(21.11.27.土)晴れ
日本シリーズはヤクルト・スワローズの勝利で決着した。どちらかと言えばオリックスの方を応援していたが、やはり、ケガからの回復直後であった吉田選手の不調など、僅かな打力の差が勝敗を決したようだ。
解説者や新聞記事と同じことを言っても仕方がないが、近来稀に見る見応えのある日本シリーズだった。第7戦までいって、 前回の阪神大震災の年にリーグ優勝したものの、同じ対戦相手であったヤクルトに日本シリーズ優勝を阻まれた借りを変えして、 オリックスが優勝する、というのが一番ドラマとして盛り上がっていたんじゃないかと思うが、まあ、両チームよく頑張って、野球の面白さを堪能させ、再認識させてくれたといえるだろう。この両チーム、何より優れていたのは「監督の采配」だろうな、どこかのチームと比べてえらい違いだわな。
(21.11.28.日)晴れ
今日もいい天気だが、プル野球日本シリーズも終わってしまい、「手持ちのブタさん」状態だわな。
いつもの土曜・日曜日なら、居間でテレビを点けたままPCでブログを書いているんだが、日本シリーズも終わってしまったので、観たいというか、点けておくテレビ番組もない。それで午後からは、いつもの平日のスケジュールのように、書斎でずっとK-12『創作の極意と掟』を読んでいたため、読み終えてしまった。
【今日の読書187】※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-17『老いの超え方』
G-10『失われた時を求めて10』
H-3『パンセT』
I-29『定本 映画術ヒッチコック/トリュフォー』
K-12『創作の極意と掟』
コメント:@-17『老いの超え方』を読み終えた。第一部『身体』、第二部『社会』、第三部『思想』ときて、第四部は『死』がテーマだったが、現在、「逃病」中の私にとっては、自分自身の気持ちの持ち方などを含めて身につまされる内容が多く、この第四部全体が黄マーカーで真っ黄色になってしまった。抜粋して掲載しておく。
p.229「死を考えると怖いということはありますが、死はその人のものではないので、考えたってわからないので、考えなくてもいいのです。」
p.232「フーコーのことから言いますと、死というのは日本の常識では老いることの次が死だと言われていますが、真っ向からそうは言っていません。フーコーは、死というのは人間が生まれてから死ぬまでの系列の中に入ってこない、図式的にはそういう系列とは違うところにあって、それは生まれたときから死ぬときまで全部が見えるような位置にある。だから、赤ん坊で死ぬ人もいるし、老いて死ぬ人もいる。こういう自然から与えられた宿命に従うので、どこで死ぬかは誰にも分からない。幼児期から思春期、成年期、そして老年期で病気になって最後に死がくるという考え方をしていません。フーコーは、死と生は全然別の次元というか問題というか、生まれてから死ぬまで全部を照らしてみることができる場所に死というのはあると言った。これは非常にいい考え方だと僕は思います。もう一つ、フーコーの考え方でいいと思うのは、病気で危篤になった、その次に死んだ、そういうことではない、つまり死は、点や線で区切られるものではないということです。」
p.233「死は自分にも分からないし、医者から見て苦しそうにしていても、本当に苦しいかどうかは死ぬ人にしか分からない。生理的に苦痛の表情をするかもしれなけれど、だから苦しがっていると思うのは大間違いで、客観的に見て判断しているだけです。ご本人が苦悶の表情をしているから、この人は苦しがっていると思うのは早計でつまり、間違いであると、僕もそう思います。」
p.234「死というのはすべてを照らしている。生まれてから死ぬまでを照らしているというのは、親鸞も同じです。」
p.237-238「フーコーもそうですが、親鸞の、誰が、いつ、何の病気で、どう死ぬかは全然分からないことだ、こんなことをあらかじめ想定するのはおかしいという考え方の方が、僕はいいと思います。」
p.241「境地として、精神状態として死というのは怖くないという状態になればいい。そのことを悟りとは言いませんが、それに該当する、そこまで行けば悟りに行ける状態だという、形而上学的な意味でそれを理解しないとしょうがないのではないでしょうか。」
p.250「一遍もはっきり言っています。『一人生まれて一人死す』、それが人間の運命みたいだみたいなことをちゃんと言ってしまっています。だから、そこから何も持つなということがくるのです。持つと執着が起こるので、いろいろ考えたり、生き延びたいと思うようになるからでしょう。」
p.255(安楽死という考え方について)「生きている限り生きる、はたの人が納得する限りは生きる努力をするということ、僕はそういう考え方です。・・・(中略)・・・僕は最初は目でしたが、だんだん身体が不自由になってきて、足腰も痛くなって、そうすると『なんで俺は往生際悪く生きていく気になっているんだろう』と、自分でも何度もそういうことを考えたりしました。生きることのほうが、自分で自分を死なせるということの持つ自然さと比べてもっと自然だったら、往生際悪くしているのが自然にかなうのだろうと、内心はそう思っています。」
