2021年06月30日

逃病日記232(21.6.30. 水)

(21.6.28.月) 晴れのち雨
 今日は、6週間に1回の免疫療法のためにK大病院へ行ってきた。
 診察予約は、AM9:15からなので、いつもより30分ほど早くAM7:15にiPoneの目覚ましを合わせて起床した。
 病院い着いたのは、ちょうどAM9:00頃で、外来エリアの再来自動受付機で受付をして、「がん病棟」の受付、待合室に向かった。受付では、点滴を受けるに当たっての体調等に関するアンケートに記入し、点滴時に付けておく、患者氏名などの印字されたリストバンドを受け取ることになっている。
 待合室にいると、ちょうど予約時刻のAM9:15頃にPHSの呼出コールがあって、入室すると、いつものように、ディスプレイ上に先週の金曜日に撮った胸部エックス線画像が開けてあり、血液・尿検査のデータがプリントアウトされて医師の机上に置かれていた。
 それらのデータに基づく先生からの説明で、今回も特にデータ上の異常はなく、免疫療法をして差し支えないとのことだった。
 診察を終え、医師から点滴に当たってのデータ等を記載したファイルを受け取り、化学療法部の受付に提出し、点滴台へ案内されるまでの間に、バイタルデータ  血圧、体温、酸素濃度、身長、体重  を自動測定器などを使って自分で測る。データはオンラインで患者の電子カルテに取り込まれるようになっている。
 ほどなく名前を呼ばれ、点滴台  理髪店や歯科医の椅子をもう少しでっかくしたもので、液晶テレビもアームで付いている  に案内され、点滴薬剤の調剤ができるまで、点滴する側の腕を温熱タオルで温めて10分程度待っていると、看護師が点滴薬剤などをワゴンに乗せてやってきて、点滴が開始されるという段取り。点滴針をうまく血管に刺すのは、看護師によって技量の差があるようだ。今日の看護師はヘタクソで、いったん血管に刺した後、なんかゴソゴソしていてなかなか針刺しが完了しない。以前も家に帰ってから前腕部に内出血を生じたことがあったので心配したが、やっとこさ完了して点滴が始まった。
 免疫療法の点滴中は、いつものようにKindleで読書をするが、現在は漱石の『吾輩は猫である』を読んでいるところ。Kindleに目を通すのは久しぶり、普段からも“スキマ時間”に目を通そうと思っているんだが・・・。
 点滴が終わってから、まだ午前中だったので会計待ち患者が多く、結構、時間がかかったが、なんとか昼前に帰宅できた。

(21.6.29.火) 晴れ時々曇りのち雨
 今日は、昼すぎまでは晴れたり曇ったりという感じだったが、3時頃から間欠的に、夕立のような激しい雨が降り出した。
 高野川ウォーキングに出ようか出るまいか迷ったが、雨に降られたら降られたで、どっちみち汗をかいて濡れることになるので「ええぃ、まままよ!」と出かけることにした。
 結果的には、道中、雨に降られることはなかったが、河原の歩道は舗装されていないので、所々、水溜りが残っており、それを避けつつウォーキングした。

(21.6.30.水) 晴れ時々曇りのち雨
 今日は、午前中はよく晴れていたが、午後からは夕立のような激しい雨が降ったり止んだりしていた。梅雨の時期とはいえ、午前中は晴れ空だったので、傘を持たずに出かけていて、雨に降られた人が多かったんじゃないだろうか。
 当方は、当然のごとく、午後からは雨読の一日だった。

【今日の読書122※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
A-31『二十一世紀の資本主義論』
B-34『宇宙を織りなすもの 上』
F-54『ノルウェイの森 上』
G-9『失われた時を求めて9』
H-3『パンセT』
I-26『世界一ポップな国際ニュースの授業』
コメント:A-31『二十一世紀の資本主義論』を読了した。本書は、20年以上も前に雑誌類に掲載された小論文やエッセイを集めたものだが、まだまだ古びているという印象はない。本質を捉えた論考ということなのかもしれない。次は、同じ著者の『貨幣論』  季刊誌『批評空間』に「貨幣論」として8回にわたって連載されたものを『貨幣論』として発刊、後に文庫化されたもの  で、一つのテーマに関する論考なので、前書のように、気楽には読める内容ではなさそうだ。
 G-9『失われた時を求めて9』は、8巻を読み終え、なんとか全14巻の半分を超えた。読み始める前は、本書に関しては、いつも語られるあの有名なエピソード  マドレーヌの香りで過去の記憶が呼び覚まされるということ  と、ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』などと並び称される「現代文学の先駆け」の書である、という知識しかなかったが、読み進めるにしたがって、だいぶ印象が変わってきた。

