2021年10月31日

逃病日記285(21.10.31.日)

(21.10.30.土) 晴れ
 昨日、K大学病院を受診した際に、癌診療部の主治医から、血液検査の腫瘍マーカーの値が高い、と言われたことが、時々、脳裏をよぎる。しかし、確定的な診断は、12月の初めに受ける予定の造影剤CTの結果で判断されるんだと考え、なんとか自分の気持ちを整え、抑えている。
 次回の12月の診察の診断結果が、たとえ癌の再発だったとしても、私には「死の恐怖」というものは特にないと思う。ただ、今、自分が見ている世界が消え去る、自分の意識がなくなる、ということがどんなものか想像がつかないことに対する「漠然とした不安」はある。当たり前の話だが、「死」というものは「生きたまま経験※」できることではない。ということは、「人間の行為のなかで、唯一、経験※できない行為が「死」である。」という逆説的な言い方ができるだろう。「死」に対するこの「漠然とした気持ち」は、何かに喩えてみるとすれば、何に喩えられえるんだろうか?少し考えを巡らせてみた。
 一つは、日々の「眠り」に近いものかもしれない。だんだんと意識がなくなっていって、やがて意識の世界が閉ざされる  夢を見るということがあるとしても  というような感覚に近いのかもしれない。それなら、なんの「不安」もない、むしろ「安らぎ」に近い状態かもしれない。もちろん激しい痛みや、苦しみがある場合は別だが・・・。そういえば「永遠の眠り」という言葉もある。
 もう一つは、読書リストのB-36『宇宙を織りなすもの』を読んで得た知識から、「宇宙の極大」や「素粒子の極小」なんていうものに思いを巡らしてみる。
 宇宙は、地球から観測可能な距離が「何百億光年」ということなので、遠大な距離だがあくまで「有限」ということになる。だが「その果てはどうなっているんだ」ということを問いだすと、最早、人間の意識では想像することが困難な世界になるだろう。その宇宙の大きさが10cmの30乗としたら、他方の「素粒子の世界」というのは、10cmのマイナス30乗ということで、これも同様に、人間の意識では想像することが困難な世界になる。
 この二つの世界の話は、いずれも架空のことではなく、「実在の世界」の話である。したがって、当然、「有限の世界」ということになるが、私たち人間の意識では想像困難な世界と言える。「限りなく無限に近い有限」とでも喩えればいいのだろうか。このような喩えからすれば、「死」というものも「生きたまま経験できない死」や「人間の行為のなかで、唯一、経験できない行為が死である。」というように、人間の意識では想像困難なため、このような逆説的にしか表現できないのかもしれない。
 さらに、B-35『生物はなぜ誕生したのか』を読んで得た知識から、次のような考え方もできる。人類の誕生が約20万年前で、文明化したのが約1万年前、これに対して、生命の誕生が約38億年前、多細胞生物の誕生が約28億年前、そして陸上生物の誕生が約5億年前ということだ。これを距離で表すとして、仮に文明化してからの1万年を1cmの尺度とすると、人類の誕生が20cmとなり、生命の誕生が38km、多細胞生物の誕生が28km、そして陸上生物の誕生が5kmとなる。やはり時間単位より空間単位の距離で表した方が、目に見える形になり、イメージしやすい。地球上の生命の誕生が38kmの距離に換算されるとしたら、人類の文明の歴史は僅か1cmしかないとは!これは有限の世界だが、やはり、人間の意識にとっては「想像を絶する」と言い方ができるんじゃないだろうか。
 翻って、以上のことを踏まえ、自分の死、人間の「個の死」というものを考えると、「人は〈個〉としては死ぬが〈類〉として生き続ける」ということは、一般的によく言われるが・・・。
 ちょっと、尻切れトンボな感じで話が終わってしまうが、このフレーズに関して、最近、何かの本で、「〈個〉としての死は必ずしも〈類〉としての死に通底するわけではない」というようなロジックの記述を読んだ記憶があったので、ここ最近に読んだ本をパラパラと捲ってみたが、当該箇所は見当たらなかった。