p.256「いかに医者だといえども、もう医学的にやることはないということは専門家だから分かっていますが、安楽死という生死の問題に関与すると間違うと、僕はそう思います。科学的にと称しても、そういう科学的は本当の科学的ではないと理解します。人間の生死に余計な介入はしないほうがいいと思います。」
p.259「ホスピスや安楽死というのは・・・(中略)・・・医学が介入すべきではない。科学というのは一番新しい宗教ですが、正確に科学的に言えるものは大変少なくて、たいていは医学のある分野で専門家だというだけで、人間全体についての専門家ではありません。ましてや、人間が消滅するかどうかということについて医者が出張ってくるというのは、今の科学宗教の結果です。それが法律と関係するとそうなっている。でも、死はそんなちゃちなものではないみたいなことは言えます。」
【今日の映画187】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『アンジェラの灰』(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
製作年:1999年
製作国:アメリカ・アイルランド
原題:Angela's Ashes
監督:アラン・パーカー
出演:エミリー・ワトソン/ロバート・カーライル/キアラン・オーウェンズ/マイケル・リッジ
ストーリー:世界的大恐慌の1930年代。ニューヨークで出会って結婚したマラキ(ロバート・カーライル)とアンジェラ(エミリー・ワトソン)は5人の子供をもうけていたが、生活が貧しく、生まれたばかりの娘マーガレットの死を機に、一家で故郷アイルランドのリムリックへ戻ることに。小さな部屋を借りた彼らの生活は、仕事もないのにプライドだけは高い酒飲みのマラキのせいで一向に楽にならない。アンジェラだけが子供を守るために奔走する。そんな母の姿を見守り続ける長男フランク(少年期:キアラン・オーウェンズ)は力強く成長。学校では作文の才能を認められたりもした。やがて父マラキはイギリスへ単独出稼ぎに出掛ける。しかし何の連絡も金も届かない。フランクは石炭運びの仕事を始めるが、結膜炎になり断念。そしてクリスマス。帰国した父は、無一文のままだった。再び出ていった彼はそのまま蒸発。ついにアパートから追い出された一家はいとこの家に厄介になる。フランク(青年期:マイケル・リッジ)は学校をやめ、家を出て、電報配達人として働き始める。いつしか、彼の心にアメリカへの夢が芽生え始め・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.0、TSUTAYAは3.28、Filmarksは3.6で、私の評価は3.5とした。
フランク・マコートが自らの半生を綴った回想録をアラン・パーカーが映画化。両親の生まれ故郷アイルランドで、兄弟の死という悲しみや貧しさに直面するが希望を忘れず、やがてアメリカへ旅立つ長男フランクの物語。
ダメな夫で父親を演じるロバート・カーライルとそんな夫に愛想を尽かしながらも離れられない母親役のエミリー・ワトソンが好演している。そのうち舞台が変わるのかと思っていたが、冒頭と最後のニューヨーク港のシーンを除いて、終始、アイルランドの貧民街が舞台になっている。
【今日のジャズ187】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Something Cool
アーティスト:June Christy
レーベル:Capitol/東芝EMI
録音年月日:1960.4.26
曲名:@Something Cool/AIt Could Happen To You/BLonely House/CThis Time The Dream's On Me/DThe Night We Called A Day/EMidnight Sun/FI'll Take Romance/GA Stranger Called The Blues/HI Should Care/ISoftly As In A Morning/Junrise/I'm Thrilled/KSomething Cool/LIt Could Happen To You/MLonely House/NThis Time The Dream's On Me/OThe Night We Called A Day/PMidnight Sun/QI'll Take Romance/RA Stranger Called The Blues/SI Should Care/㉑Softly As In A Morning Sunrise/㉒I'm Thrilled
ミュージシャン:June Christy (vo)/Pete Rugolo's Orchestra/Art Pepper (as)
コメント:ジューン・クリスティといえば真っ先にあげられる作品がこれだ。タイトルどおりのクールな表現がジャズ・ヴォーカルを感じさせる。黒人シンガーのようにドロドロしたラブ・ソングを歌わない代わりに、彼女は都会的に知的な女性を表現してみせる。ウエスト・コースト・ジャズの精鋭によるバックのサウンドもクールなことこの上ない。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)