2022年03月30日

逃病日記349(22.3.30.水)

(22.3.28.月)晴れ時々曇り
 東京のコロナ感染者数が、昨日、一昨日と二日続けて前週の同じ曜日を上回ったそうだ。
 蔓延防止措置が21日に解除されてわずか1週間で、また増加傾向に転じてきたのか?卒業関連イベント、入学や入社に伴う人の移動やイベント、それにお花見など、人の動きが活発になる時期なので、再拡大が懸念される。
 ウクライナ情勢は以前として膠着状態が続いているが、イラク戦争をはじめとする中東問題にしろ今回の事態にしろ、事態が拡大した背景にアメリカ大統領の言動が遠因となってケースがほとんどのようだ。
 イラク戦争に関しては、その前にフセインのクウェート侵攻があったにしろ、その後の展開はブッシュjr.大統領とチェイニー副大統領の  今まさにプーチンがやっているのと同様な核兵器や生物・化学兵器開発の兆候があるということを口実にした  自作自演だったし、今回のウクライナ侵攻の前段となる、ジョージア侵攻はオバマとバイデンのロシアに対する弱腰が影響しているとのことのようだ。このジョージア侵攻でのオバマらの弱腰がクリミヤ半島侵攻に繋がり、さらに今回のウクライナ侵攻にも繋がっている、というロシア問題専門家の解説は肯けるものがある。
 イラク戦争後もアメリカ軍が駐留していたが、タリバンやイスラム国勢力の台頭で中東地域はカオス状態になり、結局、イラクをアメリカナイズすることができずに撤退せざるを得なくなった。中東地域をかきまわして、収拾ができずに、ハイ、さようなら、というわけだ。
 なんだかんだ言っても、異文化国でどっぷりとアメリカナイズされたのは、結局、日本だけじゃないのか。その背景には、おそらく歴史、文化、宗教の問題があるんだろう。

(22.3.29.火)曇り時々晴れ
 今日は、待ちに待った?ヨメさんが週1回のスイミング・スクールに行く日。単にテレビ録画してある映画を観るだけなんだが、ヨメさんがいないと変な開放感があって、気分的に「鬼の居ぬ間に」という感じになる。
 録画してあるのは洋画がほとんど、それを観ているからといって、ヨメさんが、どやこや言うわけではないんだが、なんかよう分からんけど開放感のようなものがある。
 今日の作品は、クリント・イーストウッドの『奴らを高く吊るせ!』、民放のBS作品を録画したものだったので、日本語に吹き替えた作品だった。リモコンの機能を適当に操作していたら、「英語音声」「日本語字幕」に切り替えて観ることができた。

 テレビでサッカーのワールド・カップ予選を観ながら、スポナビで野球中継の経過を追っていたら、案の定、広島にサヨナラ負けという無様な結果、同じく連敗中だったDeNAが勝ったので、阪神は最下位になってしまった。
 こうなったら、せいぜい負け続けて、矢野監督の退陣を待つばかり。今シーズンはもう終わったという感じだが、まあ、とりあえず、矢野監督の退陣後は元岡田監督で繋いでもらって、来シーズンからは鳥谷監督を熱望する次第だわな。

(22.3.30.水)曇り時々晴れ
 今日は、2週間に1回、Y整形外科医院で両膝関節にヒアルロン酸注射を打ってもらう日。
 前回の診察(先々週の水曜日)の際に、手術を前提としたK大病院整形外科への紹介状を書いてもらい、先週の水曜日にそのK大病院を受診した。今日は、K大病院の方からY整形外科医院側に紹介受診に対する回答が届いているはずだ。
 医院に着くと、待合室にはそこそこ患者さんが待っていた。予約時刻を午後2時半に変更してもらってから、着くなり、すぐに名前を呼ばれることもあったが、ここ最近はそれなりに待たされる。結局、名前を呼ばれたのは3時半頃、どうやら私が最後の患者のようで、待合室には、医療業者のSEだけで、患者はもう誰もいない。
 紹介受診の回答は届いていた。手術日が決まれば、その3ヶ月前からヒアルロン酸注射を中止しなければならないとのこと。この医院の先生もK大病院出身で、院内の事情もよく承知されているので話が通じやすい。手術時間は麻酔も含めて3時間ぐらいかかるそうだ。
 明後日の、K大病院での診察  先週の金曜日に血液検査と造影剤CT撮影に結果に基づく診察  で、手術実施の可否が決まり、その後、来月20日に予約してあるK大病院整形外科を受診して、手術日が決まるだろう。おそらく、多くの手術待ち患者がいるだろうが、可能な範囲で最短に日に手術をするつもりでいる。

