2021年08月29日

逃病日記258(21.8.29.日)

(21.8.28.土) 晴れ
 今日の朝日新聞『読書』欄で気がひかれた本は次のとおりだった。
  @『きみが死んだあとで』代島治彦(晶文社)
  A『暁の宇品』堀川恵子(講談社)
 上記の@は、1967年10月8日、ベトナム反戦のデモと機動隊が衝突し、一人の学生が犠牲となる。18歳の「きみ」、山崎博昭君の死は、同世代の多くを闘に駆り立てた。以来半世紀余り、かつての若者は「きみ」の記憶を抱いて、どんな人生を送ったのか。遺族や友人・先輩などへの聴き取りの証言を集めたもの。
 Aは、かつて陸軍船舶司令部が置かれ軍事の要諦である兵站を担った広島市の「宇品」舞台にした戦前の軍部にまつわるノンフィクションだが、正直なところ、何よりも、記事に掲載されているも著者堀川恵子さんのキリッとしてチャーミングな顔立ちに惹かれた。

(21.8.29.日) 晴れ
 今日は、朝から、ヨメさんの機嫌があまり良くない。「腰が痛い」とか「指が痛いとか」、それにこの暑さが加わって、また、洗濯で洗い物の衣類が多いとか、ここで私が一言発すると、また気まずい雰囲気になるので、まあ、何も言わずに黙っていることにしよう。

 しかし、結局、夕方、爆発した・・・

【今日の読書148※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
G-9『失われた時を求めて9』
H-3『パンセT』
I-28『映画評論家への逆襲』
K-7『ニッポンの小説 百年の孤独』
コメント:引き続き、土曜・日曜日に限って読んでいるK-7『ニッポンの小説 百年の孤独』から、印象に残ってマーカーを引いたフレーズを抜粋して上げておく。
p.131「これまでの現代詩は「時代という愛情」に包まれていた。戦争があり、闘争があった。政治の季節には政治があった。意見の合わない旧世代があった。まわりにはいつも壁があった。言葉を出していれば、それが詩でないものでも、あまりしっかりとは書かないものでも、時代のあとおしで詩になった。詩を支えるものが自動的にはたらいたのである。詩をとりまく愛情は分厚いものだった。そのためにために詩とは何であるか。それを考えなくてもすんだのである。いまは時代も、たたかう相手も鮮明ではない。読者もいない。何もなくなったのだ。こんなとき、詩は何をするものなのだろうか。そもそも詩は、何をするものなのだろうか。詩の根本が問われているのだ。だとしたら、ここからほんとうの詩の歴史が始まるのかもしれない。」
p131-132「小説もまた「時代という愛情」に包まれていたし、まわりにはいつも壁があって、言葉を出していれば、あまりしっかりとは書かないものでも、「時代のあとおし」で小説になったのです。しかし、そんな「時代」はもう去りました。・・・・・・「時代のあとおし」とは風のようなものです。・・・・・・しかし、私たちのいるここには、この場所には、機体を空高く持ち上げるほどの風は、もう吹いてはいないのです。だが、「何もなくなった」いまこそ、「こんなとき、小説は何をするものなのだろうか」と、「そもそも、小説は何をするものなのだろうか」と、考えるべきではないのでしょうか。なぜなら、「ここからほんとうの小説の歴史がはじまるのかもしれない」のですから。」
p.140「あるものを、重要な何かとして描くには、どうすればいいのかというと、それが、たいしたものにあるかのように見せればいいということになるのです。それは、ほとんど描かない、というやり方によっても可能ですし、徹底して描くというやり方によっても可能です。それらの二つのやり方は、正反対に見えますが、なにかをたいしたものに見せようという意図において、まったく相等しいのです。」
p.145「画家たちは、絵というものが、なにかのテーマを表現しているというより、なにより、単なる色の滲みや、線の寄せ集めであることをよく知っています。そのことを利用して、我々を錯覚させようとしているのです。不思議なのは、言語芸術でも、まったく同じことが行われているのに、そのことに、ふだん我々がなかなか気づかないことです。しかし、真に驚くべきなのは、そのことではありません。それが、絵画であり、音楽であれ、およそ表現というものは、ある種の錯覚を利用して成立しています。問題は、言語芸術では、その錯覚に、作家の方もまるで気づかないことがあるということです。」
p.146「言語芸術という、このジャンルだけは、なぜか「素材」や「道具」について無関心な、あるいは、無関心に見える作り手が数多く存在しているのです。それはもちろん、なにより、まず、人間というものは誰でも言語に精通している、という誤解があり、それに加えて、作家というものは、人間なら誰でも精通している言語というものを、より精妙に扱うことができる人間に違いない、という二重の誤解のせいなのです。」

