(22.2.26.土)快晴
いよいよ春の到来!だ。まさに「冬来りなば春遠からじ」という感じ。このフレーズの原文は英国の詩人の詩で「If Winter comes, can Spring be far behind ?」というんだそうだが、その蘊蓄に紐付けしておいた。
ということで、コロナ・ワクチン接種の副反応の熱も治ったので久しぶりに外出した。
まず、大垣書店で、先日来、気になっていた本の所在を確認した。1冊目は三中信宏三の『読書とは何か』で、まあ、この手の「読書論」にはこれまでもお世話になり、かつあまり役には立たなかったという実感はあるが、本書は、パラパラと立ち読みしただけだが、ダーウィンの『種の起源』 難解ではないんだが記述スタイルが独特で結論を捉えにくい の攻略法について論じているので、なんとなく気になった。
2冊目は、『太陽がいっぱい』や『見知らぬ乗客』などの原作者で知られるパトリシア・ハイスミスの『サスペンス小説の書き方』。彼女の小説はまだ読んだことはないが、「単なエンターテイメントに止まらない」という評判をよく見かけるので、一度、読んでみたいと思っていたところ、その彼女が書いた『サスペンス小説の書き方』ということで食指が動く。
さてどうしようか、2冊とも買うか買うまいか、今日は、取り敢えず、見合わせたが、一応、ペンディングということにして、明日また立ち寄ってみよう。
次に、イズイヤ4階のホームセンター「コーナン」で風呂の栓 チェーンが切れてしまったので を購入した。サイズなんかをどんなふうに選んだらいいのかわからんので、店員に声を掛けたが、商品のことがなんもわからんようなオバハンやった、なんぼなんでもひどすぎる。最低限の社員教育ぐらいしとけや。あとで書品説明ができるニイチャンが来て、対応してくれたけど・・・、ほんでも、買うときにそのニイチャンに確認したら、「家で実際にはめてみて、合わんかっても商品交換はしません」って言いよった。こんなんありかいな?(しかし、なんで「イズミヤ」の話になったら関西弁になんねんやろね?)
帰宅して、風呂の栓を合わしてみたら、なんとかハマって、一安心ということで、一件落着。
(22.2.27.日)快晴
昨日、大垣書店で買うか買うまいか逡巡した二冊の本 三中信宏三の『読書とは何か』とパトリシア・ハイスミスの『サスペンス小説の書き方』 を買うか買うまいか、まだ迷っている。どちらも読みたいんだが、問題は、@書棚のスペースがないこと、A(ツンドク本も含め)他にも読みたい本がたくさんあるのに読む時間(余命)が残されているのかということ。@に関しては、川端丸太町の娘の家の近くの大学寮で地域交流の一環として近隣からの古書(寮生が読むための)の受け入れを希望しているとの情報があったので、読んで再読の見込みのない本を引き取ってもらえる目処が立った。また、Aに関しては、内藤 陳の書名ではないが、自分自身で、蔵書のすべてを「読まずに死ねるか!」という「心持ち」があるので、本が増えても「すべて読むためには長生きせなあかん」と一種のモチヴェーションになるようにも思われる。
まあ、てなことで、「書いたいなあ」→「買おうかなあ」→「買おう」と気持ちの変化を感じなくもない。
【今日の読書226】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-21『吉本隆明代表詩選』
G-11『失われた時を求めて11』
H-3『パンセT』
I-31『我が詩的自伝』
K-15『読書実録』
コメント:I-31『我が詩的自伝』は、まだ、第一章「「非常時」の子」だけしか読んでいないが、なかなか面白い自伝。ユニークな内容の話も多いが、「文学」にまつわる発言で、当方がマーカーを引いたものを抜粋しておく。
p.7「感覚的に言うと、フィルムに傷がつくようにして記憶に傷がついたような子供だった。」
p.12「(幼少時の記憶について)それを正確に記述しようとする後年の精神の働きによって記憶が二重になってきてるのね。つまり事実そのものというよりも、それを書きとめる際に、そこで働く「透視力」によってというのか、微妙に変えてずらして書いているはずです。書くということによって、それがあらためて記憶に入ってきている。」
p.17「書くときというのは書く効果のためにいろんな記憶の角みたいなものを利用しながら、書くものが要請する効果みたいなものをつかんで書くんですね。」
p.19「聖書の詩篇の第二十三編の「主は我が牧者なり・・・・・・たとひわれ死のかげの谷を歩むとも禍害をおそれじ」は覚えています。そういう異語との傷口みたいな接触が、やはり出発点にあったのね。」