【今日の読書239※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字  
@-21『吉本隆明代表詩選』
A-37『デフレと超円高』
B-41『種の起原 下』
B-42『宇宙創成 下』
D-10『《論考》小林秀雄 増補版』
E-20『犬は吠えるT ローカル・カラー 他』
F-69『アフターダーク』村上春樹
G-11『失われた時を求めて11』
H-3『パンセT』
I-31『我が詩的自伝』
K-16『現代小説の方法』
コメント:D-10『《論考》小林秀雄 増補版』で、私がマーカーを引いたフレーズを抜粋しておく。
p.25「作家の狙った効果に捕われず、作品の背後に精神の劇を見るのが、氏(小林秀雄(以下同様))の批評の方法である」
p.25-26「氏が、なぜ批評家というおそらく自分にも思いがけないものになり、批評文を自己の表現手段とするに至ったか。批評という文学形式は、(それを氏が現代文学のなかでつくりだしたにしろ)はたして氏を充分に満足さすものであったか、というような問題は、氏が或る時期の文壇にどういうポオズをとったかということより、ずっと興味があることです。僕は、氏の批評文は、現代最高の文学に数えますが、氏の本質はおそらく批評家ではないのです。」
p.26「氏には批評家にあっては、殆ど才能に代わる役割を果す、外界への善意と奉仕の精神が、まったく欠けています。氏は他人のおせっかいを焼くには、自分のことで忙しすぎるので、この意味では徹底したエゴイストです。」
p.26「散文の表現が理智を媒介とし、したがって外界への興味を前提としているとすれば、氏は本質において詩人なので、評論は氏にとって詩の代表品なのです。」
p.27「『批評家が自ら詩人になることは不可能に近いが、あらゆる大詩人は自然に、宿命的に批評家となる。』というのは、氏の好んで引用するボオドレエルの言葉です。」
p.28「我国の多くの詩人が、その抒情を青春とともに使いつくして、彼自身の人間が、いわば詩の燃えがらとして成熟し、世俗と妥協して行くのと反対に、氏の青春を閉じこめた詩は、おそらく迂路による表現しか得られなかったためもあって、齢とともに氏の心を強く支配し、抗いがたい力で引き摺るようになったので、戦後の氏の仕事は、青春の危険な復活であったとも云えます。」
p.29「対象の芸術作品を立体とすれば、批評の機能は、それをある平面に載ることであり、批評家の仕事は、できるだけ立体全部の形を暗示できる切口をつくることです。」
p.30「ボオドレエルの詩も、、ドストイェフスキイの小説も、彼らの本当に云いたいことを云い尽くせなかったとしたら、文字による表現に自分を賭けること自体、ひとつの迷妄であろう、その迷妄から醒め、どのような天才も免れなかった愚かしさを分析するところに、新しい文学の可能性があるのではないか、若かった氏はおそらくそう考えたので、ここにしが批評家の道を選んだ積極的動機があったのです。」
p.31「『作家の思想は書くことによって育つ。』と氏はドストイェフスキイを論じて云いますが、そういうことが云えるのは、彼の思想が、これを奥底まで言葉で云い現そうとする努力で、ゆさぶられ整理されることによってです。」

【今日の映画239】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『ラストムービー((TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
原題:The Last Movie
製作年:1971年
製作国:アメリカ
監督:デニス・ホッパー
出演:デニス・ホッパー/ステラ・ガルシア/ドン・ゴードン/ジュリー・アダムス
ストーリー:映画撮影のため南米ペルーへやって来たスタントマンのカンザス(デニス・ホッパー)は、撮影後ドラッグに溺れるようになり、映画作りを模した村で奇妙な儀式に巻き込まれ、虚構と現実の境界を超えた世界へと突入していく・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.2、TSUTAYAは3.48、Filmarksは3.6で、私の評価は3.0とした。
 初監督作『イージー・ライダー』で一躍時代の寵児となったデニス・ホッパーの監督第2作。『イージー・ライダー』にも出演したホッパーの盟友ピーター・フォンダが共演している。1971年ベネチア国際映画祭では好評を博したものの、難解で前衛的な内容に困惑したユニバーサル映画のトップの再編集指示をホッパーが拒絶したため、短期間での公開後ほぼお蔵入りとなったそうだ。
 まあ、確かに、よく分からない作品だな。同じアメリカン・ニューシネマでも『イージー・ライダー』何回も見た記憶があるが、この作品は初めてだわ。

