2021年11月28日

逃病日記297(21.11.28.日)

(21.11.27.土)晴れ
 日本シリーズはヤクルト・スワローズの勝利で決着した。どちらかと言えばオリックスの方を応援していたが、やはり、ケガからの回復直後であった吉田選手の不調など、僅かな打力の差が勝敗を決したようだ。
 解説者や新聞記事と同じことを言っても仕方がないが、近来稀に見る見応えのある日本シリーズだった。第7戦までいって、  前回の阪神大震災の年にリーグ優勝したものの、同じ対戦相手であったヤクルトに日本シリーズ優勝を阻まれた借りを変えして、  オリックスが優勝する、というのが一番ドラマとして盛り上がっていたんじゃないかと思うが、まあ、両チームよく頑張って、野球の面白さを堪能させ、再認識させてくれたといえるだろう。この両チーム、何より優れていたのは「監督の采配」だろうな、どこかのチームと比べてえらい違いだわな。

(21.11.28.日)晴れ
 今日もいい天気だが、プル野球日本シリーズも終わってしまい、「手持ちのブタさん」状態だわな。
 いつもの土曜・日曜日なら、居間でテレビを点けたままPCでブログを書いているんだが、日本シリーズも終わってしまったので、観たいというか、点けておくテレビ番組もない。それで午後からは、いつもの平日のスケジュールのように、書斎でずっとK-12『創作の極意と掟』を読んでいたため、読み終えてしまった。

【今日の読書187※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-17『老いの超え方』
G-10『失われた時を求めて10』
H-3『パンセT』
I-29『定本 映画術ヒッチコック/トリュフォー』
K-12『創作の極意と掟』
コメント:@-17『老いの超え方』を読み終えた。第一部『身体』、第二部『社会』、第三部『思想』ときて、第四部は『死』がテーマだったが、現在、「逃病」中の私にとっては、自分自身の気持ちの持ち方などを含めて身につまされる内容が多く、この第四部全体が黄マーカーで真っ黄色になってしまった。抜粋して掲載しておく。
p.229「死を考えると怖いということはありますが、死はその人のものではないので、考えたってわからないので、考えなくてもいいのです。」
p.232「フーコーのことから言いますと、死というのは日本の常識では老いることの次が死だと言われていますが、真っ向からそうは言っていません。フーコーは、死というのは人間が生まれてから死ぬまでの系列の中に入ってこない、図式的にはそういう系列とは違うところにあって、それは生まれたときから死ぬときまで全部が見えるような位置にある。だから、赤ん坊で死ぬ人もいるし、老いて死ぬ人もいる。こういう自然から与えられた宿命に従うので、どこで死ぬかは誰にも分からない。幼児期から思春期、成年期、そして老年期で病気になって最後に死がくるという考え方をしていません。フーコーは、死と生は全然別の次元というか問題というか、生まれてから死ぬまで全部を照らしてみることができる場所に死というのはあると言った。これは非常にいい考え方だと僕は思います。もう一つ、フーコーの考え方でいいと思うのは、病気で危篤になった、その次に死んだ、そういうことではない、つまり死は、点や線で区切られるものではないということです。」
p.233「死は自分にも分からないし、医者から見て苦しそうにしていても、本当に苦しいかどうかは死ぬ人にしか分からない。生理的に苦痛の表情をするかもしれなけれど、だから苦しがっていると思うのは大間違いで、客観的に見て判断しているだけです。ご本人が苦悶の表情をしているから、この人は苦しがっていると思うのは早計でつまり、間違いであると、僕もそう思います。」
p.234「死というのはすべてを照らしている。生まれてから死ぬまでを照らしているというのは、親鸞も同じです。」
p.237-238「フーコーもそうですが、親鸞の、誰が、いつ、何の病気で、どう死ぬかは全然分からないことだ、こんなことをあらかじめ想定するのはおかしいという考え方の方が、僕はいいと思います。」
p.241「境地として、精神状態として死というのは怖くないという状態になればいい。そのことを悟りとは言いませんが、それに該当する、そこまで行けば悟りに行ける状態だという、形而上学的な意味でそれを理解しないとしょうがないのではないでしょうか。」
p.250「一遍もはっきり言っています。『一人生まれて一人死す』、それが人間の運命みたいだみたいなことをちゃんと言ってしまっています。だから、そこから何も持つなということがくるのです。持つと執着が起こるので、いろいろ考えたり、生き延びたいと思うようになるからでしょう。」
p.255(安楽死という考え方について)「生きている限り生きる、はたの人が納得する限りは生きる努力をするということ、僕はそういう考え方です。・・・(中略)・・・僕は最初は目でしたが、だんだん身体が不自由になってきて、足腰も痛くなって、そうすると『なんで俺は往生際悪く生きていく気になっているんだろう』と、自分でも何度もそういうことを考えたりしました。生きることのほうが、自分で自分を死なせるということの持つ自然さと比べてもっと自然だったら、往生際悪くしているのが自然にかなうのだろうと、内心はそう思っています。」
p.256「いかに医者だといえども、もう医学的にやることはないということは専門家だから分かっていますが、安楽死という生死の問題に関与すると間違うと、僕はそう思います。科学的にと称しても、そういう科学的は本当の科学的ではないと理解します。人間の生死に余計な介入はしないほうがいいと思います。」
p.259「ホスピスや安楽死というのは・・・(中略)・・・医学が介入すべきではない。科学というのは一番新しい宗教ですが、正確に科学的に言えるものは大変少なくて、たいていは医学のある分野で専門家だというだけで、人間全体についての専門家ではありません。ましてや、人間が消滅するかどうかということについて医者が出張ってくるというのは、今の科学宗教の結果です。それが法律と関係するとそうなっている。でも、死はそんなちゃちなものではないみたいなことは言えます。」

