが、最近は戻る際にも痛みが残るようになり、杖が手放せなくなってきた。そして、昨日あたりから、寝起きの時に限らず、椅子などに座り、膝に体重がかかっていない状態から、立ち上がって歩き出そうとする時にも痛みが生じるようになり、しばらくしないと歩き出せなくなってきた。これまでは、歩き始めると痛みも緩和していたが、なかなか痛みがなくならない。手術まではあと一月以上もあるがどうなるんだろう。車椅子で入院なんてことにならないようにしたい。
 NHK-BSの大リーグ中継は、ブルージェイズの菊池投手とエンジェルスの大谷選手との対決が注目される。
 最後まで観戦していが、結局、菊池投手に勝ちは付かず、大谷選手もノーヒットという、一番まずい結果になってしまった。
 しかし、土曜日なんか、カーリング中継より大リーグの大谷選手の活躍を中継する方が視聴率は上がると思うんだがどうなんだろう。

【今日の読書265※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字 
G-12『失われた時を求めて12』
H-3『パンセT』 
K-18『東大で文学を学ぶ』
L-4『吾輩は猫である』
コメント:これまで、就寝前は、G-12『失われた時を求めて12』とH-3『パンセT』 だけを読んでいた。L-4『吾輩は猫である』は、病院などでの待ち時間や免疫・化学療法の点滴中などに読んでいたが、免疫・化学療法も終了し、これを読む時間が限られてきて、なかなかは捗らなくなってきた。それで土曜・日曜日に限って、就寝前にKindleの『吾輩は猫である』を読むようにした。
 前後するが、K-18『東大で文学を学ぶ』は、この前のK-17『小説的思考のススメ』で著者の辻原登氏について取り上げられていて、たまたまツンドク本に本書があったので、このKのカテゴリーの本として読み始めた。
  辻原氏は、本書の「はじめに」で、模作(パスティーシュ)を文学における最も重要な手法として言及しているので、以下に抜粋した。「われわれがものを考えたり、想像したり、あるいは生きていることそのものがパスティーシュであるという考え方が私にはあって、文学においても誰かのまねをする。『学ぶ』は『まねる』からきていますが、まねるしか生きていく方法はないわけで、文学においても同じです。(中略)要約ということは、エッセンスをつかむということですから、パスティーシュをするために最も重要な行為です。小説は要約できないという考え方もありますが、私は要約できるし、要約しなくてはいけないと思います。逆のことを考えてみましょう。われわれが小説を書こうとする。先ず何をやるか。われわれが夢見ている小説の要約から始めるではありませんか。つまり、小説の構造を読み取るには要約しかない。読まないで要約はできませんが、要約した上で、今度はそれをどのようにパスティーシュできるかということを考えてみる。(中略)パスティーシュという考え方を極端まで押し進めていくとそっくりなものを書いてしまう、しかもまねをして書いたのではなく、オリジナルなものとして書いてしまうということが理論的には起きる。」