【今日のジャズ239】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Alone At Montreux
アーティスト:Ray Bryant
レーベル:Atlantic/MMG
録音年月日:1972.1.1
曲名:@Gotta Travel On/ANo. 3 〜 Willow Weep For Me/BCubano Chant/CRockin' Chair/DAfter Hours/ESlow Freight/FGreensleeves/GLittle Susie/HUntil It's Time For You To Go/IBlues No. 2/JLiebestraum Boogie
ミュージシャン:Ray Bryant (p)
コメント:レイ・ブライアントが久々に存在をアピールしたのがこの1972年の「モントルー・ジャズ・フェスティバル」でのこと。オスカー・ピーターソンが土壇場になってキャンセルしたことから、急遽出番が回ってきた。この千載一遇のチャンスにブライアントが人生最高のソロ・ピアノで応える。圧倒的成功の中でコンサートを終えた彼の演奏を記録したのがこの作品だ。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)
 同じ『珠玉のJAZZ名盤100』からアーマッド・ジャマルのコメント「レイ・ブライアントの魅力は、誰も寄せつけない左手のビートにある。このスイング感はすごい。左手一本でベースとドラムの役割を果たしてしまうからだ。ブギウギ・ピアニストは多かれ少なかれこの傾向がある。それでも、レイほど明快にその特徴を表現したひとはいない。タッチのめりはりのつけかたが強力だ。だから聴いている人が爽快になれるんだろう。そこがわたしとは正反対のところだよ。わたしのスタイルかい?強力なタッチはあまり用いない。穏やかなタッチに気持ちを込めるんだ。レイのようにエモーションを鍵盤に叩きつけるようなプレイはしらない。そんなんことをしたら疲れちゃうじゃないか(笑)。わたしはテンションの高い演奏よりリラックスしたプレイをするほうが好きだ。その点でも、彼とは正反対にいる。この作品でもうひとつ驚かされるのは、アイデアの豊富なことだ。よくもまあ次から次へとフレーズが湧いてくるものだと思うよ。それをバラードでもアップ・テンポの曲でも軽々とこなしてしまう。わたしにはとてもじゃないができない芸当だ。」
 YouTubeにレイ・ブライアントのコンサート・ライブの映像がアップされていたのでリンクを貼っておく。
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2022年03月27日

逃病日記348(22.3.27.日)

(22.3.26.土)雨
 昨日と今日、プロ野球開幕戦のテレビ中継を観ていたが、今シーズンのタイガースは、もうダメだなぁ。
 特に昨日は、昨シーズンの終盤のような惨めな逆転劇。開幕戦でもう今シーズンは終ってしまった感じだな。
 ダメ虎タイガースの張本人は、もちろん矢野監督だろう。矢野監督は開幕前に今季限りの退任を表明したが、采配に自信があれば、仮に退任を決めていたとしても、黙って、心中に秘めておくだろう。穿った見方をすれば、采配に自信がないので、開幕前に今季限りの退任を表明するというような、トリッキーなことをしたんじゃないか。
 矢野監督は、選手を姓ではなく名前で呼んだり、昨年も、一昨年もシーズン開幕前から「優勝は決まっている」なんてアホなことを言ったり、以前から首をかしげるような振る舞いが多かったが、昨シーズン終盤に首位を逆転された状況や昨日の逆転劇のトラウマでバイアスがかかってしまい、まともな采配ができないんじゃないだろうか。昨日のような逆転劇を喫すると、今後、何点リードしていても「また逆転されるんじゃないか」なんてことが頭をよぎり、勝利を確信できなくなってしまうんじゃないか。当然、そういう気持ちは采配にも影響するだろうし、選手たちも、同じような思いを思い抱くんじゃないだろうか。
 矢野監督は「今季限りの退任」を表明したが、この調子だと「今季限り」どころか、シーズン半ばにも退任せざるを得ないかもしれない。