【今日の映画226】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『大人は判ってくれない』(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
原題:Les 400 coups
製作年:1959年
製作国:フランス
監督:フランソワ・トリュフォー
出演:ピエール・レオ/パトリック・オーフェー/アルベール・レミー/クレール・モーリエ
ストーリー:12歳のアントワーヌ・ドワネル(ピエール・レオ)にとって、毎日は苦痛の連続で、学校では成績も悪く、いたずら好きで先生に叱責され、家では厳しい母親(クレール・モーリエ)とうだつの上がらない父親(アルベール・レミー)に囲まれた息の詰まる生活を送っていた。そんなある日、登校中に親友のルネ(パトリック・オーフェー)に出会い、学校をサボって街中をうろついていて、母親が見知らぬ男と抱き合っているのを見てしまう。母は帰宅せず、翌朝、前日の欠席の理由を教師に追及されて「母が死んだのです」と答えるが、欠席を知った両親が現れてウソがばれる。しかしある日、尊敬するバルザックの文章を丸写しして提出した作文がばれて叱られ、アントワーヌは家を出て、金持ちのルネの家に隠れ住む。やがて金に困り、ルネと一緒に父の会社のタイプライターを盗むが、守衛に捕まり、警察へ連行され、非行少年として少年審判所へ送られ・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.7、TSUTAYAは3.58、Filmarksは4.0で、私の評価は3.8とした。
フランソワ・トリュフォーが1959年に発表した長編デビュー作。12歳の少年を主人公に描いた自伝的要素の強い作品で、第12回カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞、トリュフォーは一躍“ヌーベルバーグの旗手”として知られるようになった。
『映画術 ヒッチコック/トリュフォー』を読んで、ヒチコックの作品をフォローしたが、インタビュアーを務めたトリュフォーの作品も観たくなった。ところが、Amazon Prime VideoやU-NEXTのサイトでは、ほとんど配信されていなかったので、TSUTAYAレンタルビデオでの「旧作1枚88円」のサービス期間を待ってレンタルした。トリュフォーの「映画への関心の芽生え」が描かれている。
【今日のジャズ226】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Whims Of Chambers
アーティスト:Paul Chambers
レーベル:Blue Note/EMIミュージック
録音年月日:1956.9.21
曲名:@Omicron/AWhims Of Chambers/BNita/CWe Six/DDear Ann/ETale Of The Fingers/FJust For The Love
ミュージシャン:Donald Byrd (tp)/John Coltrane (ts)/Horace Silver (p)/Paul Chambers (b)/Kenny Burrell (g)/Philly Joe Jones (ds)
コメント:同じブルー・ノートから出た『ベース・オン・トップ』の影に隠れているが、その前年に吹き込まれたこの作品もポール・チェンバースの魅力を十分に伝えている点でベスト・アルバムに数えていいと思う。力強いベース・ワークが精鋭たちとの間で繰り広げられる。日ごろは名脇役に甘んじている彼が、実は魅力いっぱいのリーダーであることも証明した。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)
同じ『珠玉のJAZZ名盤100』からチャーリー・ヘイデン (b)のコメント「ポール・チェンバースに関しては多くのベーシストが彼のボウイングを絶賛している。わたしにも異論はない。でも、個人的には彼のピチカット奏法がそれ以上に素晴らしいと思っている。彼ほど安定感に溢れたウォーキングができるひとはいない。ドラマーの存在が霞んでしまうほど強力だ。それでいてビートをキープするだけにとどまっていない。触発的なフレーズをウォーキングで提示することによって、ソロイストを鼓舞してみせる。ベーシストとして理想的な姿がそこにある。リーダー作は少ないが、リーダーとしても立派だ。それらのことをこのレコードは教えてくれた。」