【今日の映画187】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『アンジェラの灰(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
製作年:1999年
製作国:アメリカ・アイルランド
原題:Angela's Ashes
監督:アラン・パーカー
出演:エミリー・ワトソン/ロバート・カーライル/キアラン・オーウェンズ/マイケル・リッジ
ストーリー:世界的大恐慌の1930年代。ニューヨークで出会って結婚したマラキ(ロバート・カーライル)とアンジェラ(エミリー・ワトソン)は5人の子供をもうけていたが、生活が貧しく、生まれたばかりの娘マーガレットの死を機に、一家で故郷アイルランドのリムリックへ戻ることに。小さな部屋を借りた彼らの生活は、仕事もないのにプライドだけは高い酒飲みのマラキのせいで一向に楽にならない。アンジェラだけが子供を守るために奔走する。そんな母の姿を見守り続ける長男フランク(少年期:キアラン・オーウェンズ)は力強く成長。学校では作文の才能を認められたりもした。やがて父マラキはイギリスへ単独出稼ぎに出掛ける。しかし何の連絡も金も届かない。フランクは石炭運びの仕事を始めるが、結膜炎になり断念。そしてクリスマス。帰国した父は、無一文のままだった。再び出ていった彼はそのまま蒸発。ついにアパートから追い出された一家はいとこの家に厄介になる。フランク(青年期:マイケル・リッジ)は学校をやめ、家を出て、電報配達人として働き始める。いつしか、彼の心にアメリカへの夢が芽生え始め・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.0、TSUTAYAは3.28、Filmarksは3.6で、私の評価は3.5とした。
 フランク・マコートが自らの半生を綴った回想録をアラン・パーカーが映画化。両親の生まれ故郷アイルランドで、兄弟の死という悲しみや貧しさに直面するが希望を忘れず、やがてアメリカへ旅立つ長男フランクの物語。
 ダメな夫で父親を演じるロバート・カーライルとそんな夫に愛想を尽かしながらも離れられない母親役のエミリー・ワトソンが好演している。そのうち舞台が変わるのかと思っていたが、冒頭と最後のニューヨーク港のシーンを除いて、終始、アイルランドの貧民街が舞台になっている。

