(22.3.28.月)晴れ時々曇り
東京のコロナ感染者数が、昨日、一昨日と二日続けて前週の同じ曜日を上回ったそうだ。
蔓延防止措置が21日に解除されてわずか1週間で、また増加傾向に転じてきたのか?卒業関連イベント、入学や入社に伴う人の移動やイベント、それにお花見など、人の動きが活発になる時期なので、再拡大が懸念される。
ウクライナ情勢は以前として膠着状態が続いているが、イラク戦争をはじめとする中東問題にしろ今回の事態にしろ、事態が拡大した背景にアメリカ大統領の言動が遠因となってケースがほとんどのようだ。
イラク戦争に関しては、その前にフセインのクウェート侵攻があったにしろ、その後の展開はブッシュjr.大統領とチェイニー副大統領の 今まさにプーチンがやっているのと同様な核兵器や生物・化学兵器開発の兆候があるということを口実にした 自作自演だったし、今回のウクライナ侵攻の前段となる、ジョージア侵攻はオバマとバイデンのロシアに対する弱腰が影響しているとのことのようだ。このジョージア侵攻でのオバマらの弱腰がクリミヤ半島侵攻に繋がり、さらに今回のウクライナ侵攻にも繋がっている、というロシア問題専門家の解説は肯けるものがある。
イラク戦争後もアメリカ軍が駐留していたが、タリバンやイスラム国勢力の台頭で中東地域はカオス状態になり、結局、イラクをアメリカナイズすることができずに撤退せざるを得なくなった。中東地域をかきまわして、収拾ができずに、ハイ、さようなら、というわけだ。
なんだかんだ言っても、異文化国でどっぷりとアメリカナイズされたのは、結局、日本だけじゃないのか。その背景には、おそらく歴史、文化、宗教の問題があるんだろう。
(22.3.29.火)曇り時々晴れ
今日は、待ちに待った?ヨメさんが週1回のスイミング・スクールに行く日。単にテレビ録画してある映画を観るだけなんだが、ヨメさんがいないと変な開放感があって、気分的に「鬼の居ぬ間に」という感じになる。
録画してあるのは洋画がほとんど、それを観ているからといって、ヨメさんが、どやこや言うわけではないんだが、なんかよう分からんけど開放感のようなものがある。
今日の作品は、クリント・イーストウッドの『奴らを高く吊るせ!』、民放のBS作品を録画したものだったので、日本語に吹き替えた作品だった。リモコンの機能を適当に操作していたら、「英語音声」「日本語字幕」に切り替えて観ることができた。
テレビでサッカーのワールド・カップ予選を観ながら、スポナビで野球中継の経過を追っていたら、案の定、広島にサヨナラ負けという無様な結果、同じく連敗中だったDeNAが勝ったので、阪神は最下位になってしまった。
こうなったら、せいぜい負け続けて、矢野監督の退陣を待つばかり。今シーズンはもう終わったという感じだが、まあ、とりあえず、矢野監督の退陣後は元岡田監督で繋いでもらって、来シーズンからは鳥谷監督を熱望する次第だわな。
(22.3.30.水)曇り時々晴れ
今日は、2週間に1回、Y整形外科医院で両膝関節にヒアルロン酸注射を打ってもらう日。
前回の診察(先々週の水曜日)の際に、手術を前提としたK大病院整形外科への紹介状を書いてもらい、先週の水曜日にそのK大病院を受診した。今日は、K大病院の方からY整形外科医院側に紹介受診に対する回答が届いているはずだ。
医院に着くと、待合室にはそこそこ患者さんが待っていた。予約時刻を午後2時半に変更してもらってから、着くなり、すぐに名前を呼ばれることもあったが、ここ最近はそれなりに待たされる。結局、名前を呼ばれたのは3時半頃、どうやら私が最後の患者のようで、待合室には、医療業者のSEだけで、患者はもう誰もいない。
紹介受診の回答は届いていた。手術日が決まれば、その3ヶ月前からヒアルロン酸注射を中止しなければならないとのこと。この医院の先生もK大病院出身で、院内の事情もよく承知されているので話が通じやすい。手術時間は麻酔も含めて3時間ぐらいかかるそうだ。
明後日の、K大病院での診察 先週の金曜日に血液検査と造影剤CT撮影に結果に基づく診察 で、手術実施の可否が決まり、その後、来月20日に予約してあるK大病院整形外科を受診して、手術日が決まるだろう。おそらく、多くの手術待ち患者がいるだろうが、可能な範囲で最短に日に手術をするつもりでいる。
【今日の読書239】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-21『吉本隆明代表詩選』
A-37『デフレと超円高』
B-41『種の起原 下』
B-42『宇宙創成 下』
D-10『《論考》小林秀雄 増補版』
E-20『犬は吠えるT ローカル・カラー 他』
F-69『アフターダーク』村上春樹
G-11『失われた時を求めて11』
H-3『パンセT』
I-31『我が詩的自伝』
K-16『現代小説の方法』
コメント:D-10『《論考》小林秀雄 増補版』で、私がマーカーを引いたフレーズを抜粋しておく。
p.25「作家の狙った効果に捕われず、作品の背後に精神の劇を見るのが、氏(小林秀雄(以下同様))の批評の方法である」
p.25-26「氏が、なぜ批評家というおそらく自分にも思いがけないものになり、批評文を自己の表現手段とするに至ったか。批評という文学形式は、(それを氏が現代文学のなかでつくりだしたにしろ)はたして氏を充分に満足さすものであったか、というような問題は、氏が或る時期の文壇にどういうポオズをとったかということより、ずっと興味があることです。僕は、氏の批評文は、現代最高の文学に数えますが、氏の本質はおそらく批評家ではないのです。」
p.26「氏には批評家にあっては、殆ど才能に代わる役割を果す、外界への善意と奉仕の精神が、まったく欠けています。氏は他人のおせっかいを焼くには、自分のことで忙しすぎるので、この意味では徹底したエゴイストです。」