【今日の映画148】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『ハムレット ゴース ビジネス(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
製作年:1987年
製作国:フィンランド
原題:Hamlet Goes Business
監督:アキ・カウリスマキ
出演:ピルッカ・ペッカ・ペテリウス/カティ・オウティネン/エスコ・サルミネン/エスコ・ニッカリ
ストーリー:巨大企業の会社の重役で社長の弟であるクラウス(エスコ・サルミネン)は、兄を殺害して社長の座を乗っ取ろうと画策している。兄の妻とも愛人関係にあるクラウスは、彼女には目論見を隠したまま、兄が使うグラスを毒薬入りの物とすり替えて殺した。机に伏せた社長の姿を見た息子ハムレット(ピルッカ・ペッカ・ペテリウス)は、何かを知っているのか、グラスに残った毒を拭き取った。社長の死の早々、クラウスは同じく重役のポロニウス(エスコ・ニッカリ)と結託する。会社の株51%を所有するハムレットが頼りないボンボン息子だと見立てる2人は、彼にポロニウスの娘オフェリア(カティ・オウティネン)との縁談を持ち掛け、恋にうつつを抜かさせようと企んだが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは2.7、TSUTAYAは3.48、Filmarksは3.6で、私の評価は3.0とした。
 シェイクスピアの戯曲「ハムレット」を題材に、現代社会における企業乗っ取りをサスペンスタッチで描いたブラック・コメディ。フィンランドの鬼才アキ・カウリスマキが製作・監督・脚本をつとめる。
 以前も、TSUTAYA宅配レンタルでアキ・カウリスマキ監督の作品を何作か観たが、本作品でオフェリア役を務めるカティ・オウティネンが何作かに出演していたように記憶している。個性的な顔立ちだだが、アキ・カウリスマ監督作品というと、この女優さんがかなり目立っている印象がある。
 本作品はモノクロだが、主役のハムレット役のピルッカ・ペッカ・ペテリウスの主役らしからぬ風貌や、ツッコミどころ満載の細部のリアリティのなさなど、ハリウッド映画とは明らかに異なる印象で、変に記憶に残る感じがする。

【今日のジャズ148】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Ballads
アーティスト:Paul Bley
レーベル:ECM
録音年月日:1967.3.31/1967.7.28
曲名:@Ending/ACircles/BSo Hard It Hurts
ミュージシャン:Paul Bley (p)/Gary Peacock (b)/Mark Levinson (b)/Barry Altschul (ds)
コメント:フリージャズの手法を用いて大胆なプレイを繰り広げていた時代にポール・ブレイが残した抒情的な作品。とはいっても、アヴァンギャルドなスタイルが薄れているわけではない。ベーシストが交代しただけで、これほど響きが違うものになるのかと驚かされる二つのトリオが織りなす奔放なサウンド。全三曲がアーネスト・ピーコック(ゲイリー・ピーコックの妻)の作品である点も功を奏した。(『ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100』からの抜粋。)
 上記に書かれている二人のベーシストのうち、ゲイリー・ピーコックがベースを弾いているのが、一曲目の「エンディング」という作品。他の曲よりこちらの方の曲の方がスリリングな展開で面白いように思う。何となく、パウル・クレーの絵画のような抽象性をイメージしてしまう。

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2021年08月27日

逃病日記257(21.8.27.金)