※ 経験とは、 実際に見たり、聞いたり、行ったりすること。 外的現実や内的現実との直接的な接触。 「認識」としてはまだ組織化されていない、事実の直接的な把握。 何事かに直接ぶつかることで、何らかの意味でその人の「自己」を豊かにすること。 何事かに直接触れたりぶつかることで、そこから技能や知識を得ること。( by Wikipedia)

(21.10.31.日) 晴れのち雨
 今日、一応、選挙に行ってきた。投票所は近くの区の図書館。膝の具合が思わしくなく、出かけてすぐに膝が痛くなって歩けなくなり、投票所まで行けずに途中で帰ってきた。1時間ほどしてから、雨も降りそうだったので、杖代わりに傘を持って出かけ、今度はなんとか投票所まで行けて、投票を済ませて帰ってきた。
 新聞などでニュースになっていたが、比例区での「立憲民主党」と「国民民主党」の略記がともに「民主党」というのは、よくわけが分からん話だ。開票の際には、どのようにして区別するんだろうと疑問に思って調べてみたら、得票数に応じて案分するとのことだが・・・。

【今日の読書175※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
G-9『失われた時を求めて9』
H-3『パンセT』
I-29『定本 映画術ヒッチコック/トリュフォー』
K-12『創作の極意と掟』
コメント:今日から、主に土曜・日曜日に読むことにしている「K 特定ジャンルのツンドク書籍(現在は小説・物語に関するもの)」は、筒井康隆の『創作の極意と掟』。筒井氏の著作はこれまでも何冊か読んでいると記憶しているが、私には、どちらかといえば、山下洋輔やタモリのお友達ということで馴染みがある。

【今日の映画175】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『断崖(Amazon Prime Videoで視聴)
製作年:1941年年
製作国:アメリカ
原題:Suspicion
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ケイリー・グラント/ジョーン・フォンテイン/セドリック・ハードウィック/ナイジェル・ブルース
ストーリー:一目惚れでプレイボーイのジョン(ケイリー・グラント)と結婚した富豪の令嬢リナ(ジョーン・フォンテイン)だったが、結婚後にジョンが一文無しの男だと知り驚き、ずさんな財産管理の仕方や、懸命に毒薬について調べている夫の姿を見て、妻の疑念は日々増していく。その後不審な行動が多くなっていくジョンに対し、リナは恐れを抱くようになる。そして、ある日、家を出ようとした妻を乗せたまま、夫の運転する車は断崖目指して突き進む・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.3、TSUTAYAは3.28、Filmarksは3.5で、私の評価は3.3とした。
 この作品もフルレンジのYouTubeの画像(字幕はギリシャ語)があった。ヒッチコックの作品は、トーキー作品でも、無声映画のように、セリフを消して画像だけを観てもスジが分かる言われている  それだけ、画像を表現手段として組み立てて創作する映画の本質というものをよく踏まえているんだろう  ので、なんとか観れるんじゃないだろうか。
 ジョーン・フォンテインが、恋に囚われた女性の“優柔不断”ぶりをうまく演じている。この作品でアカデミー賞主演女優賞を受賞している。