(22.3.27.日)晴れ
 今日は好天に誘われて、ヨメさんと高野川の河原を出町まで、花見を兼ねてウォークキングしてきた。
 天気が良かったのでかなりの人出だったが、桜はまだ二部咲ぐらいという感じで、その写真をアップしておく。
 出町柳についてから、出町商店街の方に向かったが、豆餅の「ふたば」は相変わらず長蛇の列ができていた。折り返しの列になっていて、どうなんだろう、100人近く並んでいたんじゃないだろうか。
 商店街の中を通って、ヨメさんが花屋を覗いている間、私は、向かいの「出町座」をひやかし、その後、出町柳の方に戻って京福電鉄出町柳駅東側のタネ源・ガーデン青山に立ち寄り、そこから百万遍に出て、市バスに乗って帰った。
 桜花は、来週の土曜・日曜日ぐらいが満開のようだが、来週は天気がイマイチのようだな。

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【今日の読書238※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字  
D-10『《論考》小林秀雄 増補版』
G-11『失われた時を求めて11』
H-3『パンセT』
I-31『我が詩的自伝』
K-16『現代小説の方法』
コメント:D-10『《論考》小林秀雄 増補版』は、前回の【今日の読書237】で「著者の中村光夫が小林秀雄の弟分みたいな文芸評論家なので、『お兄ちゃんはこんな気持ちやったんや』みたいな感じで、主として心理的な切り口で、小林秀雄の論述に切り込んでいる印象がある。」と書いたが、小林秀雄の『近代絵画』に触れた箇所から印象に残った文章を抜粋しておく。
p.9「ドストイェフスキイにしろ、モオツァルトにしろ、また『ゴッホの手紙』を論ずる場合にも、氏は感動を客観化するために、おどろくほどの貪婪さで文献を漁っているので、批評は氏にとって感動の生理学といってよい」
p.10「氏はここで時代と国籍の差を超えて、近代画家と僕等とのあいだに身を横たえて橋を架けている」
p.10「自分にとって一番大切なのは、何事かを『やっつける』ことだ、氏はどこかで書いていました」
p.11「もともと氏の批評には、言葉による批評にたいする不信が大きな要素をなしています」
p.11「近代批評の本道は芸術作品の背後に作者の精神の劇を見ることと信じた氏にとって、作者の生活をかくすに足る作品を作れぬ芸術家は問題とするに足りなかったのです」
p.12「自分の仕事の領域に、言葉が干渉することを無意識に嫌悪する画家の本能」
p.12「氏が目指すのは、絵の解説でもなく、美術史でもなく、彼らの作品に氏の見てとった『人間劇』の再現であるからです」
p.13「氏の『文学』は彼等の『絵画』が自然とは別物であるように、彼等から『独立』しています」
p.13-14「画家の伝記、絵画の研究も、こういう時代精神に沿って、細かく分析的になり、対象の細部に密着することで、その実証性を確保しようとするのが支配的な趨勢なので、そのなかに生きる専門家たちの眼から見れば、画家の色彩に彼等の精神を見ようとするそもそもの態度が『文学的』なのです」
p.14「氏は自分の『感想』が専門家の『研究』にたいして劣るとは決して思っていないのです。本心では『絵を愛する人間』として絵画に対する以外に、何か専門的な立場があるとも認めていません」
p.14「氏がここで思い切った時代錯誤の姿勢をあえてとったのは、根本において、それが『近代画家』たちの生き方と相似性をもつからです」
p.15「ここで扱われている画家たちの『人間劇』も、もっぱら時代への通念への反抗を通じて、芸術家としての進路を、彼等の個性に応じて見出していく闘いとして描かれ・・・」
p.24「才能が才能として発揮されるには、持ち主が犠牲にならねばならない」

【今日の映画238】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『バックトラック(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
原題:Catch Fire
製作年:1989年
製作国:アメリカ
監督:デニス・ホッパー
出演:デニス・ホッパー/ジョディ・フォスター/ジョー・ペシ/フレッド・ウォード/チャーリー・シーン
ストーリー:大きな個展を控えた夜、ロサンゼルスで現代アートを手掛けている芸術家のアン(ジョディ・フォスター)は偶然マフィアの殺人現場を目撃した。その場からかろうじて逃げることはできたが、マフィアに追われボーイフレンドのボブ(チャーリー・シーン)が間違えられて殺されてしまう。身の危険を感じたアンは全てを捨てて姿をくらますが、彼女の逃走を知った組織のボス、カレリ(ジョー・ペシ)はプロの殺し屋マイロ(デニス・ホッパー)を雇い入れ彼女を追わせる。一方マフィア壊滅を企てるFBI捜査官ポーリング(フレッド・ウォード)もアンを追った。マイロは情報収集のためアンの部屋に忍び込むが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.0、TSUTAYAは3.00、Filmarksは3.7で、私の評価は3.0とした。
 デニス・ホッパーが製作会社と編集権をめぐって対立し、アラン・スミシー名義となってしまった『ハートに火をつけて』を編集してデニス・ホッパー監督オリジナル・バージョンで『バックトラック』として公開された。ということを知らずにTSUTAYAの宅配レンタルでダブってレンタルしてしまった。返却期限も迫っていたので、『ハートに火をつけて』は観ないまま返却してしまった。