(21.8.26.木) 晴れ
 今日は夏が戻ってきたような感じの天気。ここ最近の梅雨を思わせるような雨降りよりはいいが、もう夏も終わって少しは暑さもましになるのかと思っていたので、「まだ、夏、終わらへんのんかいな」ガックリときた感じ。そんな不安定な気候のせいか、ヨメさんも身体の調子が悪そうだ。
 夕方になって、久しぶりに高野川ウォーキングに出かけた。夕方とはいっても、まだまだ暑さは残っているので、汗びっしょりになった。久しぶりだったが、毎日、家の中でトレーニングしているせいか、比較的、スムーズにウォーキングできた。

(21.8.27.金) 晴れ
 今日は、一昨日の私の誕生日なので、意外とリーズナブルなのでよく行っている京都ホテル・オークラの1階のレスランで、私たち夫婦定番のエビフライ・ランチとでっかいシュークリームを食べて、帰りに、河原町のBALの丸善ジュンク堂書店に寄って、ついでに同じビルにある「無印」を覗いて、最後にK大学生協書店で配本連絡のあった『吉本隆明全集』受け取って、といろいろ予定していたが、あまりの暑さなので、外出するのを見合わせることにした。なんやスカみたい。
 まあ、K大学生協書店は、来週の金曜日にK大学病院でPET-CTと血液・尿検査が予定されているので、その帰りにでも寄ってみよう。

【今日の読書147※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
A-32『貨幣論 』  
B-34『宇宙を織りなすもの 下』
B-35『生物はなぜ誕生したのか』
F-56『ダンス・ダンス・ダンス 上』
G-9『失われた時を求めて9』
H-3『パンセT』
I-28『映画評論家への逆襲』
コメント:A-32『貨幣論 』 は、第三章に入って途中で分からなくなって、第一章「価値形態論」、第二章「交換過程論」に戻って、「急がば回れ」という感じで読み返したが、理解が深まった感じがする。細切れで読むよりはある程度まとめて読む方がいいんだろうが、多くの本を同時平行で読み進めているので、まあ、仕方がないか。
 B-34『宇宙を織りなすもの 下』は、上記のような細切れ読書で、やっと、第九章「ビッグバン直後」  上巻からの通番で下巻では第一章になる  を読み終えた。次は「ビッグバンとインフレーション」だが、この二つの章の記述内容は、例えば「宇宙のビッグバンから10のマイナス43乗秒後の温度は、絶対温度で10の32乗度だった」など  時間(10のマイナス43乗秒)といい温度(10の32乗度)といい  というような日常や現在の自然空間ではあり得ない、想像を絶するというよりは、現在の人類の知能では想像すらできないような超絶した時・空間が取り上げられている。
 B-35『生物はなぜ誕生したのか』は、第十章「生物の陸上上陸」で、本書も着々と読み進めていけていて、ちょうど半分ぐらいにさしかかった。本書では、地球自然環境状況の悪化に伴って、現在、言葉として多用されている「気候変動」や「生態系」などのさらに一段階ほど上のレベルの「自然の仕組み」に関して、知見を得ることができる。
F-56『ダンス・ダンス・ダンス 上』は、上巻の終盤になって、少し話が展開し、面白くなってきた。

【今日の映画147】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『真夜中の虹(TSUTAYAレンタルビデオで視聴)
製作年:1988年
製作国:フィンランド
原題:Ariel
監督:アキ・カウリスマキ
出演:トゥロ・パヤラ/スサンナ・ハービスト/マッティ・ペロンパー/E・ヒルカモ
ストーリー:フィンランドの北の果て、ラップランドの炭鉱の閉山で失業したカスリネン(トゥロ・パヤラ)に真白なキャデラックの鍵を託し、父は自殺する。南を目指すロング・ドライヴでヘルシンキに向かう途中、二人組の強盗に有り金を全部奪われる。仕方なく、日雇い仕事に出たその帰りに駐車違反の切符切りのイルメリ(スサンナ・ハーヴィスト)と知り合う。家のローン返済のため複数の仕事を抱えて働きづめの彼女と、その息子リキ(エートゥ・ヒルカモ)に感じるカスリネンの奇妙な愛情。仕事にあぶれた彼は思いあまって車を売るが、そこへ偶然、例の強盗を見つけ殴りかかるが、逆に警察に逮捕されていきなり実刑をくらってしまう。しかし刑務所で同室のミッコネン(マッティ・ペロンパー)とともに、イルメリの差し入れのパンに隠されていたヤスリで脱走に成功し、メキシコ行の船で国外脱出を企て、カスリネン、イルメリ、リキの三人は港に向かった・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは4.0、TSUTAYAは3.64、Filmarksは4.0で、私の評価は3.5とした。
 本作品は、TSUTAYAで宅配レンタルしたDVDだが、もう一作品『ハムレット ゴーズ ビジネス』と二作品がカップリングされている。本作品で、南を目指す男の波乱万丈な旅を、アキ・カウリスマキ監督らしい淡々としたタッチで描かれている。
 あまり馴染みのないフィンランドの映画作品だが、もっぱらアキ・カウリスマキ監督ということでしか接点がないように思う。感覚的にも、30年以上前の作品という「時間」を割り引いても、普通のヨーロッパとは少し雰囲気が違うように感じる。特にどうということのないストリーで、どちらかと言えば華やかさのない画面と言っていいが、なぜか印象に残る作品だ。