【今日のジャズ187】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Something Cool
アーティスト:June Christy
レーベル:Capitol/東芝EMI
録音年月日:1960.4.26
曲名:@Something Cool/AIt Could Happen To You/BLonely House/CThis Time The Dream's On Me/DThe Night We Called A Day/EMidnight Sun/FI'll Take Romance/GA Stranger Called The Blues/HI Should Care/ISoftly As In A Morning/Junrise/I'm Thrilled/KSomething Cool/LIt Could Happen To You/MLonely House/NThis Time The Dream's On Me/OThe Night We Called A Day/PMidnight Sun/QI'll Take Romance/RA Stranger Called The Blues/SI Should Care/㉑Softly As In A Morning Sunrise/㉒I'm Thrilled
ミュージシャン:June Christy (vo)/Pete Rugolo's Orchestra/Art Pepper (as)
コメント:ジューン・クリスティといえば真っ先にあげられる作品がこれだ。タイトルどおりのクールな表現がジャズ・ヴォーカルを感じさせる。黒人シンガーのようにドロドロしたラブ・ソングを歌わない代わりに、彼女は都会的に知的な女性を表現してみせる。ウエスト・コースト・ジャズの精鋭によるバックのサウンドもクールなことこの上ない。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)

posted by ポピー at 23:40| Comment(309) | TrackBack(0) | 逃病日記

2021年11月26日

逃病日記296(21.11.26.金)

(21.11.25.木)晴れ時々曇り
 日本シリーズが面白い。一方的な試合がほとんどなく、毎試合シーソー・ゲームの連続という感じ。しかし、わずかの流れの掴みどころというか、勢いの差というか、そんな感じでヤクルトが「王手」ということになった。さあ、どうなるんだろう、今日でヤクルトの日本一が決まるんだろうか、それとも、また、神戸に帰ってきて「第6戦」ということになるんだろうか。

 上記を書いた後でTV観戦していて、8回表にオリックスが5対2とした段階で、「あぁ、今日は勝ったな、神戸に帰ってくるわ。」と思ったらその裏にまさかの山田のスリーラン・ホームランで同点、試合の流れから「こら、あかん、終わったかな。」と思ったら、なんとなんと9回表に再逆転のジョーンズのホームラン、まさに「取って、取られて、また取って」だけでは収まらず、「もひとつおまけに、また取って」だわな。 

(21.11.26.金)晴れ
 1995年、当時はオリックス・ブルーウェーブという球団名だったが、この年の1月17日に阪神大震災️!!地元神戸の同球団(当時はイチロー選手がいた)は、様々な困難を乗り越えて、仰木監督の下でまさにメモリアルな優勝を果たした。そしてそのゆかりの地である神戸に帰ってくることになった。以下は、この感動的な優勝にまつわるウィキペディアの記事。