【今日の映画122】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『アサインメント(NHK-BS プレミアム・シネマ録画で視聴)
製作年:1997年
製作国:アメリカ
原題:The Assignment
監督:クリスチャン・デュゲイ
出演:アイダン・クイン/ドナルド・サザーランド/ベン・キングズレー/クローディア・フェリー
ストーリー:国際的テロリスト、通称“ジャッカル”ことカルロス・サンチェス(アイダン・クイン)を追うCIAとモサドは、誤認逮捕してしまったほど彼に生き写しの米国の海軍大佐アニバル・ラミレス(アイダン・クイン=二役)を使っての替え玉作戦でカルロス逮捕へ向けて動き出す。良き家庭人であるゆえに当初は抵抗したラミレスだが、CIAのフィールズ(ドナルド・サザーランド)とモサドのアモス(ベン・キングズレー)による苛酷な極秘訓練ののち、やがて心身ともにカルロスの替え玉になりきった。リビア。潜入したラミレスはカルロスの愛人アニエスカを誘惑してカルロスをおびきだす作戦に出たが・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは2.8、TSUTAYAは3.08で、まあ、私の評価は3.0というところ。
 本作品は実在のテロリストを基にしたものだが、ストーリーはあくまでフィクッション。モデルとされたイリイチ・ラミレス・サンチェスは、ベネズエラ人の国際テロリストで、コードネームは「カルロス」、通称、カルロス・ザ・ジャッカルと称された。1973年から1984年にかけて14件のテロ事件に関与し、世界中で83人を殺害、100人を負傷させ世界を暗躍して極左テログループを指揮、インターポール(国際刑事警察機構)から最重要指名手配をされていた。1994年に潜伏先で逮捕。あだ名の「ジャッカル」は、1971年に発表されたフレデリック・フォーサイスの小説『ジャッカルの日』に由来するとされている。終身刑の判決を受け、現在もパリの刑務所で拘置されているとのこと。

【今日のジャズ122】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Now's The Time
アーティスト:Charlie Parker
レーベル:Verve/ポリドール/ポリドール
録音年月日:1952.12.30/1953.7.30 (1953.8.4? )
曲名:The Song Is You/Laird Baird/Kim (take 4)/Kim (take 2)/Cosmic Rays (take 2)/Cosmic Rays (take 5)/Chi Chi (take 6)/Chi Chi (take 1)/Chi Chi (take 3)/Chi Chi (take 4)/I Remember You/Now's The Time/Confirmation
ミュージシャン:Charlie Parker (as)/Hank Jones (p)/Teddy Kotick (b)/Max Roach (ds)/Al Haig (p)/Percy Heath (b)
コメント:サヴォイやダイアルにも名演を残しているチャーリー・パーカーだが、その後はこの世を去るまでヴァーヴで相当数の吹き込みを行った。中では、1952〜53年にかけて録音されたこの作品が、親しみのあるテーマ・メロディが集められていることもあり、一番ポピュラーな人気を博しているとのこと。
 フィル・ウッズのコメント「寝ても醒めてもパーカーという時期があった。どうすれば彼みたいに吹けるんだろうっていつも考えていた。そんな時期があったから、自分は自分のスタイルを作ればいいと割り切れるようにもなれた。そのころに聴いたのがこのアルバムだ。そうしたら、またパーカーみたいに吹きたくなってしまった。〈コンファーメイション〉とか〈ナウズ・ざ・タイム〉とか、彼の代表的なレパートリーを聴いていると腕がむずむずして、すぐサックスを手にしてしまう。よくレコードに合わせて吹いたものだ。だから、すべての曲を一音たりとも間違わずに吹けるようになった。」(『ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100』より抜粋)

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2021年06月27日

逃病日記231(21.6.27.日)

(21.6.26.土) 晴れ時々曇り後雨
 朝日新聞の『読書』欄は、今週は特に目ぼしい本はなかった。
 今日もいつも通り、TVで午前中はメジャー・リーグ、午後からは阪神タイガースの試合を観ながら、PCでブログ作成と映画鑑賞で過ごした。阪神タイガースもここへきて、佐藤と歩調を合わせるように失速気味の状態、もう観るんやめたろかな。

(21.6.27.日) 晴れ時々曇り
 阪神タイガースファンのサガだろうか、ここへきて失速状態だが、はかない期待を抱いて、ついついTVの野球中継を観てしまう。しかし、結局、結果はDeNA戦に三連敗、いつもの弱い阪神タイガースが顔を出した感じ。