【今日の映画265】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『ブラックブック(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:Zwartvoek
製作年:2006年
製作国:オランダ・ドイツ・イギリス・ベルギー合作
監督:ポール・バーホーベン
出演:カリス・ファン・ハウテン/トム・ホフマントム/セバスチャン・コッホ/ハリナ・ライン
ストーリー:スエズ動乱直前のイスラエルで教師をしているラヘル(カリス・ファン・ハウテン)は、オランダから観光に来た女性に声をかけられる。その人物は戦争終結間際のドイツで知り合ったロニー(セバスチャン・コッホ)だった。再会をきっかけに戦時中のつらい思い出を振り返る。ナチス・ドイツによる占領中のオランダで、ユダヤ人であるラヘルは隠れ家でひっそりと暮らしていたが、ある日、隠れ家が爆撃されてしまう。難を逃れたラヘルは、偶然居合わせた男の家へ身を寄せるが、そこへオランダ警察であるという男が現れ、すぐにドイツ兵がやってくるため逃げるよう警告する。その男の手引きで逃げることにしたラヘルは、離れ離れになっていた家族とともにまだドイツに占領されていない地域へ船で逃げようとするが、突然現れたドイツ兵に襲撃され家族を皆殺しにされる。 復讐を誓うラヘルは助けてくれたレジスタンスに加わり、名前もエリスに変える。無線機器を列車で運んでいた際に諜報部のトップであるムンツェ大尉(セバスチャン・コッホ)と居合わせ、同乗することになる。これを縁に、ユダヤ人である事を隠してムンツェ大尉の愛人となり、ドイツ軍へ潜り込みスパイ活動を始めるが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.8、TSUTAYAは3.67、Filmarksは3.9で、私の評価は4.0とした。
 Wikipediaによれば、Rotten Tomatoes(ロッテントマトはアメリカ合衆国の映画評論サイト)の批評家の一致した見解は「セックス、暴力、そして道徳的相対主義が激しく混じり合った『ブラックブック』は恥知らずなほど面白いメロドラマである。」であり、155件の評論のうち高評価は75%にあたる117件で、平均して10点満点中7.10点を得ている、とのことだが、加えてサスペンスとしても第一級の作品。各映画サイトも高評価だが、私も4.0とした。最近、観た作品の中では一二を争う傑作と言える。最後のドンデン返しもすごいが、作品中に布石が打たれている。それを確認する意味でも、なんとなく二回観たくなってくる作品だ。
 それと、(どうでもいいかも知らんが)主演のカリス・ファン・ハウテンがなんとなく加賀まりこに似ているなぁ。
 そんなに古い作品でもないがフルムービーが、YouTubeにアップされていた。画像は粗く、ちょっとひしゃげている。おまけに字幕もなく、しかも独語、蘭語、英語、ヘブライ語の四ヶ国語が使われているようなので・・・

今日のジャズ265】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Western Suite
アーティスト:Jimmy Giuffre
レーベル:Atlantic/ワーナーミュージックジャパン
録音年月日:1958.12
曲名:@Western Suite : Pony Express/AWestern Suite : Apaches/BWestern Suite : Saturday Night Dance/CWestern Suite : Big Pow Wow/DTopsy/EBlue Monk
ミュージシャン:Jimmy Giuffre (cl,ts,bs)/Bob Brookmeyer (tb)/Jim Hall (g)
コメント:日本では地味な存在に甘んじているが、アメリカのジャズ界でジミー・ジェフリーは確固たる評価を築いたリード奏者にして作・編曲家。それというのも、ひとえにこのアルバムを残したからだ。四部構成の表題曲が素晴らしい。ジャズは誕生したときからさまざまな音楽性を取り込むことで発展してきた。そのことを、この組曲は改めて実感させてくれる。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
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2022年05月27日

逃病日記374(22.5.27.金)

(22.5.26.木)曇り時々雨
 歯医者に行くために、整形外科医院の予約を水曜日から今日の木曜日に変更していた。
 昼過ぎからかなり強く雨が降っていたが、ちょうど出かける頃に雨も止んでくれた。医院の待合室には数人の患者がいたが、いつもと曜日が違うので、知らない顔ばかり。時間待ちにKindleを出して読んでいたら、30分ほどして名前を呼ばれた。この医院は、医師はひとりしかいないが診察室が四室もあって、名前を呼ばれて入室し、ベッドに横になってもすぐには診察が始まらない。医師はバックヤードを行き来しているが、今日はなかなか私のいる診察室にやってこない。レーザー照射する部分へのマーク付けは、比較的早くしてくれたが、看護師さんによるレーザー照射が終わってもまだ私の診察室には来てくれない。
 先生が注射をする箇所を消毒しながら「左脚はどう?ヒルロンサン注射、ずっとしてへんから痛みがあるやろ?だんだん日が近づいてきたねぇ」と、話しかけられた。私から「手術したら膝頭なんかはどんな感じになるんですか?」と質問したら「人工関節は膝の後ろの方に入れるので、前の方はそのままやで」ということらしい。手術後もしばらく入院してリハビリを続けなければならないそうだが、最初は結構痛みがあるとのことだった。入院期間は人によって異なるとのことだが、手術の傷跡が塞がってリハビリだけになった段階で転院させられることもあるようだ。入院については、同じK大病院に4年半前に2ヶ月、その後に再発時に1ヶ月ほど入院経験がるので、まったく抵抗はないが、現在はコロナの関係で、家族であっても病棟には立ち入ることができない。パジャマなどは病衣を借りるとしても、下着などの着替え類は、多分、ナースステーションで看護師を通じて受け渡しをすることになるんだろう。