 1月17日に発生した阪神・淡路大震災では、当時の本拠地・神戸市が甚大な被害を受けた一方で、神戸市西区内の強い地盤の上に建つ「青濤館」(球団所有の選手寮兼室内練習場)では被害が軽微にとどまった。そのため、震災の直後には、館内に備蓄していた水や食糧を近隣の被災者へ無料で配布した。球団関係者は全員無事だったものの、春季キャンプ以降のスケジュールの大幅な変更を余儀なくされたほか、一時は神戸での試合開催が危ぶまれた。
 しかし、地元・神戸市出身の宮内オーナーが、「こんなとき神戸を逃げ出して何が市民球団だ。一人も来なくてもいいから、スケジュール通り絶対、神戸でやれ」という表現で神戸での開催を主張。結局、当初の予定に沿って神戸で公式戦を開催することが決まったため、チームは「がんばろうKOBE」を合言葉にシーズンへ臨んだ。
 被災した神戸市民を励まそうと一丸となったチームは、6月には月間20勝を超える躍進を見せ、ペナントレースは独走状態となり、7月末に早くもマジックが点灯した。前年までの覇者西武には直接対決15連勝を記録し、6年ぶりに勝ち越し、対戦成績では21勝5敗と大きく勝ち越した。また、4月19日の対ロッテ戦(千葉マリンスタジアム)で野田浩司が1試合奪三振19の日本新記録を達成すると、佐藤義則が8月26日の対近鉄戦(藤井寺球場)で、当時の史上最年長でのノーヒットノーランを記録。また2年目の平井正史が抑えの切り札として当時の日本記録となる42セーブポイント(15勝、27セーブ)を挙げた。
 「マジック1」とした後の地元神戸での4連戦(近鉄戦1試合、ロッテ戦3試合)に全敗し念願の地元胴上げはならなかったものの、西武球場で行われた9月19日の対西武戦に勝利し、1984年以来11年ぶりにして球団譲渡後初のリーグ制覇を達成した。日本シリーズではヤクルトスワローズに1勝4敗で敗れたが、被災地とともに戦うチームの姿は大きな感動を呼び、ファンは熱烈な応援でチームを支えた。
 この年の「神戸」と「ブルーウェーブ」の関係は、ホームタウンとプロスポーツチームの理想的な関係として各方面で取り上げられた。

【今日の読書186※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-17『老いの超え方』
A-34『マクロ経済学を学ぶ』
B-37『生命海流』
B-36『宇宙を織りなすもの 下』
F-61『夜の樹』
F-60『ねじまき鳥クロニクル3』
G-9『失われた時を求めて10』
H-3『パンセT』
J-6『戦中派復興日記』
コメント:@-17『老いの超え方』から、印象的なフレーズを抜き出して掲載しておく。
p.212「グループを作るときには、今の管理システムで言えば、どんな時でも管理されるほうの利害得失を一番上位に置くという原則さえあれば理想的な管理システムができます。」
p.215「『老い』と『衰え』は、本質的には関係ないと考えてもいいんじゃないでしょうか。しかし、老いている本人にとっては『老い』と『衰え』が切り離せない問題になる。」
p.215-216「例えば、『お前は赤い目をしている』と言っても、『お前はウサギのようなあ赤い目をしている』と言っても意味は同じです。『ウサギのような』をくっつけることで、何が違ってくるかというと、価値をつけるということなんですね。意味は同じだけど、『うさぎのような』をくっつけるだけで鮮明度が違ってくるし、価値が多くなる。だけど、言葉としては同じ意味になる。それと同じで『老い』と『衰え』という言葉は、意味と価値が違うというのが本質だと思います。・・・(中略)・・・老人になるとだんだん『老い』と『衰え』が同じ意味に近くなっていくんだと思います。」
p.217「『もういいことなんか何もねえよ』という軌道に入ったら、できるだけ早く抜け出すようにする。どんなに修行を積んで悟りを開いた人でも、そういう軌道に入ったら少なくとも希望はない。絶望しかないんですね。すぐ抜け出すしかないんです。では、抜け出すためにはどうすればいいのか。要するに、希望を小刻みに持つしかない。」
p.217「人間の生涯で大切なことは二つしかない。一つは老人を安定させて、少なくとも世話をしてくれる人を雇えるくらいの余裕を持たせる。もう一つは妊娠した女の人に十分な休暇と給料を与えて、十分な子育てができる。この二つが実現できたら歴史は終わり。あとはたいしたことはないし、『どうでもいいよ』ということになると思います。」
 最後のフレーズは、抜粋したものの「なんでこの二つ?大切なことは他にもあるやろ」と思わなくもないが、私が「吉本読みの吉本知らず」ということかもしれない。