p.26「散文の表現が理智を媒介とし、したがって外界への興味を前提としているとすれば、氏は本質において詩人なので、評論は氏にとって詩の代表品なのです。」
p.27「『批評家が自ら詩人になることは不可能に近いが、あらゆる大詩人は自然に、宿命的に批評家となる。』というのは、氏の好んで引用するボオドレエルの言葉です。」
p.28「我国の多くの詩人が、その抒情を青春とともに使いつくして、彼自身の人間が、いわば詩の燃えがらとして成熟し、世俗と妥協して行くのと反対に、氏の青春を閉じこめた詩は、おそらく迂路による表現しか得られなかったためもあって、齢とともに氏の心を強く支配し、抗いがたい力で引き摺るようになったので、戦後の氏の仕事は、青春の危険な復活であったとも云えます。」
p.29「対象の芸術作品を立体とすれば、批評の機能は、それをある平面に載ることであり、批評家の仕事は、できるだけ立体全部の形を暗示できる切口をつくることです。」
p.30「ボオドレエルの詩も、、ドストイェフスキイの小説も、彼らの本当に云いたいことを云い尽くせなかったとしたら、文字による表現に自分を賭けること自体、ひとつの迷妄であろう、その迷妄から醒め、どのような天才も免れなかった愚かしさを分析するところに、新しい文学の可能性があるのではないか、若かった氏はおそらくそう考えたので、ここにしが批評家の道を選んだ積極的動機があったのです。」
p.31「『作家の思想は書くことによって育つ。』と氏はドストイェフスキイを論じて云いますが、そういうことが云えるのは、彼の思想が、これを奥底まで言葉で云い現そうとする努力で、ゆさぶられ整理されることによってです。」
【今日の映画239】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『ラストムービー』((TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
原題:The Last Movie
製作年:1971年
製作国:アメリカ
監督:デニス・ホッパー
出演:デニス・ホッパー/ステラ・ガルシア/ドン・ゴードン/ジュリー・アダムス
ストーリー:映画撮影のため南米ペルーへやって来たスタントマンのカンザス(デニス・ホッパー)は、撮影後ドラッグに溺れるようになり、映画作りを模した村で奇妙な儀式に巻き込まれ、虚構と現実の境界を超えた世界へと突入していく・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.2、TSUTAYAは3.48、Filmarksは3.6で、私の評価は3.0とした。
初監督作『イージー・ライダー』で一躍時代の寵児となったデニス・ホッパーの監督第2作。『イージー・ライダー』にも出演したホッパーの盟友ピーター・フォンダが共演している。1971年ベネチア国際映画祭では好評を博したものの、難解で前衛的な内容に困惑したユニバーサル映画のトップの再編集指示をホッパーが拒絶したため、短期間での公開後ほぼお蔵入りとなったそうだ。
まあ、確かに、よく分からない作品だな。同じアメリカン・ニューシネマでも『イージー・ライダー』何回も見た記憶があるが、この作品は初めてだわ。
【今日のジャズ239】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Alone At Montreux
アーティスト:Ray Bryant
レーベル:Atlantic/MMG
録音年月日:1972.1.1
曲名:@Gotta Travel On/ANo. 3 〜 Willow Weep For Me/BCubano Chant/CRockin' Chair/DAfter Hours/ESlow Freight/FGreensleeves/GLittle Susie/HUntil It's Time For You To Go/IBlues No. 2/JLiebestraum Boogie
ミュージシャン:Ray Bryant (p)
コメント:レイ・ブライアントが久々に存在をアピールしたのがこの1972年の「モントルー・ジャズ・フェスティバル」でのこと。オスカー・ピーターソンが土壇場になってキャンセルしたことから、急遽出番が回ってきた。この千載一遇のチャンスにブライアントが人生最高のソロ・ピアノで応える。圧倒的成功の中でコンサートを終えた彼の演奏を記録したのがこの作品だ。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)
同じ『珠玉のJAZZ名盤100』からアーマッド・ジャマルのコメント「レイ・ブライアントの魅力は、誰も寄せつけない左手のビートにある。このスイング感はすごい。左手一本でベースとドラムの役割を果たしてしまうからだ。ブギウギ・ピアニストは多かれ少なかれこの傾向がある。それでも、レイほど明快にその特徴を表現したひとはいない。タッチのめりはりのつけかたが強力だ。だから聴いている人が爽快になれるんだろう。そこがわたしとは正反対のところだよ。わたしのスタイルかい?強力なタッチはあまり用いない。穏やかなタッチに気持ちを込めるんだ。レイのようにエモーションを鍵盤に叩きつけるようなプレイはしらない。そんなんことをしたら疲れちゃうじゃないか(笑)。わたしはテンションの高い演奏よりリラックスしたプレイをするほうが好きだ。その点でも、彼とは正反対にいる。この作品でもうひとつ驚かされるのは、アイデアの豊富なことだ。よくもまあ次から次へとフレーズが湧いてくるものだと思うよ。それをバラードでもアップ・テンポの曲でも軽々とこなしてしまう。わたしにはとてもじゃないができない芸当だ。」
YouTubeにレイ・ブライアントのコンサート・ライブの映像がアップされていたのでリンクを貼っておく。