(22.5.27.金)晴れ
 今日は、午前中はメジャー・リーグの大谷投手のNHK-BS中継を観ていた。
 今日は、というか最近は、投打ともに精彩を欠いている感じがする。少し疲れているようだ。
 先日、『サンデー・モーニング』の「スポーツ・コーナー」で、コメンテーターとして出演していた江川氏が、司会者から現役時代にバッティングも良かったですねと話を振られて、「自分は『ピッチング』が中心で『バッティング』は従だが、大谷選手は『バッティング』が中心で『ピッチング』は従だ」などと、自分と同列に並べるかのようにニュアンスで「タイプ」の違いを強調していたが、そもそも「ピッチング」だけをとっても「レベル」は雲泥の差だろう。
 夕方からは、佐々木朗希が登板する「阪神×ロッテ」戦で、これまたNHK-BS中継だが、BSは、視聴率の対象になっているのかどうか知らんが、かなりの視聴率になるんじゃないだろうか。
 さすがに佐々木朗希には阪神打線は手も足も出なかった。セリーグの普通のピッチャーに対してもあれほどの貧打なので、ひょっとして完全試合を喰らうんとちゃうかな、なんて思ってたけど、なんとかく食らいついていた。最後は佐藤が決勝ホームラン、ということで阪神ファンとしては、溜飲の下がる試合だった。

【今日の読書264※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字 
@-21『吉本隆明代表詩選』
A-38『平成経済20年史』
B-41『種の起原 下』
B-43『数式を使わない物理学入門』
D-10『《論考》小林秀雄 増補版』
D-11『吉本隆明をよむ日』
E-21『犬は吠えるU 詩神の声聞こゆ』
F-71『パン屋再襲撃』
F-72 『悪人』
G-11『失われた時を求めて12』
H-3『パンセT』
K-17『小説的思考のススメ』
K-18『東大で文学を学ぶ』
コメント:前回に続いて、K-18『東大で文学を学ぶ』から、印象に残った文章を上げておく。
p.126-127「近代小説が土台にしているのは、近代個人主義とその根幹にある個人の自意識なのですが、自意識というものは言葉でつかまえるのがとても難しい。とくに意識をしているその主体なる人が、自分でそれを言葉にする場合にはいろいろ障害が生じてきます。意識といっても、自分で自分にウソをついたり、無意識の部分が入りこんできたりするからです。小説というジャンルはそのあたりの困難と格闘しつづけてきたわけです。小説の形式にしばしば改革がくわだてられたりするのも、そのあたりの根本的な不安定さと関係しているでしょう。非常に素朴な言い方をすると、言葉というのはいつも正直に語られるとは限らない。語られた言葉には、いつだってそれがウソである可能性が秘められているのです。間違いであることもありうる。そんなメディアとどうやってつきあったらいいのか。小説というジャンルではつねにそのことが問題になってきたし、多くの小説家はこの問題と向き合ってきたわけです。」
p.127「いかに小説の中で正直になるか。いかに自分の意識や心をきちんと語るか。(中略)言葉が意識そのものとなるのです。意識についての言葉を語るのではなく、意識そのものをどろっと言葉として表出させる。そうすることで言葉は語り手の操作を越えたものとなる。もはやウソの余地のない、超越的なものとなる。」
p.128「小説家の腕の見せ所は、一見馬鹿馬鹿しいような話やありえない荒唐無稽な物語を、文章の力で読みがいのある作品に仕立て上げることところにあります。」
p.140「どうやら人が“名文”と呼びたくなる文章というのは、一面では立派で美しく見えるけれど、それとは反対の要素も入っているらしい。必ずしも文章として形が整っていたり、見るからに華麗であったりするだけが“名文”の条件ではなさそうです。」
p.174-175「『アパートの裏手の林の』というふうに、『の』をたくさん連ねるのは、ふつうの文章であればちょっとためらわれるはずです。というのも、このように名詞と名詞との関係性を表す助詞をいくつも連ねると、どれとどれがむすびついているのかが判然としなってくるからです。(中略)『の』の連続によるわかりにくさがいったいどんな効果を持つのかということです。わかりにくさにもいろいろあるわけですが、『の』ならではのわかりにくさはどのへんにあるのか。まず第一のポイントとしては、視点の中心が不明瞭になるということです。(中略)これと連動して第二にあげられるのは、『の』の連続のためになかなか“本題”が出てこないということです。(中略)『の』はあくまでも関係を表すもので、文を文として立ち上げるような助詞ではありません。名詞と名詞との修飾関係をねちねちと説明するだけ。それがこのように平坦に連なっていると、いかにも『まだまだ“本文”には辿りつきません』という遅延の感覚が強調されます。」