 夕方に、運動不足気味なので、恵文社までウォーキングをした。
 明日、月曜日は、6週間に1回の免疫療法を受けるためにK大病院へ行くことになっている。診察の予約時刻はAM9:15なのでAM8:30には家を出なければならない。

【今日の読書121※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
E-16『成城だよりU』
G-8『失われた時を求めて8』
H-3『パンセT』
I-26『世界一ポップな国際ニュースの授業』
K-6『職業としての小説家』
コメント:土曜・日曜日は、TVの野球中継やPCでの映画鑑賞でどうしても読書が捗らない。
 I-26『世界一ポップな国際ニュースの授業』は、藤原帰一と石田衣良との対談本。藤原帰一氏については、以前から朝日新聞の『時事小言』には欠かさず目を通していて、国際問題へのシャープな切り口に注目していたが、今回、氏のツイートで本書の発刊を知って購入した。

【今日の映画121】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『ネバダ・スミス(NHK-BS プレミアム・シネマ録画で視聴)
製作年:1966年
製作国:アメリカ
原題:Nevada Smith
監督:ヘンリー・ハサウェイ
出演:スティーブ・マックィーン/カール・マルデン/ブライアン・キース/アーサー・ケネディ
ストーリー:白人の父とインディアンの母の間に生まれ、砂漠と山の中を走りまわって育ったマックス(スティーブ・マックィーン)の両親が、3人の殺し屋に殺され、マックスは、3人の殺し屋に復讐するために、1頭の馬と1挺のライフルをたずさえて、旅立った。そして、ある日、マックスは、町から町へと流れ歩く鉄砲かじ屋ジョナス(ブライアン・キース)にめぐり会い、彼から拳銃の扱いかたを習った。町から町、酒場から酒場へ流れ歩いたマックスは・・・
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.0、TSUTAYAは3.28で、まあ、私の評価は3.0というところ。
 スティーブ・マックィーンは、惜しまれつつ、若干、50歳でがんで他界した。“男っぽさ”ということに関しては、彼の右に出る俳優はなかったんじゃないだろうか。野性的で男っぽい外見にもかかわらず、内面的な深みも感じさせる佇まいは、早世していなければ、もっと役柄を広げ、同年生まれのクリント・イーストウッドなどと並び称されるような名優になっていただろう。

【今日のジャズ121】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Chet Baker Sings
アーティスト:Chet Baker
レーベル:World Pacific/東芝EMI/ユニバーサル
録音年月日:1953.10.27/1954.2.15/1956.7.30
曲名:My Funny Valentine/That Old Feeling/Like Someone In Love/My Buddy/It's Always You/Someone To/Watch Over Me/But Not For Me/Look For The Silver Lining/I Get Along Without You Very Well/I Fall In Love Too Easily/The Thrill Is Gone/There Will Never Be Another You
ミュージシャン:Chet Baker (tp,vo)/Russ Freeman (p)/Joe Mondragon (b)/Shelly Manne (ds)/Carson Smith (b)/Bob Neel (ds)/Chet Baker (tp,vo)/Bud Shank (fl)/Russ Freeman (p)/Red Mitchell (b)/Bob Neel (ds)/Corky Hale (harp)/unknown strings/Chet Baker (tp)/Russ Freeman (p,cel)/Jimmy Bond (b)/Peter Littman (ds)/Joe Pass (g)
コメント:チェット・ベイカーのボーカルは、決してうまいとは思わないが、素朴な味わいがある。最初、耳にすると“気だるい”感じと思わなくもないが、それよりは、さりげなく歌っている感じというのが適切かもしれない。やや中性的な感じがしないでもない。
 1950年代半ばにおいては時代の寵児とも目され、マイルス・デイヴィスをも凌ぐ人気を誇っていたが[1]、1950年代後半から1960年代にかけてヘロインに耽溺し、ドラッグ絡みのトラブルを頻繁に起こすように。米国や公演先のイタリアなど複数の国で逮捕され、短期間であるが服役もしている。1970年にはドラッグが原因の喧嘩で前歯を折られ、演奏活動の休業を余儀なくされた。この間には生活保護を受け、ガソリンスタンドで働いていたという。 1973年にはディジー・ガレスピーの尽力により復活を果たし、1975年頃より活動拠点を主にヨーロッパに移した。1988年5月13日、オランダ、アムステルダムのホテルの窓から転落死、原因は定かではない。(ウィキペディアより抜粋)

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2021年06月25日

逃病日記230(21.6.25.金)

