(21.12.30.木)晴れ
今日、昼過ぎに、息子一家3人+ワンコが東京から帰省した。
ヨメさんは、早速、孫を連れて近くのカナート洛北のEDIONへオモチャを買いに出かけていった。実は孫の誕生日が12月22日だったので、Amazonで何かプレゼントを送ろうかと思ってメールをしたら、年末に帰省したときに孫の好きな物を買ってもらったほうがイイみたいとのことだった。
孫と息子達も一緒にカナート洛北に行ったので、私はワンちゃんとお留守番、プードルはコミュニケーション能力が優れているとのことだが、すぐになついてきてくれる。本当に可愛いもんだ。
以前、飼っていたのはチワワで、15年ほど生きていた。10歳を過ぎた頃に難病にかかり、 去勢手術をしたときに獣医院の清潔環境が劣悪だったため、脳幹が菌に侵されてバランス機能に障害が生じ 身体のバランスが取れなくなって、ずっと首を傾け、体が傾いたままだった。発病したときは、大阪方面の動物病院までMRIを撮りに行き、なんとか病因が分かってからは免疫抑制剤(ステロイド)などを処方してもらい、死ぬまでの5年間、まさに人間なみの「逃病生活」だった。
孫はヨメさんにラジコンのジープを買ってもらって、満面の笑顔で帰ってきた。早速、室内で走らせて壁や家具などにぶつけて、ヨメさんもハラハラという感じ。昨年はコロナ禍で帰省できなかったので、今年は2年ぶりに賑やかな正月になりそうだ。
(21.12.31.金)曇り時々雪
今日は大晦日。まあ、特にどうということはないんだが、今年は息子一家+ワンコが来ているので、いつもの老夫婦ふたりだけのときとは様子が少し違う感じの年末年始。
実は、息子の嫁は、地元の小学校の同級生で、実家も同じ団地で 第一から第三まで竣工順に三つのエリアに分かれている エリアが異なっているだけなので、帰省しても、今回は息子とワンコがわが家に、嫁と孫(男子)が嫁の実家に泊まるこというような感じで、両方の家を行ったり来たりすることになる。今日の晩食は、息子たちは嫁の実家で採るとのことで、ワンコはわが家でお留守番、息子は夜の9時半頃に帰ってきた。明日の晩食はわが家で採るので、嫁と孫が当方で食事をするとのこと。
【今日の読書201】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-19『老の流儀』
B-38『種の起原 上』
B-36『宇宙を織りなすもの 下』
E-19『成城だよりV』
F-65『ティファニーで朝食を』
F-66『スプートニクの恋人』
G-10『失われた時を求めて10』
H-3『パンセT』
I-29『映画術ヒッチコック/トリュフォー』
I-30『ヒッチコックに進路を取れ』
K-13『パムクの文学講義』
コメント:K-13『パムクの文学講義』には、印象的な文章が目白押し。私たちが小説に対して抱いていた漠然としたイメージをこれほど的確に文章化してくれる書はめずらしい。それらの文章を抜粋して掲げておく。
p.2「私たちは小説が現実であるという前提で小説を読みます しかし頭のどこかではその前提が間違っていることもよくわかっています。このパラドックスは小説の性質に起因しています。小説という芸術が、私たちの、相反する状態を同時に信じることができる能力のうえに成り立ってることを強調することから始めましょう。」
p.5「入ろうとする世界に波長を合わせようと、手にした小説の細部に全神経を集中させながら、私は想像の中で言葉を視覚化し、本の中で描写されているすべてをイメージしようと必死でした。少しすると、集中して懸命に努力した成果が実り、私が見たかった広々とした景色が、霧が晴れて巨大な大陸が鮮やかに姿を現すように目の前にひらけます。そうすると、小説の中で物語られているものが、窓から外を見るように快適にやすやすと見えるようになるのです。」
p.8「小説を読む真の楽しみは、その世界を外からではなく、そこに住む主人公たちの目を通して見る能力から始まります。小説を読むとき、長い期間と一瞬のあいだ、一般的な考えと個々のできごとのあいだを私たちは揺れ動き、そのスピードはほかの文学ジャンルにはありえないものです。」
p.9「小説のなかの風景が、主要人物たちの精神状態の延長であり一部であると感じとるにつれて、自分たちが知らず知らずのうちにこれらの人物に同化していることに気づきます。小説を読むということは、全体の文脈を記憶にとどめつつ、主要人物たちの考えや行動をひとつひとつ追い、全体の風景の中でそれに意味を与えていく行為なのです。」
p.9「小説に没頭しているとき、私たちの頭は懸命に働きますが、・・・(中略)・・・風景、木々、主要人物たち、彼らの考え、彼らが触れる物のあいだを、私たちは絶えず揺れ動きます。物からそれが喚起する記憶へ、他の主要人物へ、それから一般的な考えへと移っていきます。私たちの頭と五感はものすごい集中力と速さで稼働し、多数の作業を同時にやってのけますが、たいていは自分が作業していることにもはや気づきません。車を運転している人(ドライバー)とまさに同じ状態です。」