【今日のジャズ238】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
アーティスト:Louis Armstrong
レーベル:Decca
録音年月日:1947.11.30
曲名:@Muskrat Ramble/ABlack And Blue/BRoyal Garden Blues/CLover/DStars Fell On Alabama/EI Cried For You/FSince I Fell For You/GTea For Two/HBody And Soul/ISteak Face/JMahogany Hall Stomp/KOn The Sunny Side Of The Street/LHigh Society/MBaby Won't You Please Come Home/NThat's My Desire/OC Jam Blues/PHow High The Moon/QBoff Boff
ミュージシャン:Louis Armstrong (tp,vo)/Jack Teagarden (tb,vo)/Barney Bigard (cl)/Dick Cary (p)/Arvell Shaw (b)
/Sidney Catlett (ds)/Velma Middleton (vo)
コメント:1935年以来ビッグバンドを率いてきたルイ・アームストロングが1947年に活動を打ち切り、コンボによるオールスターズを結成した。5月に「タウン・ホール」で行った旗揚げコンサートは大成功を収め、次いで「シンフォニー・ホール」でもライブを敢行。全盛期はすぎていたものの、これらの成功が契機になって、以後はこの路線で活動を継続し、一般的な評価も獲得した。その後者での名演がこの二枚組でたっぷりと楽しめる。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)
 ずっとモダン・ジャズばかりだったが、この『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』で初めてデキシーランド・ジャズが取り上げられている。ルイ・アームストロングといえば、その名前は単にデキシーランド・ジャズに止まらず、誰もが一度は耳にしたことのある名前だろうし、一般の人には、ある意味でマイルス・デイヴィスより親しみのある名前じゃないだろうか。「ジャズの代名詞」と言ってもいいんだろう。

 YouTubeにのライブ等の映像がアップされていたのでリンクを貼っておいた。ただし、今回取り上げたアルバムとは、時代も、編成とメンバーも異なっている。
Satchmo in East Berlin - March 22, 1965 - COMPLETE

posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記

2022年03月25日

逃病日記347(22.3.25.金)

(22.3.24.木)曇り時々晴れ
 ヨメさんは、今日もまた川端丸太町の娘一家の家の掃除と風通しに出かけた。清水寺の近くに住んでいるヨメさんのお姉さんも一緒とのこと。この家の掃除などをするときは、いつもこのお姉さんが一緒にやってくれている。娘からすれば叔母、孫からすれば大叔母ということになるが、娘や孫をことのほか可愛がってくれている。
 今日は、予報では快晴ということなので、布団などを干すつもりらしい。この姉妹  ヨメさんと義姉  は、娘たち一家の帰国が、もう待ち遠しくてたまらないようだ。
 娘と孫たちは、週に一、二回、LINEのテレビ電話をかけてくるが、娘は、今回、一時帰国したら「懐石料理」が食べたいなんてぬかしとる、お人好しのヨメさんは、「どこがええやろ?『菊乃井』か『中村楼』かな?」なんて訊いてくるので、「『かごの屋』でええんとちゃう」とゆうといたった。