【今日のジャズ147】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Bass On Top
アーティスト:Paul Chambers
レーベル:Blue Note/東芝EMI
録音年月日:1957.7.14
曲名:@Yesterdays/AYou'd Be So Nice To Come Home To/BChasin' The Bird/CDear Old Stockholm/DThe Theme/EConfessin'/FChamber Mates
ミュージシャン:Hank Jones (p)/Kenny Burrell (g)/Paul Chambers (b)/Art Taylor (ds)
コメント:ポール・チェンバースはダントツの人気と実力を誇ったハード・バップ時代のベース奏者。そのプレイは今も多くのファンを魅了してやまない。リーダー作はそれほど多くないが、この作品はジャズ・ベース史上最高の一枚と呼ばれるほどの傑作。〈ディア・オールド・ストックホルム〉での弓弾きは名演の誉が高いし、いまだにこの演奏を超えるものはない。
 ポール・チェンバースはあらゆるベース奏者の手本といえる存在。モダン・ベースの創始者はデューク・エリントンのバンドで活躍したジミー・ブラントンといわれている。その流れを汲んで、ハード・バップの時代に素晴らしいプレイの数々を残したのがチェンバースだ。リチャード・デイヴィスは、後輩ながら彼と一時はジャズ・ベースの世界でトップを競った間柄である。そのデイヴィスもチェンバースには一目置いていた。
 そのリチャード・デイヴィスのコメント「テクニック、音色、バッキングの安定感、ソロの構成力、すべてがこの作品ではパーフェクトなものになっている。これはあらゆるベース奏者が教科書にすべきアルバムだ。わたしも散々聴いて、さまざまなものを学んだ。聴くたびに新しい発見がある作品なんて他には一枚もない。それほどこの作品の内容は傑出している。ベース奏者が作ったアルバムでは、この作品とチャールズ・ミンガスの『ミンガス・プレゼンツ・ミンガス』が好きだが、内容的にはこちらのほうがはるかに上だ。」(『ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100』からの抜粋。)

posted by ポピー at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 逃病日記

2021年08月25日

逃病日記256(21.8.25.水)