【今日のジャズ175】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Standards Vol. 2
アーティスト:Keith Jarrett Standards Trio
レーベル:ECM/ポリドール/ユニバーサル
録音年月日:1983.1.
曲名:Meaning Of The Blues/All The Things You Are/It Never Entered My Mind/The Masquerade Is Over/God Bless The Child
ミュージシャン:Keith Jarrett (p)/Gary Peacock (b)/Jack DeJohnette (ds)
コメント:『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋したキース・ジャレット(p)のコメント「このアルバムを吹き込んだ当時は、わたしも含めて多くのグループが自分たちの曲を演奏していた。それがどれもつまらなくつまらなく感じられたんだ。私も曲を作ることに疲れていた。そうした流れの中では、曲がそれほど重要視されず、即興演奏をする上での素材としてしか扱われていないように感じられた。誰もが必死になって新しい曲を追い求めていた。そのことに疑問を覚えたことと、曲そのものの良さを見直したいという思いから、スタンダードをレコーディングすることにした。
 スタンダードを演奏することで学んだものはいろいろある。スタンダードの大半はピアノ・トリオやソロ・ピアノのために書かれた曲じゃないから、そのまま演奏してもわたしには面白く思えない。曲の持ち味を生かしながら、いかにトリオで演奏する音楽として納得のいくものにできるのか。そこに想像意欲が刺激されるし、その過程が楽しみでもある。これがわたしには大きい。
 ゲイリーもピアノが弾けるし、ジャックはピアニストとして活動していた。それも幸いした。彼らはピアノ・ミュージックがどんなものかよくわかっている。だからリハーサルはしないけれど、コンサートを行う前のサウンド・チェックでわたしたちはいろいろなことを試す。それでうまくいくときもあれば、そうでないときもある。そうやって試行錯誤を積み重ねながら、自分たちのアプローチを完成させていく。
 スタンダードを演奏することで、わたしたちはさまざまな方法論も学ぶことができた。メロディが単調な曲もある。それをどうすれば魅力的な演奏にできるか?そういうところからいろいろなことが学べる。ちょっとした変化を加えることで、びっくりするほど面白い曲に変貌することを知ったのもそのひとつだ。こういうことがスタンダードを演奏するときの楽しみでもある。スタンダードにはヴォーカルやホーン向きの曲が多くて、ピアノ向きの曲が少ない。だからやりがいもある。
 このトリオは以前に組んでいたチャーリー・ヘイデンとポール・モチアンからなるトリオとの一番の違いは、現在のトリオの方が柔軟性の点で上ということかな。演奏面だけでなく、音楽に対する考え方についてもいえる。だから同じ曲を演奏しても、ときにまったく違うアプローチや進行になることがある。それがわたしのいう柔軟性だ。規則や過去の演奏に縛られないことだよ。
 それとこのトリオでは、無意識のうちに全員が同じ方向に演奏を向かわせることができる。わたしがエンディングでファンキーな雰囲気を出したいと考えているときは、彼らも同じだ。一方、チャーリーとポールは非常に個性的なスタイルだった。柔軟性では負けているかもしれないけれど、それぞれが個性的な演奏をしていた点では、いまのトリオを上回っている。」
 同じ著書からメンバーのゲイリー・ピーコック(b)のコメント「このレコーディングではリハーサルはやっていない。スタジオに入って、簡単な譜面を見ながらほとんど即興で演奏した。スタンダードを取りあげても、わたしたちにはそれを素直になぞる気は最初からなかった。いってみれば変奏曲のようなものだ。ただし、わたしは意識的に原曲のコード進行をキープするようにした。そうしないと曲のベーシックな部分が失われてしまう。その上でキースには自由に演奏してもらいたかった。ジャックもわたしがキープしていたことで余計なことを考えなくてもよくなったから、このやり方は正解だっと思う。」
 同じ著書から元メンバーのチャーリー・ヘイデン(b)のコメント「ゲイリーとジャックのトリオは、わたしがいたときのユニットより自由にスタンダードを演奏している。まるで彼らのオリジナルじゃないかと間違えるほど、曲にぴったり合ったプレイをしているもの。三人の気持ちがここまでひとつになっていると、演奏は瞬時にしてどんな方向へもいける。プレイしているとそうした瞬間がたまにある。わたしがいたときもそれは何度か体験した。でも、この作品では、最初から最後までいつでもその状態になっている。そんなことは奇跡としか思えない。このトリオは奇跡のユニットだ。」

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2021年10月29日

逃病日記284(21.10.29.金)

(21.10.28.木) 晴れ
 今日は、膝の具合がだいぶマシだったので、久しぶりに、エル・スポーツに行ってきた。
 フロアからプールサイドに降りる階段は急だが、両サイドに手摺がついているので、なるだけそこに体重をかけるようにして降りるようにした。階段の昇降では、やはり、降りるときに膝に体重がかかり、かなり鋭い痛みがある。恐らく、私の膝関節は、軟骨がほとんど擦り減ってしまって、関節の大腿骨と脛骨が、ほとんど直に接しているような状態なんだろう。階段を降りるときはもちろんだが、バスのステップを降りるときも鋭い痛みがあるので、手摺りに捕まって降りなければならない。
 明日のMRIの結果で異常がなければ、「寛解」ということで、治療は終了することになり、膝関節の人工関節置換術なんかも可能になるだろう。