(22.3.25.金)晴れ
 今日は、基礎疾患(気管がん)の経過観察のためにK大病院に血液・尿検査と造影剤CT撮影に行ってきた。
 最近になって始めたTwitterの『京都一乗寺ラーメン街道探訪記』が、なんやかんやとご無沙汰だったので、病院に行ったついでに寄って、番外編として『第一旭 熊野店』でも取り上げることにした。血液・尿検査は予約の必要はないが、造影剤CT撮影は午後2時の予約になっているため、先に血液・尿検査を済ませてから院外に出て『第一旭 熊野店』へ行き、その後に戻って造影剤CTを受けるつもりでいた。しかし造影剤CTは昼食抜きだったのを思い出し、予定変更することになった(病院へ行くのに、合間にラーメンを食べる予定なんて、なんか、深刻さゼロという感じもするが・・・)。
 12時半頃に家を出て、1時頃に病院へ着き、すぐに2階の採血室へ向かった。この時間帯は空いていると思ったが、受付をして採血順を確認すると十数人待ち、しかし採血ブースが数カ所あるので10分ぐらいの待ち時間で採血を終えた。採血する看護師が「スピッツ8本あるので少し時間がかかります」と言っていたが、まあ、こちとらは毎回そんな感じなので特にどうということもない(あまりこんなことに慣れたくもないが・・・)。
 時間に余裕があると思っていたが、造影剤CT撮影の予約時刻の15分前  造影剤CTの受付票には、予約時刻の15分前に受付するようにとの注意書きがある  になったので、院内PHSのコール音が鳴った。
 受付を済ませ、外待合のソファーに座って待っていると、ほどなく係員に名前を呼ばれた。この造影剤CTのときは、造影剤を注入されると、いつも吐き気を催す。アレルギー反応とまではいかないが、異物(造影剤)に対して身体がなんらかの反応をしているんだろう。その程度のことぐらいで、特にトラブルもなく撮影が終わり、会計を済ませて、いよいよ『第一旭 熊野店』へ向かった。
 3時前になっていたので、店内は客が一人だけ。ラーメンと餃子一人前を注文。第一旭はラーメン専門店だが、餃子も絶品で、個人的には、王将や蓬莱のものより美味しいように思う。
 『京都一乗寺ラーメン街道探訪記』の番外編として取り上げようと思っていたので、店正面の写真を撮ろうと思ったが、店前のベンチにオッサンが座ってタバコを吸っていたので、そこをカットして取らざるを得なかった。店員が、背中に店のロゴの入ったTシャツを着ていたので、それも写させてもらった。
 以下に、Twitterにアップしたコメント(一部修正)と写真を掲げておく。

 『京都一乗寺ラーメン街道探訪記』の第四弾は、番外編として『第一旭 熊野店』を取り上げた。今日、K大病院へ行ったのでその帰りに立ち寄った。これまで、この店には何回か行っている。豚骨スープなので、最初はどうしても臭みを感じるが、ニンニクなどの薬味を入れると気にならなくなった。どちらかといえば、私の好きな味。焼豚も厚みがあってジューシー。背脂が浮いているので見た目はあまり良くないが、美味しいのでスープも最後まで飲み干した。京都ラーメンの標準的な味という感じ。ラーメン専門店だが、ここの餃子が絶品の味で、必ず一緒にオーダーする。期待に違わない味だった。
 また今度、京都駅近くの本店にも、番外編として行ってみたいが、テレビでよく取り上げられているように、隣の新福菜館と同様、いつも、店の前に長蛇の列ができている。

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【今日の読書237※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-21『吉本隆明代表詩選』
A-37『デフレと超円高』
B-41『種の起原 下』
B-42『宇宙創成 下』
D-10『《論考》小林秀雄 増補版』
E-20『犬は吠えるT ローカル・カラー 他』
F-69『アフターダーク』
G-11『失われた時を求めて11』
H-3『パンセT』
I-31『我が詩的自伝』
K-16『現代小説の方法』
コメント:A-37『デフレと超円高』はリフレ派の第一人者である岩田規久男氏の著作だが、第三章の終わり近くに「デフレで得をするのは、競争が制限されているなどの理由から、デフレになっても、名目賃金が上がり、雇用の安定している一部の特権的な人たちである。デフレと円高で多の人の所得が減り、失業者が増えても、こういう特権的な人たちはデフレと円高の悪からは無縁で、むしろ、モノが安く買えるし、海外旅行も楽しめるため、デフレと円高歓迎である。その典型は、日銀のように、まったく競争相手のいない、独占企業で。かつ、不可欠の存在であるため、決して倒産しない企業に勤めている人である。」とある。
 本書は2011年に刊行されたものだが、岩田氏は2013年に日銀副総裁の就任、デフレと円高を解消できずに2018年に日銀を退任したが、「ミイラ取りがミイラになる」というか、「天に唾する」というか、「ブーメランが戻ってきた」というか、かくも、「経済」というのは、理論と実際の経済が相違するものなのか、しかし、そんな「経済学」というのは、そもそも何なんだろう、「科学」ではなく「科学的」なるものでしかないんだろうか。
 D-10『《論考》小林秀雄 増補版』は、著者の中村光夫が小林秀雄の弟分みたいな文芸評論家なので、「お兄ちゃんはこんな気持ちやったんや」みたいな感じで、主として心理的な切り口で、小林秀雄の論述に切り込んでいる印象がある。