【今日の映画264】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『失われた週末(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:The Lost Weekend
製作年:1945年
製作国:アメリカ
監督:ビリー・ワイルダー
出演:レイ・ミランド/ジェーン・ワイマン//
ストーリー:主人公ドン・バーナム(レイ・ミランド)は、33歳で売れない小説を書いているが、ひどいアルコール中毒で、兄ウィク(フィリップ・テリー)と恋人のヘレン(ジェーン・ワイマン)が八方手を尽くすがどうにもならない。今度の週末も兄ウィクは弟を旅行に連れ出して酒を忘れさせようとする。しかし、兄とヘレンを音楽会へ送り出し、その間に酒を飲もうとするが、部屋にも一滴もなかったので、掃除婦の給料を横取りして、なじみのナット(ハワード・ダ・シルヴァ)の酒場に行く。ドンは酒を買って家へ帰り小説を書き始めるが、酒が無くなると動きがとれない。持ち金は全て使い尽くし、最後の手段で、命から二番目に大切なタイプライターを質に入れようとするが、ユダヤ人の祭日で休業。仕方なく顔見知りのウエイトレスのグロリア(ドリス・ドーリング)から5ドル借りるが、気絶してしまう。 気がつくとアルコール中毒専門の病棟であった・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.7、TSUTAYAは3.24、Filmarksは3.7で、私の評価は3.5とした。
 アカデミー賞4部門、カンヌ映画祭グランプリ受賞など各国で賞賛を集めたシリアスドラマ。アル中の凄まじい実態がリアルに演じられる。これを見ると、さすがに、みんなアルコールを控えるようになるんじゃないだろうか。ただ、最後の結末が意外にあっけなくアル中から離脱してしまう。それまでの内容がリアルで凄みがあっただけにあっけない感じがした。