(21.8.23.月) 曇り時々晴れ
 今日、ヨメさんのiPhoneの機種と契約を変更するために、カナート洛北のY!mobileショップに行ってきた。
 先日、私のiPhoneをカナート洛北のEDIONでiPhon12に変更したが、以前のiPhone7に比べて、画面が大きくなったこととホームボタンがなくなったことによって使用感がかなり向上したので、ヨメさんにも機種変更を勧めた次第。私が機種変更とY!mobileにキャリア変更した際、ついでにヨメさんのY!mobileの契約内容についても確認してもらったが、かなり以前の契約なので変更した方が毎月の使用料がかなり安くなると勧められていた。
 ヨメさんは、限られたアプリと機能しか使っていないため、高機能のものは必要はないので、機種変更はiPhone12ではなくiPhone11にした。スペックにはいくらか差があるんだろうが、機能的にはほとんど変わらない感じで、価格は4万円ほど安くなる。
この本体の支払いは分割払いにしたが、この金額を含めても、契約内容の見直しで毎月の支払額は以前より安くなった。変更前の機種の残債は  もう使っていない機器の割賦料金を払い続けるのも嫌なので  一括で支払うことにした。
 iPhone11は、サイズは同じ6.1インチだが厚みはやや薄く、側面は従来の曲面で、こちらの方が手にした感じや操作性はいいようだ。実は、私もiPhone12を手帳型ケースに入れると「ぶっといなぁ〜」という印象でだった。あとで、私もiPhone11でもよかったかなぁと思っていたところだった。
 Y!mobileショップの店員さんは女性だったが、今どき珍しいぐらい丁寧に説明してくれた。データ移行については  SoftBankのアプリを使えば私でも可能と思われたが  料金を払ってその店員さんに移行してもらった。データ移行の間、1時間ほどカナート洛北の店内をうろうろして時間を潰してからショップに戻った。
 ヨメさんもiPhone11が気に入ったようで、家に帰ってからも、買ったばかりのものをうれしそうに色々とをいじっていた。   
 Amazonで手帳型ケースとガラスフィルムを注文しておいたので、明日、また、フィルムを貼らないといけない。気泡が入らないようにするため、結構、気を使う。

(21.8.24.火) 曇り時々晴れ
 今日は、ヨメさんがスイミング・スクールに行くので、「鬼の居ぬ間に」というわけではないが、テレビで、NHK-BSプレミアム・シネマを録画した作品  だいぶ前に録画した『デイジー・ミラー』  を観ていた。
 昨日、Amazonで注文しておいた、ヨメさん用の手帳型ケースとガラスフィルムが届いたので、早速、フィルムを貼ったが、少し、目立たない程度だが気泡が残ってしまった。まあ、ヨメさんは、あまり些細なことを気にしないタチなので、それに手帳型ケースを装着し、ヨメさんも大満足!これで、しばらくは、私への待遇がよくなることを期待しているのだが・・・。
 ついでにAmazonに、私のiPhone12のカメラレンズ側に貼るガラスフィルも注文しておいた。しかし、貼ってみたが、レンズを覆う部分が曇ってきたりして、あまり具合が良くないので、結局、装着しないことにした。手帳型ケースを装着しても、カメラレンズの部分が大きく開いているので気にはなるが、ケースで周囲が保護されているので、なにか物が、直接、当たって傷が付くこともないだろう。

(21.8.25.水) 晴れ
 今日は私の◯◯歳の誕生日。私の誕生日に一番先に反応してくれたのは、我が家の「体重計」だった。体脂肪をはじめ様々なバイタルデータを計測できる高機能の体重計で、先日、通販の「ジャパネットたかた」で購入したもの。体重計には、初期設定で生年月日を入力していたが、昨日、入浴する前に測って、風呂から出たときも、再度、測ったら、入浴中に日にち変更の0時を跨いでいたので、自動的に年齢が一歳増えていた。

 誕生日だからというわけでもないが、「欲しいなぁ」と前からテンパっていたMacBook Airを近くのEDIONで購入した。
 これまで使っているMacBook Airの「このMacについて」のところを見ると「2011」とあり、もう10年以上も使っていることになる。Macのいいところは、OSがヴァージョンアップされた時には自動的にインストールされるので、Windowsのようにいちいち購入する必要もないし、ハードディスクやメモリーもそれなりに対応できるようだ。
 しかし、さすがに10年以上も経過すると、OSの容量も大きくなって、当初のメモリーでは対応できなっくなってきたのだろう。文章を打っていても変換スピードがだいぶ遅くなってきていた。本体が壊れて機能しなくなってからではデータ移行も大変になるかと思って、なんとかまだ動いているうちに買い換えようと思っていた。
 朝イチで、河原町に用事のあるヨメさんをクルマで送って行って、帰ってきてクルマを駐車場に置いて、すぐにその足でEDIONにに向かった。買おうと思っていたMacBook Airの256Gでカラーがシルバーの機種があったので、迷うことなく購入し、いそいそと持ち帰って、すぐにデータ移行を開始した。
 新旧のMacBook Airを並べて置いて、Appleサイトの説明にしたがって移転アプリを立ち上げ、データ移行をしたが、移行が完了するまでに30分以上時間を要した。データ移行に関するサイトの説明では、移転元のMacBookで使用しているアプリを移転先のMacBookでも、すべてインストールしておく、との記述たったが、新しいMacBookを起動して「次に」の指示したがって操作していたら、アプリをインストールのタイミングがなかった。データ移行が終了してみたら、Apple製ではないGoogle ChromやAmazon Musicのアプリも、データも含めすべて完璧に移行されていた。
 今、新しいMacBook Airでこのブログを書いているが、全然、スピードが違うし、文字変換の際にあった不具合も起こらない。やはり、ある程度のメモリーがないとOSが十分に機能しないようで、文字変換時の不具合もそれが原因だったようだ。
 Macは、Windowsのヴァージョンアップの時のような仕様の大きな変更がないので、ユーザーにとってはありがたい。ある意味で、10年以上も前から操作性や機能的には完成されていたということかもしれない。