【今日の映画237】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『ミーン・ストリート((TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
原題:Mean Streets
製作年:1973年
製作国:アメリカ
監督:マーティン・スコセッシ
出演:ロバート・デ・ニーロ/ハーヴェイ・カイテル/デイヴィッド・プローバル/リチャード・ロマナス/チェザーレ・ダノヴァ
ストーリー:ニューヨークで生まれ育ったチャーリー(ハーヴェイ・カイテル)は、父親を亡くし、母と2人で暮らす27歳の若者で、定職を持たず、叔父ジョバンニ(チェザーレ・ダノヴァ)がやっている会社の手伝いをしながら、トニー(デイヴィッド・プローバル)が経営するバーに入りびたっているという生活を送っていた。チャーリーにはジョニー・ボーイ(ロバート・デ・ニーロ)という親友がいたが、彼もまた気ままな毎日を送り、僅かな給料も酒や女やバクチに使い果たしていた。高利貸しのマイケル(リチャード・ロマナス)は、そんな彼に金を貸したために、いつもとりたてに彼を追い回していた。チャーリーの叔父ジョバンニは、ニューヨークの一角ではボス的な人物であったが、チャーリーが、ジョニーとつき合うことを心良くは思っていなかった。ある時、ジョバンニは、自分が経営することになった一流イタリア料理店をチャーリーにまかせようとそのことを彼に告げた。出世のチャンスに喜ぶチャーリーだったが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.5、TSUTAYAは3.12、Filmarksは3.6で、私の評価は3.3とした。
 後の「タクシードライバー」に通じるマーティン・スコセッシとロバート・デ・ニーロのコンビによるダークな青春群像劇。主役はどちらかといえばハーヴェイ・カイテルだと思うんだが、『ピアノ・レッスン』や『ユリシーズの瞳』などの傑作での主演があるものの、現在では、「大御所」と言ってもいいようなデ・ニーロと大きな差ができてしまった感じ。まあ、ハーヴェイ・カイテルには、確かに「オーラ」のようなものはあまりないように思う。デ・ニーロのあの独特の笑い顔は、若いこの頃から変わっていないんだ・・・。

【今日のジャズ237】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Blues Walk
アーティスト:Lou Donaldson
レーベル:Blue Note/東芝EMI/EMIミュージック
録音年月日:1958.7.28
曲名:@Blues Walk/AMove/BThe Masquerade Is Over/CPlay Ray/DAutumn Nocturne/ECallin' All Cats
ミュージシャン:Lou Donaldson (as)/Herman Foster (p)/Peck Morrison (b)/Dave Bailey (ds)/Ray Barretto (cga)
コメント:チャーリー・パーカー派として1950年台初頭から頭角を現していたルー・ドナルドソンだが、早い時期にブルース・フィーリングを強調した演奏も聴かせていた。その初期の傑作が、ピアニストのハーマン・フォスターと組んだこの作品。シンプルなフレーズで構成されたタイトル曲や土の香りをたっぷり盛り込んだ〈Autumn Nocturne〉の出来が特にいい。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)
 同じ『珠玉のJAZZ名盤100』からスティーブ・コールマン (as) のコメント「ルー・ドナルドソンの〈ブルース・ウォーク〉は、ジャズで演奏されるブルースの典型的な一曲だ。ブルースは起承転結がはっきりした音楽で、12小節の中でストーリーが綴られていく。ブルース・シンガーならそれが歌詞で表現できる。でも、ミュージシャンは楽器でそのことを表さないといけない。その点でこの演奏はベストとはいわないけれど、手本となる内容になっている。ジャズ・プレイヤーの場合、ブルースを演奏するときでもフォームを追求するだけで、ブルース本来の起承転結のことをないがしろにしたり、まったく念頭に置いていないひとすらいる。ぼくもそうなりがちだ。ところがこの演奏は、ブルース本来のあり方や表現をきちんと踏まえた上で、ドナルドソンならではのプレイになっている。そこが素晴らしい。」
 YouTubeにルー・ドナルドソンのライブ等の映像がアップされていたのでリンクを貼っておいた。ただし、今回取り上げたアルバムとは、時代も、編成とメンバーも異なっている。
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記