【今日の映画186】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『蜜蜂と遠雷(Amazon Prime Videoで視聴)
製作年:2019年
製作国:日本
原題:   
監督:石川慶
出演:松岡茉優/松坂桃李/森崎ウィン/鈴鹿央士
ストーリー:母の死をきっかけにピアノが弾けなくなったかつての天才少女・栄伝亜夜(松岡茉)は、7年の時を経て再びコンクール  3年に一度開催され、若手ピアニストの登竜門として世界から注目を集める芳ヶ江国際ピアノコンクール  への出場を決意する。音大出身だが現在は楽器店で働くコンクール年齢制限ギリギリの高島明石(松坂桃李)は、家族の応援を背に最後の挑戦に臨む。名門ジュリアード音楽院在籍中で完璧な演奏技術と感性を併せ持つマサル・C・レビ=アナトール(森崎ウィン)は、優勝候補として注目されている。そして、パリで行われたオーディションに突如現れた謎の少年・風間塵は、先ごろ亡くなった世界最高峰のピアニストからの「推薦状」を持っており、そのすさまじい演奏で見る者すべてを圧倒していく。熱い戦いの中で互いに刺激しあい、それぞれ葛藤しながらも成長していく4人だったが
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.6、TSUTAYAは3.20、Filmarksは3.7で、私の評価は3.5とした。
 本作品の原作『蜜蜂と遠雷』(恩田陸)は、『逃病日記』の読書記録として、2年半前頃に【読書リスト】を始めたときの「F 小説一般」のカテゴリーの1番目の本。今日、新聞を読んでいて、映画化された『蜜蜂と遠雷』に関する記事を見かけて、Amazon Prime Videoで無料配信されているのを見つけた。小説もよかったが、この映画作品も結構感動した。特に終盤の、栄伝亜夜がピアノを弾けなくなってコンサートをドタキャンした少女時代とフラッシュ・バックするシーンでは、年甲斐もなくジーンとなった。

【今日のジャズ186】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:The Sermon
アーティスト:Jimmy Smith
レーベル:Blue Note/東芝EMI
録音年月日:1957.8.25/1958.2.25
曲名:@The Sermon/AJ. O. S./BFlamingo
ミュージシャン:Lee Morgan (tp)/Lou Donaldson (as)/George Coleman (as)/Tina Brooks (ts)/Curtis Fuller (tb)/Jimmy Smith (org)/Kenny Burrell (g)/Eddie McFadden (g)/Art Blakey (ds)/Donald Bailey (ds)
コメント:オルガンをまったく新しい楽器に生まれ変わらせたのがジミー・スミスだ。ピアノの代表品的な使われ方をしていたその楽器で、彼はソウルフルかつダイナミックなサウンドを最初に奏でてみせた。初期のスミス作品にはハード・バップ・ピアノに通じるものがあった。ところが、この作品ではまったく新しい次元でのオルガン・ジャズが聴ける。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)
 YouTubeでリンクさせるアルバムを検索していたら、LIVE映像の画像がたくさんあったので、アーティスト名(Jimmy Smith)のところにリンクしておいた。
posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記

2021年11月24日

逃病日記295(21.11.24.水)

(21.11.22.月)雨
 久しぶりの雨降りの一日だ。
 先週の土曜日、京阪三条の檀王法林寺の住職からお墓を移転する件について話を伺ったが、やはり、単に利便性だけの理由で、私の代で宗派を浄土真宗から浄土宗に改宗するのは問題があるので、今日、住職さんに電話をしてお断りをしておいた。
 今週は、この他に「断る」話が多い。二つ目は、我が家でとっている朝日新聞を変更しようかと思って、毎日新聞にお試し配達してもらっていたが、やはり読み慣れた方がいいように思い、毎日新聞に断りの連絡をしなければならない。
 三つ目はエル・スポーツ、やはり、膝関節への負担があるので退会することにしたが、これはヨメさんが明日スイミング・スクールに行くときに退会届を出してもらうことにした。

(21.11.23.火)晴れ
 今日、ヨメさんにエル・スポーツの退会届を出しておいてもらった。
 二、三回プールを利用したものの、膝関節の痛みを悪化させてからはまったく行っていない。ただ、12月分の会費を徴収されているので、まあ、調子が良ければまた顔を出してみようかと思っている。