【今日の読書146※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@-15『吉本隆明講演集12/芸術言語論』
A-32『貨幣論 』  
B-34『宇宙を織りなすもの 下』
B-35『生物はなぜ誕生したのか』
F-56『ダンス・ダンス・ダンス 上』
G-9『失われた時を求めて9』
H-3『パンセT』
I-28『映画評論家への逆襲』
コメント:今週は、ヨメさんのiPhoneのアプリのインストールや設定と私のMacBook Airを触ったりしていたので、すぐに時間が経ってしまい、読書の時間が十分確保できなかった。まあ、少しずつだが、一応、以上に掲げた本は読むことができた。

【今日の映画146】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『デイジー・ミラー(NHK-BS プレミアム・シネマ録画で視聴)
製作年:1974年
製作国:アメリカ
原題:Daisy Miller
監督:ピーター・ボグダノビッチ
出演:シビル・シェパード/バリー・ブラウン/クロリス・リーチマン/アイリーン・ブレナン
ストーリー:スイス湖畔のホテルに宿泊していたアメリカ人の少年ランドルフ(ジェームズ・マクマーティ)は、新聞を読んでいた青年フレデリック・フォーサイス・ウィンターボーン(バリー・ブラウン)に話しかけた。フレデリックもアメリカ人だと知ったランドルフは、長くヨーロッパに住んでいる彼が伯母に会いに来たことを知ることになる。 現れた美しい女性デイジー・ミラー(シビル・シェパード)に見とれてしまったフレデリックは、彼女がランドルフの姉だということを知る。 デイジーと話したフレデリックは、彼女がイタリアに向かうことを知り、自分は伯母をスパに連れて行くことを伝えるが・・・ 
コメント:本作品の評価は5点満点で、映画.COMは2.4、TSUTAYA(宅配レンタル/動画配信)は取り扱っていなかった。私の評価は2.0と低め。まあ、何ということのない作品だが、唯一、シビル・シェパードの問いかけるような流し目がセクシーだなぁ。

【今日のジャズ146】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Testifyin'!
アーティスト:Benny Green
レーベル:Blue Note/東芝EMI
録音年月日:1991.11.8 〜 1991.11.10
曲名:@Introduction/ADon't Be 'Shamed/BHumphrey/CBu's March/DBeautiful Moons Ago/ETestifyin'/FCarl's Blues/GDown By The Riverside/HI Should Care/IThe Sheik Of Araby/JMcThing/Billy Boy
ミュージシャン:Benny Green (p)/Christian McBride (b)/Carl Allen (ds)
コメント:ベニー・グリーンはブルーノートの伝統を受け継ぐ新時代のピアニスト。ファンキーなタッチが持ち味だけに、名門クラブ(ヴィレッジ・ヴァンガード)で実況録音されたこの作品では随所にグルーブ感が漂うノリのいいパフォーマンスが展開されている。簡明なフリーズにブルース・フィーリングが加味された演奏は、60年台のブルーノート作品が現代的な響きの中で再現されたような趣だ。(『ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100』からの抜粋。)

posted by ポピー at 23:59| Comment(318) | TrackBack(0) | 逃病日記