今日のジャズ264】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
アーティスト:Gigi Gryce And The Jazz Lab Quintet
レーベル:Riverside/Jazzland/Fantasy
録音年月日:1957.2.27/1957.3.7
曲名:@Love For Sale/AGeraldine/BMynority/CZing Went The Strings Of My Heart/DStraight Ahead/EWake Up
ミュージシャン:Donald Byrd (tp)/Gigi Gryce (as)/Wade Legge (p)/Wendell Marshall (b)/Art Taylor (ds)
コメント:ジジ・クライスが売り出し中のドナルド・バードを誘って結成した実験的コンボによる貴重な一枚。実験的といっても難解な演奏を追求するのではなく、ハード・バップが全盛の時代にあって、洒落たアレンジをもとにした絶妙なアンサンブルで個性を打ち出したもの。まさに《ジャズ研究所》のグループ名に相応しいユニークで創造的な試みが名演につながった。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
 同じく『JAZZ隠れ名盤100』からベニー・ゴルソン (ts)のコメント「アルト・プレイヤーはジジ・クライスだし、トランペットhがドナルド・バードに間違いない。このドラミングはアート・ブレイキー的なところもあるけれど、アート・テイラーだ。彼らはレギラー活動していたはずだ。ラボラトリーみたいなグループ名だと思ったんだが・・・、う〜ん、そうだ!ジャズ・ラブだ。ジジは作曲者としてもいい曲を書いている。このグループを率いていたころは、クレジットこそされていないが、わたしと一緒にブルー・ノートのレコーディングでアレンジも担当していた。彼がドナルド・バード、わたしがリー・モーガンのレコーディングに曲やアレンジを提供していたんだよ。それから、わたしが書いた〈アイ・リメンバー・クリフォード〉もこのグループが最初にレコーディングしてくれた。そのアルバムとは違うが、これはジジがドナルドと組んでモダン・ジャズのコンボでも多彩な演奏ができることを示そうとした作品だ。クインテットの場合、きちんとしたアレンジは使わないのが一般的だが、ジジはこの編成でもアレンジを重視していた。〈マイノリティ〉がいい例だ。ドナルドもジジとグループを組んだことで触発されたんだよ。やがて彼は作曲と編曲を学ぶためパリに留学する。記憶に間違いなければ、そのきっかけがこのグループに参加したことだったはずだ。」
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2022年05月25日

逃病日記373(22.5.25.水)

(22.5.23.月)晴れ
 今日は3時半頃に高野川ウォーキングに出かけたが、先週の金曜日に出かけたときにかなり暑かったので、今日は、小さめのペットボトルに水を入れて持って出かけた。
 さすがに、暑さのせいでいつものような人出はないので歩きやすい。一応の目安は、洛北阪急スクエア南側辺りと河合橋の間の河原を往復30分でウォーキングするようにしている。歩き始めは、まだ痺れもキツいので少しビッコを引くような歩き方になる。左脚引いて前に出すときに自然な感じで膝が曲げられないが、歩いているうちにいくらかマシになってくる。
 私のマンションの同じ棟に、昨年、人工関節置換術をした女性がいるが、以前は杖をついて歩いていたのに、先日、杖も持たずにサッサッとスムースに歩いていたのを見かけた。「どんな具合ですか」と声をかけようかと思ったが、これから手術するのに、「イマイチ」とか「異和感がある」とか言われてもなんなんで、声はかけなかった。

(22.5.24.火)晴れ
 今日、火曜日はヨメさんがスイミング・スクールに行く日で、昼過ぎにヨメさんが出かけた後は、いつものとおり、録画溜めしてある映画ビデオの鑑賞。
 今日の作品は『3時10分、決断のとき』。邦題からは「西部劇」とは思わなかった。実は、最初は他の作品を観始めたんだが、一向に面白くならない。出だしは面白くなくても、観続けているうちにだんだん面白くなってきて、観終わった後に、もう一度最初の部分を見直す、なんてことがよくあるが、今日のはさすがに辛抱しきれずに中止して、次の作品を観始めた。それが『3時10分、決断のとき』だが、これがまた面白い作品だった。
 今日、K大病院の整形外科から自宅に電話がかかってきた。6月1日に術前検査と診察が予約されているが、主治医に所用ができため、診察時間をズラして欲しいとのことだった。この約1ヶ月後の7月5日が手術予定日だが、まだまだ先と思っていたのに、なんかだんだんと近づいてきた感じがする。