 日本シリーズは、緊張感がある面白い試合が続くなぁ。今のところ、近年稀に見る面白いシリーズだ。阪神タイガースなんてお呼びじゃなかった感じで、タイガース・ファンからオリックス・ファンになってしもたわ。
 サイン盗み疑惑でヤクルト村上選手に「ごちゃごちゃ言うな!絶対やってへんわ。アホ、ボケ!」なんて野卑な言葉を吐く矢野監督のあいだは、タイガース・ファンはやんぺ(佐藤選手だけは気になるが・・・)。

(21.11.24.水)晴れ時々曇り
 今日は2週間に1回のヒアルロン酸注射のを打ってもらう日。
 1時少し前に整形外科医院に着いたが、待合室には結構患者がいたが、なんとか座って待つことができた。
 この混み具合やと今日は1時間コースやな、と観念し、いつものとおり、読書リストJ-6『戦中派復興日記』を取り出して読み出した。
 1時間ほど待ってから名前を呼ばれて診察室に入った。いつものとおり両膝関節に(効き目があるのかどうかわからない)レーザー照射をしてもらった後、ヒアルロン酸注射までは少し待たなければならない。その間、先生は4つある診察室  バックヤードが繋がっている  を行ったり来たりして、各々の患者に対応している。
 私の診察日時(隔週水曜日午後2時)にいつも一緒になる患者さんがいる。その患者さんは90歳を超えていると思われるお年寄りで、腰がちょうど45度くらいも曲がっていて、歩く時は地面を見ている感じ(前方を見るのは無理そう)。その患者さんには娘さんと思しき60歳過ぎの老女がいつも付き添っている。
 診察室を区切る壁が薄く、三分の一ほどはバックヤードで開放状態なので隣の診察室の声がまる聞こえの状態。そのお年寄りの患者さんと先生や看護婦さんのやり取りが聞こえてくるが、まさに漫才のような会話で、こちらも思わず笑わされることが多い。先生自身もその患者さんに対して「◯◯さんと話ししてるとコントやってるみたいで楽しいわ」なんて言っている。
 一例を上げると、私と同じようにヒアルロン酸注射を打ってもらっているらしく、痛そうな表情をするんだろうが、それに対して先生が「◯◯さん、まだやで、まだ打ってへんで、これからやで」ってなやり取りが聞こえてくる。なんか看護婦さんもこの患者さんと応対するのを楽しんでいるようだ。私と同様に2時の診察予約のようで、どちらかが最後になることが多い。

【今日の読書185※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-17『老いの超え方』
A-34『マクロ経済学を学ぶ』
B-37『生命海流』
B-36『宇宙を織りなすもの 下』
F-61『夜の樹』
F-60『ねじまき鳥クロニクル3』
G-9『失われた時を求めて10』
H-3『パンセT』
J-6『戦中派復興日記』
コメント:B-37『生命海流』 に関して、今朝の朝日新聞の書籍広告に載っていたが、よく売れているようだ。氏の著作は『生物と無生物のあいだ』や『動的平衡』などは読了している。さすがに『福岡伸一、西田哲学を読む、生命をめぐる思索のたび』は数学者の岡潔などの著作と同様に「眉唾」感があったので手にしなかった。例によって、マーカーを引いた箇所を抜粋しておく。
p.66「生命を、自己複製を唯一無二の目的とするシステムである、と利己的遺伝子的に定義すれば、宿主から宿主に乗り移って自らのコピーを増やし続けるウイルスは、 とりもなおさず典型的な生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り変えて、エントロピー増大の法則に抗いつつ、あやうい一回生のバランスの上に立つ動的システムである、と定義する見方  つまり、動的平衡の生命感に立てば  代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。利他性は、動的平衡と並んで、私の生命観のキーワードでもある。生命の進化は利他性の上に成り立っている。それゆえ、はからずも勃発した新型コロナウイルスの問題は、本書ガラパゴスの旅の通奏低音とも深く重なってくることになった。」