p.10「ドライバーのたとえは読者だけでなく小説家にも当てはまります。一部の小説家は自分が用いているテクニックに無自覚です。彼らは本能的に書きます。自分の頭のなかで行っている操作や計算を自覚せず、小説芸術が与えてくれるギアやブレーキやレバーを使っていることを忘れて、まったく自然な行為をしているかのように書くのです。この種の感性、この種の小説家と読者 つまり、小説を書くことや読むことの人為的な側面にまったく注意を払わない人びと を言い表すのに「直感的(ナイーブ)」という言葉を使うことにしましょう。そしてその反対の感性を言い表すのに「思索的(リフレクティヴ)」という言葉を使うことにしましょう。こちらは、テクストの人為性やテクストがリアリティーを獲得できない事例に惹きつけられ、小説を書くのに使われる手法や読書中の頭の働き方に注目する読み手や書き手のことです。小説家であるということは、同時に直感的でもあり思索的でもあるという技なのです。」
【今日の映画201】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『私は告白する』(U-NEXTで視聴)
製作年:1953年
製作国:アメリカ
原題:I Confess
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:モンゴメリー・クリフト/アン・バクスター/カール・マルデン/O・E・ハッセ
ストーリー:カナダ・ケベック市の敬虔な神父マイケル・ローガン(モンゴメリー・クリフト)は、ある夜、教会で働くオットー・ケラー(O・E・ハッセ)から強盗殺人を犯したとの告解を聞く。事件を担当するラルー警視(カール・マルデン)は犯行時に犯人が僧衣をまとっていたことを突き止め、マイケルに疑いがかかる。だが、マイケルはケラーの告白を他言することができない。その上、犯行のあった夜にマイケルが国会議員の妻ルース(アン・バクスター)と逢っていたことがわかり、容疑が深まってしまう。ルースはマイケルの無実を証明するために良人、検事、警視、マイケルらの前で、マイケルが聖職を志す以前の過去の恋を打ちあけるが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.7、TSUTAYAは3.38、Filmarksは3.6で、私の評価は3.5とした。
いつものヒッチコック作品とは、少し雰囲気が異なり、単なるサスペンスに留まらずに、「告解」という宗教的な重大なテーマも同時に描かれている。
ヒッチコックおじさんのチョット出の場面だが、前作の『舞台恐怖症』では、ひとりごとを言いながら歩いてくるジェーン・ワイマンとすれちがってふりかえっているおじさんとして顔を出している。
さて、それでは本作『私は告白する』では、どこに・・・
【今日のジャズ201】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Jazz At Massey Hall
アーティスト:The Quintet
レーベル:Debut/ビクターエンターテインメント/Fantasy/ビクター音楽産業
録音年月日:1953.5.15
曲名:@Perdido/ASalt Peanuts/BAll The Things You Are 〜 52nd Street Theme/CWee/DHot House/EA Night In Tunisia
ミュージシャン:Dizzy Gillespie (tp)/Charlie Parker (as)/Bud Powell (p)/Charles Mingus (b)/Max Roach (ds)
コメント:チャーリー・パーカーを中心にディジー・ガレスピー、バド・パウエル、チャールス・ミンガス、そしてマックス・ローチと、ビバップを推進したスター・アーティストが結集した夢のポールスターズによるライブ盤。ビバップの全盛時代は過ぎていたものの、極上の内容はこのスタイルが永遠に魅力的であることを伝えている。とりわけパーカーのプレイは大胆不敵で、天衣無縫。彼なくしてはビバップの発展はある得なかった。そのことも併せて証明している作品。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)
Amazon Music Unlimitedでこのアルバムは配信されていたが、『ジャズ資料館』では、タイトルを 「Jazz At Massey Hall」、アーティストを「Charlie Parker」で検索してもなかなかヒットしなかった。それで「Jazz At Massey Hall」だけで検索したら、アーティストが「The Quintet」とあったが、それを開いたら本アルバムだった。そりゃ、この5人のビッグネームのアーティストなら、誰か特定の個人のアルバムというわけにもいかんわな、と納得。