(22.5.25.水)晴れ
 今日は、ヨメさんが朝の10時ぐらいから、近所のババ友  子供たちが小さい頃の昔のママ友  と一緒に植物園へ出かけていった。子供たちが幼稚園の頃以来の団地内のママ友で、今も団地に住んでいる人や、子育てを終えてまた団地に戻ってきた人など、数人とずっと仲良く付き合いが続いている。
 近所付き合いなどあまりしない男性の場合は、退職したら、趣味の付き合いなどがないと、人の接触が希薄になってくるようだ。ウィークデーの昼間に洛北阪急スクエアに行くと、店内を所在なさげにあっち行きこっちウロウロしている年配の男性をよく見かける。
 私の場合もご多分に洩れず、退職した後も同じ職場内の社団法人等に関与していたが、がんを発病して入院し、その職も辞めてからは、ごく僅かの友人を除き、人との交流もなくなってしまった。テニスや麻雀やいっぱい飲みなど、在職中の人付き合いの様々の媒体も、病気になってから止めざるを得なくなったものも多い。よくジャズのライブなどに行っていた友人とは、退職したらニューヨークの52番街近辺のジャズ・スポット巡りをしよう、なんて言っていたもんだが・・・。年賀状のやり取りは欠かしていないが、いつもお互い、同じフレーズ「Jazzってますか?」。
 昼の2時からは、歯医者に行ってきた。前回に型を取った左前歯に、今日、歯冠を被せてもらった。7月の人口膝関節置換術に備えて、歯の治療に行くことにしたが、最初に抜歯したところはそのままになっている。1ヶ月ぐらいして抜歯箇所の傷が塞がってからブリッジで義歯を入れることになっている。抜歯したところは歯槽膿漏のように常に腫れていたが、抜歯後は腫れや痛みもなくなった。抜歯したのは、奥の方の歯だったので、抜けたまま放っておいてもそれほど目立たないが、これが前歯だったら、まさに「志村けんの変なおじさん」か「バカ殿」というところだな。
 まあ、手術するのがきっかけになって歯の治療ができてよかった。

【今日の読書263※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字 
@-21『吉本隆明代表詩選』
A-38『平成経済20年史』
B-41『種の起原 下』
B-43『数式を使わない物理学入門』
D-10『《論考》小林秀雄 増補版』
D-11『吉本隆明をよむ日』
E-21『犬は吠えるU 詩神の声聞こゆ』
F-71『パン屋再襲撃』
F-72 『悪人』
G-11『失われた時を求めて12』
H-3『パンセT』
K-17『小説的思考のススメ』
K-18『東大で文学を学ぶ』
コメント:K-17『小説的思考のススメ』を読了した。本書は、近・現代作家の文体を精緻に分析し「小説的思考」に迫るもので、その分析作業には非常に説得力がある。内容としては、@太宰治『斜陽』A夏目漱石『明暗』B辻原登『家族写真』Cよしもとばなな『キッチン』D絲山秋子『袋小路の男』E吉田修『悪人』F志賀直哉『流行感冒』G佐伯一麦『行人塚』H大江健三郎『美しいアナベル・リイ』I古井由吉『妻隠』J小島信夫『抱擁家族』を各章に分けて取り上げている。B辻原登、D絲山秋子、G佐伯一麦の三人は名前も知らなかったが、それ以外の作家に関しては  本書で取り上げられている作品以外のものが多いが
  目を通したことがある。いずれも文体のエッジの立った作家揃いという感じがする。
 これまで、本書の中の文章で私がマーカーを引いた箇所を何回か抜粋したが、今回は、「名文」といった場合に、まず第一に取り上げられることの多い志賀直哉に関する章から抜粋した。
p.122-123「文章というものは文章だけで完結するわけではないのです。必ず別のファクターと絡み合っている。ここでも注目したいファクターがあります。それは意識というファクターです。」
p.125「語り手ははじめは自分の気持ちについて語っていた。自分がどのような意識でいるか、例を使ってわかりやすく説明しようとしていた。ところが、やがて語りはその語ろうとした意識そのものへと没入していくのです。意識に没入するということは、もはや意識については意識的ではないということでもあります。でも、意識的ではないことによって、むしろ意識を語るのです。志賀直哉という人の文章の読みどころはまさにこのあたりにあると思います。文章が意識のこちらとあちらを行き来するさまを、こんなに生々しく提示して見せた人はいないのです。」
p.125-126「小説というのは読者に向けて語られるものです。あらゆる言葉が、それこそ一字一句が、作品世界の構築になんらかの役割を果たしている。だから私たち読者も、その一字一句の意味や役割をくみ取っていかなくてはならない。しかし、意味というものは、『さあ、どうぞ。この意味を受け取ってください。』という形で差し出されるものとは限りません。むしろ私たち読者が『ああ、そういう意味だったか!』と後から気づくことで、はじめてそれを受け取ることができるという場合もあります。これは別の言い方をすると、小説の中では必ずしも語り手vs読者という構図に則る形で言葉のやり取りが行われるわけではない、ということです。(中略)語り手がまるで語っていないかのように、つまり誰に向けても語っていない、ひとりだけで考えたりつぶやいたりしているように振る舞う、そんな回りくどい形でやっと何かを伝えることがあるということです。まるでこちらと目を合わさないでものを言ってくるひとのように。なぜ、そんな面倒くさい方法が必要になるのでしょう。それは語り手が  そして小説が
  自分が知っている以上のことを表現するからではないかと思います。」