 エル・スポーツでは、今日はなんとかクロールで25mを3回ほど泳げるようになった、バタ足をせずに上半身だけで泳ぐのも、結構、大変なんだが、なんとか少しずつ慣れてきたようだ。普通にバタ足でクロールで泳ぐよりも、体幹をかなり使う感じがする。
 水中ウォーキング、クロール、ジャグジーと合わせて1時間ほど体を動かしてから帰宅した。

(21.10.29.金)
 今日は、K大学病院で、先週金曜日に受けたMRIの結果に基づく診察を受けてきた。
 MRIの画像では特に異常がないとのことだったが、血液検査の腫瘍マーカーの値が高く、また改めて、造影剤CTを受けるようにとの指示があった。
 転移などについて一抹の不安もあったが、今日で治療が終わるものと期待して行ったので、本当にガックリした、というよりもショックだった。もちろん、次回に造影剤CT検査を受けてから、確定的な診断が下ることになるが、これまで2年間、経過が良好だったということで免疫療法を中断した。もしかしたら、それが原因でがんが再発したのだろうか。
 今日は、これまで気にかかっていた頸胸部の異和感に関しても耳鼻咽喉科に他科依頼してもらうことになり、受付窓口で来週の木曜日に診察予約して帰った。
 今日の結果については気持ちの上で落ち込でしまうが、落ち込んでいたところでいいことは何もないだろう。読書やブログ作成など、日々のルーティンの行動に取りかかることで、気持ちを整えていきたい。
 がんが寛解して、変形性関節炎や脊柱管狭窄症の手術などもできるようになると思っていたんだが・・・

【今日の読書174※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
B-35『生物はなぜ誕生したのか』
B-36『宇宙を織りなすもの 下』
D-9『吉本隆明のDNA』
E-19『成城だよりV』
F-60『ねじまき鳥クロニクル1』
G-9『失われた時を求めて9』
H-3『パンセT』
I-29『定本 映画術ヒッチコック/トリュフォー』
コメント:B-35『生物はなぜ誕生したのか』を読み終えた。最後に「訳者あとがき」から印象的な文章を抜粋しておく。「私たちのなかには、ダーウィン以来の「静的な」捉え方で生命進化をイメージする人ががまだ多いのではないだろうか。つまり、生物は長い年月をかけて徐々に、いわば一直線に順調に進化してきたというものである。しかし本書が描き出すのは、それとは対照的にじつに荒々しい世界だ。私たちが地球について考えるときには、どうしても現在の姿しか思い浮かべられない。しかし、およそ46億年前に誕生して以来、地球は数々の天変地異や激しい変化に見舞われてきた(大気中の酸素濃度一つとってみても、約10〜35パーセントのあいだで変動してきたとみられている)。そこに生きる生命も、たびたび恐ろしい事象に直面し、それをくぐり抜け、最終的に今日見られる生物相へとたどり着いたわけである。試練はときに進化を大幅に加速させ、ときに生物を絶滅の淵へと叩き込んだ。私たちはすべて、その嵐をかいぐぐってきた生き残りである。」と述べている。
 また、この点については、著者は「はしがき」で次の引用のようにまとめているとしている。「火、水、宇宙からの強烈な一撃、毒ガス、捕食者の牙、過酷な生存競争、死を運ぶ放射線、飢餓、生息環境の激変。そして地球上のいたるところにすみつこうと、飽くことなく繰り広げられた数々の闘いと征服。その一つ一つが、今この世に存在するすべてのDNAに爪痕を残している。あらゆる危機が、あらゆる勝利が、様々な遺伝子を足したり引いたりすることでゲノムを変化させてきた。まるで鉄の塊が鍛えられるように、私たちはみな壊滅的な大厄災によって灼かれ、時間によって冷やされてきたのである。」
 B-36『宇宙を織りなすもの 下』は、第12章「宇宙は『ひも』でできているか」を読了。次の13章は「宇宙は『ブレーン』のなかにあるか  M理論は、時間と空間について何を語るか  」だって。表題を見るだけで、難しそうな内容が想像される。まあ、また、遅々たるスピードで読み進めていくしかないなぁ。