【今日の映画185】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『若き獅子たち(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
製作年:1957年
製作国:アメリカ
原題:Young Lions
監督:エドワード・ドミトリク
出演:マーロン・ブランド/モンゴメリー・クリフト/ディーン・マーティン/ホープ・ラング
ストーリー:第二次世界大戦中、熱心なナチ党員で軍に志願してパリ攻略に参加したドイツ人青年クリスチャン(マーロン・ブランド)は、やがて反ナチ運動に参加しているフランス女との出会いや、上官ハーデンバーグ大尉の妻との情事などを経て、ナチの政策に疑問をもつ。一方、アメリカ、ブロードウェイ歌手のマイケル(ディーン・マーティン)は、徴兵検査所でユダヤ系のノア(モンゴメリー・クリフト)と知り合い、共に入隊、ヨーロッパ戦線に配属された。やがて連合軍がライン川を越えてドイツに侵攻した時、この3人の運命の歯車は絡み合って・・・ 
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは4.0、TSUTAYAは2.58、Filmarksは3.6で、私の評価は3.4とした。なんでこんなに評価点に開きがあるんだろうか?
 米独両陣営にまたがって、第二次大戦中の青年の心理が平行して描写され、やがてこれが終局近い独仏国境戦線で悲劇的に接触するというストーリー。3人のスターの演技がなかなか良かったように思う。特にディーン・マーティン、なんとなくチャラいイメージがあるが、肩の力が抜けて、なんか自然に演じているような感じがした。この手の作品は、『栄光への脱出』のような、ユダヤ資本のプロパガンダ的な作品もあるので、同じような傾向の作品かなとも思ったが、そうではなかったようだ。
 なお、リンクしたYouTubeの映像はフルレンジのもので、もちろん字幕はない。

【今日のジャズ185】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
アーティスト:Shelly Manne
レーベル:Contemporary/Fantasy/ビクター音楽産業
録音年月日:1956.8.17
曲名:@Get Me To The Church On Time/AOn The Street Where You Live/BI've Grown Accustomed To Her Face/CWouldn't It Be Loverly/DAscot Gavotte/EShow Me/FWith A Little Bit Of Luck/GI Could Have Danced All Night
ミュージシャン:Shelly Manne (ds)/Andre Previn (p)/Leroy Vinnegar (b)
コメント:ピアニストのアンドレ・プレヴィンを擁するシェリー・マン・トリオがヒット・ミュージカルを見事にジャズ化させた。マンを中心に三者が一体となったピアノ・トリオの演奏はスリリングで歌心が満載。プレヴィンの達者なピアノ・プレイを中心に、お馴染みの名曲がご機嫌なジャズに変身し、一層の魅力を獲得している。なお、アンドレ・プレヴィンはのちにクラッシックの世界に転身し、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮するなど、世界的に著名なマエストロとして勇名を馳せるようになった。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)
 同じ『珠玉のJAZZ名盤100』からジャック・ディジョネットのコメント「モダン・ジャズの時代にもっともスウィンギーなドラミングをしてみせたひとりがシェリー・マンだ。マックス・ローチもスウィンギーなスタイルの持ち主だが、シェリー・マンのほうが彼よりシンプルな叩き方をしている。どちらもブラッシュ・ワークの名手で、このアルバムでもそれがよくわかる。〈ショウ・ミー〉のブラッシュ・ワークがいい手本だ。アップ・テンポでぐいぐいスウィングさせていくところなんか申し分がない。シャリー・マンのブラッシュ・ワークはそれほどホップしない。それでいてあのスナッピングができるんだから名人芸といっていい。後半でピアノと四小節交換するところ、それとその後にベースがウォーキングで演奏をリードしていくパートのパッキング。これらはブラッシュ・ワークにおけるベスト・プレイといえる。パッキングだけでこんなに聴かせてしまうところはシェリー・マンならではだ。」

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