【今日の映画263】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『遙かなる大地へ(Amazon Prime Videoで視聴)
原題:Far And Away
製作年:1992年
製作国:アメリカ
監督:ロン・ハワード
出演:トム・クルーズ/ニコール・キッドマン/トーマス・ギブソン/ロバート・プロスキー
ストーリー:19世紀末、西アイルランドの農家の主が地主へのデモに巻き込まれ死亡する。父親の仇を討つべく単身屋敷に乗り込む無鉄砲な息子ジョセフ・ドネリー(トム・クルーズ)は、そこで美しい娘シャノン・クリスティ(ニコール・キッドマン)と出会い、いつしか二人は自らの土地を手にいれるためすべてを捨て遠い国へ旅立つ・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは  、TSUTAYAは3.16、Filmarksは3.4で、私の評価は3.3とした。
 クルーズ夫妻が共演したことでも話題を呼んだ作品。開拓時代のアメリカを舞台に、移民してきた二人の愛と夢をR・ハワード監督が美しい映像と共に詩的豊かに描き、忘れられたアメリカン・ドリームを彷彿させるサクセス・ロマン、ということだが、いいテーマを扱っている割には、薄っぺらな感じがする。美男美女が主演なので、リアリティに欠けるということでもないんだろうが・・・

今日のジャズ263】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Blue Serge
アーティスト:Serge Chaloff
レーベル:Capitol/東芝EMI
録音年月日:1956.3.4
曲名:@A Handful Of Stars/AThe Goof And I/BThanks For The Memory/CAll The Things You Are/DI've Got The World On A String/ESusie's Blues/FStairway To The Stars/GHow About You
ミュージシャン:Serge Chaloff (bs)/Sonny Clark (p)/Leroy Vinnegar (b)/Philly Joe Jones (ds)
コメント:サージ・チャロフは層の薄いバリトン・サックス・シーンにあっても創造的なプレイを繰り広げたひとり。彼が残したリーダー作は少ないが、幸いなことにそれらのいずれもが素晴らしい内容を誇っている。中でも人気が高いこの作品にはソニー・クラークが参加している点も要注目。豪快で無骨なバリトン・サウンドにクラークのブルージーなタッチが似合う。(『ジャズマンがコッソリ愛する!JAZZ隠れ名盤100』から抜粋)
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