【今日の映画174】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『海外特派員(U-NEXTで視聴)
製作年:1940年
製作国:アメリカ
原題:Foreign Correspondent
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ジョエル・マクリー/ラレイン・デイ/アルバート・バッサーマン/ハーバート・マーシャル
ストーリー:第二次世界大戦の直前、アメリカの新聞記者ジョニー・ジョーンズ(ジョエル・マクリー)は、特派員としてヨーロッパに派遣された。ロンドンで、和平の鍵を握るオランダの政治家ヴァン・メア(アルバート・バッサーマン)への取材を試みるジョニー。平和運動家で富豪のフィッシャー(ハーバート・マーシャル)が、ヴァン・メアの歓迎パーティーを開き、その席でジョニーは、フィッシャーの娘キャロル(ラレイン・デイ)と知り合った。その会場でヴァン・メアが射殺された。犯人を追跡したジョニーは、死亡したヴァン・メアが替え玉であり、本物はドイツのスパイ組織に拉致されたこと、そして、事件の首謀者がフィッシャーであることを突き止めた。何も知らないキャロルに恋心を抱きながらも、フィッシャーとの駆け引きにキャロルを利用するジョニー。ヴァン・メアの救出には成功したが、ジョニーの行動に不審感を抱いたキャロルだったが、英・仏の対独宣戦によりロンドンも安全な場所ではなくなったので、父と共に飛行機でアメリカに向け飛び立った。
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.6、TSUTAYAは3.50、Filmarksは3.7で、私の評価は3.0とした。
 作品中に、犯人の車をジョニーらの乗った車が追いかけるシーンが出てくるが、これはおそらく映画作品上での初めてのカーチェイスのシーンではないんだろうか。

【今日のジャズ174】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Standards Vol. 1
アーティスト:Keith Jarrett Standards Trio
レーベル:ECM/ポリドール/ユニバーサル
録音年月日:1983.1.
曲名:Meaning Of The Blues/All The Things You Are/It Never Entered My Mind/The Masquerade Is Over/God Bless The Child
ミュージシャン:Keith Jarrett (p)/Gary Peacock (b)/Jack DeJohnette (ds)
コメント:結成されて25年近くが過ぎた現在も、キース・ジャレット、ゲイリー・ピーコック、ジャック・デジョネットによるトリオは、相変わらずマンネリに陥ることなく独自の解釈でスタンダードの数々を演奏し続けている。そのスタートを飾ったこれら2枚でも、ライブと同様、フレッシュな演奏が少しも古さを感じさせない。手垢にまみれたスタンダードを魅力的な形で蘇らせたこれらのアルバムは、現在のシーンにおいて最高のトリオ・ミュージックが聴ける。(『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』から抜粋)
 なお、『ジャズマンはこう聴いた!珠玉のJAZZ名盤100』は2007年5月に刊行されているが、上記の引用文中の「現在」は、原文のまま表記してある。
 また、2枚のアルバムのうち『Standards Vol.2』は、また、明日にでも取り上げる予定。
 しかし、相変わらず、キース・ジャレットのピアノを弾くときの唸り声は耳に付くなぁ〜。スタジオ録音ならカットできるだろうと思うが・・・。

posted by ポピー at 23:59| Comment(356) | TrackBack(0) | 逃病日記

読書リスト58(2021.10.29)

 【読書リスト】を更新しました。
 今回は【読書リスト58】で、新規に取り上げた本は、次の5冊。すでに、これまでの『逃病日記』の【今日の読書】で取り上げている本もあります。
  @『生命海流』福岡伸一
  A『夜の樹』T.カポーティ
  B『ねじまき鳥クロニクル2』村上春樹
  C『戦中派復興日記』山田風太郎
  D『小説家になる!』中条省平
 @『生命海流』は福岡伸一氏の著作で、氏の著作については、これまで、読書リストB-22〜24で『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』『動的平衡2』と読了している。この『生命海流』は、7月31日の朝日新聞の『読書』欄で見かけて、興味を惹かれたもの。福岡伸一氏の著作ということと、以前、読書リストB-20〜21でダーウィンの『ビーグル号航海記』を読んでいて、このガラパゴスを舞台にした著作に興味を持ち、購入したもの。
 A『夜の樹』はT.カポーティの短編集。先に読了している村上春樹訳のT.カポーティの短編集『誕生日の子どもたち』(読書リストB-58)とダブる短編もあるようだが、訳文の違いを味わってみることにしよう。
 B『ねじまき鳥クロニクル2』は、三分冊の2巻目。第1巻の終盤の「ノモンハン事件」にまつわる「間宮中尉の長い話」は、これまで読んできた村上氏の著作の中では、あまりなかったような文章で、氏の筆力を感じた。
 C『戦中派復興日記』は、山田風太郎の一連の日記で、刊行されているものではこれが最終のものだと思う。先日読み終えた『戦中派動乱日記』の終盤は、荷風の『断腸亭日乗』のように、「天気」と一、二行ほどの記事だけの日が多かったが、今回の『戦中派復興日記』は、パラパラとページを繰った感じでは、割と記述が充実しているようだ。
 D『小説家になる!』は、下記の凡例に記載してある「K 特定ジャンルのツンドク書籍」で、現在は小説・物語に関するものを、主に土曜・日曜日に集中的に読んでいる。

 下記のリスト中、アンダーラインを付したものは、今回、新たにリストアップした書籍データ。太字は、現在、読書中のもの(それ以外は読了済)。
 また、書名の頭の◯数字は、次のとおり、ゆるいカテゴリー分けを表しているが、区分はそれほど厳密なものではなく、今後、変わることもある。
 @ 吉本隆明の著作
 A 経済学関係の著作
 B 自然科学関係書籍(キーワードは意識/脳/生命/遺伝子/宇宙/素粒子)
 C 小林秀雄の著作
 D 小林秀雄・吉本隆明関係の著作
 E エッセイ等
 F 小説一般
 G プルースト『失われた時を求めて』
 H 聖書・古典関係
 I 書店の平積みや書籍広告などで興味を持った本(ジャンルは問わない)
 J 山田風太郎『戦中派◯◯日記』シリーズ
 K 特定ジャンルのツンドク書籍(現在は小説・物語に関するもの)
 L Kindle端末

◎ 読書リスト58(2021.10.29)
@-1-10は『読書リスト53』を参照
 -11『吉本隆明講演集8/物語と人称のドラマ』筑摩書房 2015.7.10
 -12『吉本隆明講演集9/物語とメタファー』筑摩書房 2015.8.10
 -13『吉本隆明講演集10/詩はどこまできたか』筑摩書房 2015.9.10
 -14『吉本隆明講演集11/芸術表現論』筑摩書房 2015.10.10
 -15『吉本隆明講演集12/芸術言語論』筑摩書房 2015.11.10
 -16『吉本隆明×吉本ばなな』吉本隆明・吉本ばなな/ロッキング・オン 1997.2.15
A-1-25は『読書リスト53』を参照
 -26『経済学者はこう考えてきた』根井雅弘/平凡社新書 2018.10.15
 -27『思想としての近代経済学』森嶋通夫/岩波新書 1994.2.21
 -28『資本主義から市民主義へ』岩井克人/ちくま学芸文庫 2014.4.10
 -29『ヴェニスの商人の資本論』岩井克人/ちくま学芸文庫 1992.6.26
 -30『資本主義を語る』岩井克人/ちくま学芸文庫 1997.2.10
 -31『二十一世紀の資本主義論』岩井克人/ちくま学芸文庫 2006.7.10
 -32『貨幣論』岩井克人/ちくま学芸文庫 1998.3.10
 -33『経済学を学ぶ』岩田喜久男/ちくま新書 1994.9.20
B-1-29は『読書リスト53』を参照
 -30『138億年宇宙の旅 上』C.ガルフォール/ハヤカワ文庫 2019.6.15
 -31『138億年宇宙の旅 下』C.ガルフォール/ハヤカワ文庫 2019.6.15
 -32『ブラックホールを見つけた男 上』A.I.ミラー/草思社文庫 2015.12.8
 -33『ブラックホールを見つけた男 下』A.I.ミラー/草思社文庫 2015.12.8
 -34『宇宙を織りなすもの 上』B.グリーン/草思社文庫 2016.10.10
 -35『生物はなぜ誕生したのか』P.ウォード他/河出文庫 2020.4.10
 -36『宇宙を織りなすもの 下』B.グリーン/草思社文庫 2016.10.10
 -37『生命海流』福岡伸一/朝日出版社 2021.6.12
C-1『小林秀雄全作品1/様々なる意匠』小林秀雄/新潮社 2000.9.20
   -2『小林秀雄全作品2/ランボウ詩集』小林秀雄/新潮社 2002.11.1
   -3『小林秀雄全作品3/おふえりあ遺文』小林秀雄/新潮社 2002.12.1
 -4『小林秀雄全集2/Xへの手紙』小林秀雄/新潮社 2001.5.1
   -5『小林秀雄全集3/私小説論』小林秀雄/新潮社 2001.12.10
   -6『小林秀雄全集4/作家の顔』小林秀雄/新潮社 2001.8.1
D-1『この人を見よ』小林秀雄全集編集室/新潮文庫 2015.1.1
   -2『小林秀雄対話集』小林秀雄/講談社 1966.8.10
   -3『小林秀雄の思い出』郡司勝義/文春学藝ライブラリー 2014.6.20
   -4『わが小林秀雄ノート 向日性の時代』郡司勝義/未知谷 2000.2.20
   -5『わが小林秀雄ノート2 批評の出現』郡司勝義/未知谷 2000.9.20
 -6『わが小林秀雄ノート3 歴史の探求』郡司勝義/未知谷 2001.3.25
   -7『吉本隆明がぼくたちに遺したもの』加藤×高橋/岩波書店 2013.5.9
   -9『吉本隆明のDNA』姜尚中 他/朝日新聞出版 2009.7.30
E-1-10は『読書リスト53』を参照
 -11『沢木耕太郎セッションズV』沢木耕太郎/岩波書店 2020.4.10
 -12『旅のつばくろ』沢木耕太郎/新潮社 2020.4.20
 -13『夢で会いましょう』村上春樹/糸井重里/講談社文庫 1986.6.15
 -14『沢木耕太郎セッションズW』沢木耕太郎/岩波書店 2020.6.11
 -15『成城だより』大岡昇平/中公文庫 2019.8.25
 -16『成城だよりU』大岡昇平/中公文庫 2019.9.25
 -17『トルーマン・カポーティ 上』G.プリンプトン/新潮文庫 2006.8.1
 -18『トルーマン・カポーティ 下』G.プリンプトン/新潮文庫 2006.8.1
 -19『成城だよりV』大岡昇平/中公文庫 2019.10.25
F-1-50は『読書リスト53』を参照
 -51『遠い声 遠い部屋』T.カポーティ/新潮文庫 1971.7.30
 -52『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド下』村上/新潮文庫 2010.4.10
 -53『回転木馬のデッド・ヒート』村上春樹/講談社文庫 2004.10.15
 -54『ノルウェイの森 上』村上春樹/講談社文庫 2004.9.15
 -55『ノルウェイの森 下』村上春樹/講談社文庫 2004.9.15
 -56『ダンス・ダンス・ダンス 上』村上春樹/講談社文庫 2004.10.15
 -57『ダンス・ダンス・ダンス 下』村上春樹/講談社文庫 2004.10.15
 -58『誕生日の子どもたち』T.カポーティ/文春文庫 2009.6.10
 -59『国境の南、太陽の西』村上春樹/講談社文庫 2004.10.15
 -60『ねじまき鳥クロニクル1』村上春樹/新潮文庫 1997.10.1
 -61『夜の樹』T.カポーティ/新潮文庫 1994.2.25
 -62『ねじまき鳥クロニクル2』村上春樹/新潮文庫 1997.10.1
G-1『失われた時を求めて1』プルースト/岩波文庫 2011.11.16
   -2『失われた時を求めて2』プルースト/岩波文庫 2011.5.17
   -3『失われた時を求めて3』プルースト/岩波文庫 2011.11.16
   -4『失われた時を求めて4』プルースト/岩波文庫 2012.6.15
   -5『失われた時を求めて5』プルースト/岩波文庫 2013.5.16
   -6『失われた時を求めて6』プルースト/岩波文庫 2013.11.15
   -7『失われた時を求めて7』プルースト/岩波文庫 2014.6.17
 -8『失われた時を求めて8』プルースト/岩波文庫 2015.5.15
   -9『失われた時を求めて9』プルースト/岩波文庫 2015.11.17
H-1『新約聖書U』佐藤優 訳・解説/文春新書 2010.11.20
   -2『旧約聖書』中沢洽樹/中公クラシックス 2004.11.10
 -3『パンセT』パスカル/中公クラシックス 2001.8.25
I-1-20は『読書リスト53』を参照
 -21『オレの東大物語』加藤典洋/集英社 2020.9.9
 -22『翻訳夜話2』村上春樹/柴田元幸/文春新書 2003.7.20
 -23『ポートレイト・イン・ジャズ』村上春樹/和田誠/新潮文庫 2004.2.1
 -24『読書の日記』阿久津隆/NUMABOOKS 2018.6.30
 -25『アメリカから遠く離れて』蓮實/瀬川/河出書房新社 2020.11.30
 -26『世界一ポップな国際ニュースの授業』藤原/石田/文春新書 2021.1.20
 -27『見るレッスン 映画史特別講義』蓮實重彦/光文社新書 2020.12.30
 -28『映画評論家への逆襲』荒井晴彦他/小学館新書 2021.6.8
 -29『映画術ヒッチコック/トリュフォー』蓮實重彦/山田宏一訳/晶文社 1990.12.10
J-1『戦中派虫けら日記』山田風太郎/ちくま文庫 1998.6.24
   -2『戦中派不戦日記』山田風太郎/講談社文庫 1985.8.15
   -3『戦中派焼け跡日記』山田風太郎/小学館文庫 2011.8.10
   -4『戦中派闇市日記』山田風太郎/小学館文庫 2012.8.8
 -5『戦中派動乱日記』山田風太郎/小学館文庫 2013.8.7
 -6『戦中派復興日記』山田風太郎/小学館文庫 2014.8.10
K-1『人はなぜ物語を求めるのか』千野帽子/ちくまプリマー新書 2017.3.10
   -2『物語は人生を救うのか』千野帽子/ちくまプリマー新書 2019.5.10
 -3『作家はどうやって小説を書くのか、じっくり聞いてみようT』青山南訳/
   岩波書店 2015.11.27
   -4『作家はどうやって小説を書くのか、じっくり聞いてみようU』青山南訳/
   岩波書店 2015.11.27
 -5『物語の作り方』ガルシア・マルケス/岩波書店 2002.2.18
 -6『職業としての小説家』村上春樹/スイッチ・パブリッシング 2015.9.17
 -7『ニッポンの小説 百年の孤独』高橋源一郎/ちくま文庫 2012.4.10
   -8『小説の読み方・書き方・訳し方』柴田/高橋/河出文庫 2013.4.10
   -9『デビュー作を書くための超「小説」教室』高橋源一郎/河出書房新社 2015.3.20
 -10『一億三千万人のための小説教室』高橋源一郎/岩波新書 20026.20
 -11『小説家になる!』中条省平/ちくま新書 2006.11.10
L-1『断腸亭日乗』永井荷風/(底本) 岩波書店 1993.6.258
   -2『あめりか物語』永井荷風/グーテンベルク21 2012.7.25
   -3『ふらんす物語』永井荷風/グーテンベルク21 2012.3.25
   -4『吾輩は猫である』夏目漱石/(底本) 全集1/ちくま文庫 1987.9.29
posted by ポピー at 19:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書