(21.6.24.木) 晴れ時々曇り
 今朝、目が覚めてから、いつものように寝たままの姿勢で10分程度ストレッチと脚上げ体操などをした。昨日、ヒアルロン酸注射を打ったのでその晩には入浴しなかったため、下肢の調子がイマイチの感じがした。体操等をした後は、身体もほぐれてきたので起床した。
 がん治療の免疫・化学療法の副作用か脊柱管狭窄症が原因か分からないが、最近、下肢の痺れが甚だしい。このような場合は、現在、通院している“町医者”では対応が困難なかもしれない。精密な検査なんかができないし、慢性疾患に対して、治療の基本は「保存療法」を施すだけなので、結果的には長い間には悪化してしまうような気がする。

(21.6.25.金) 晴れ
 今日は、6週間に1回の免疫療法のための事前の血液・尿検査とエックス線のために、K大病院に行ってきた。
 市バスで自宅から15分程度、午後2時前ころに病院に着いたので、さすがに外来エリアの患者数は少ないように思った。採血室やエックス線室、その後の会計受付などでも待ち時間はなく、全体で30分程度で病院を出ることができた。

 帰路には、市バスを途中下車して、予定していたK大学生協書店に寄った。ここだと定価の10%引きで購入できるので、新聞の広告や近所の大垣書店などで見定めておいた本をまとめ買いをすることが多く、今日は以下の本を買った。
 @『〈うた〉起源考』藤井貞和(青土社)
 A『社会思想としてのクラシック』猪木武徳(新潮選書)
 B『「失われた時を求めて」への招待』吉川一義(岩波新書)
 C『自省録』マルクス・アウレーリウス(岩波文庫)
 最初の@は、近所の大垣書店で見定めていたが、定価が4千円を超え高額なため、K大学生協書店で買おうと思っていた。藤井貞和氏は、以前から気にかかっていた国文学者で、現在、〈お勉強〉で著者の『古典の読み方』を読んでいるところだが、氏の「学者」らしからぬ、情熱の溢れる書きぶりに、「えっ!」と思った箇所が少なからずあった。氏は、若かりし頃、吉本隆明氏が発刊していた雑誌『試行』に寄稿されていたんじゃなかったかなと思うんだが、記憶が定かではない・・・
 Aは、先日、新聞の広告で見かけて気にかかっていた本。以前、このブログにも書いたが、著者の猪木武徳氏が京都の国際日本文化研究センター(日文研)に在籍されていたころ、私もK大学から日文研に出向していたので、よく存じ上げている。経済学の分野では日本経済学会会長などの要職を歴任され、「泰斗」といっていいような業績を挙げられているが、温厚なお人柄で我々にも気さくに声をかけていただいた。日文研を退職された後、青山学院大学に勤務されていたようだがそこも退職され、現在もご自宅のある京都にお住まいだろうか。そういえば、一度、河原町の丸善でお遇いしたことがあった。私が新刊書の平積みコーナーで立ち読みをしていたら、背後から、茶目っ気たっぷりに「何かいい本がありますか?」と声をかけられたことがあった。
 これまで、先生の著作については、以下の比較的手に入りやすかった一般書を拝読させていただいているが、特にBは、今回の『社会思想としてのクラシック』と同様、専攻外の領域に対して社会思想的分析を加えたもので、先生の広範な学識・教養に触れることができる。
 @『学校と工場―二十世紀日本の人的資源』(ちくま学芸文庫)
 A『自由と秩序―競争社会の二つの顔』(中公文庫)
 B『文芸にあらわれた日本の近代―社会科学と文学のあいだ』(有斐閣)
 C『戦後世界経済史 自由と平等の視点から』(中公新書)
 D『経済学に何ができるか 文明社会の制度的枠組み』(中公新書)
 E『自由の思想史 市場とデモクラシーは擁護できるか』(新潮選書)

【今日の読書120※書名頭の数字は当方のブログ『読書リスト』の数字
@ -14『吉本隆明講演集11/芸術表現論』
A-31『二十一世紀の資本主義論』
B-34『宇宙を織りなすもの 上』
E-16『成城だよりU』
E-17『トルーマン・カポーティ 上』
F-54『ノルウェーの森  上』
G-8『失われた時を求めて8』
H-3『パンセT』
K-6『職業としての小説家』
コメント:A-31『二十一世紀の資本主義論』の「ヒト、モノ、法人」の章で述べられていることは、今朝の新聞に載っていた「東芝問題」に関して多くの示唆を与えてくれるように思う。この論説の出典は、30年以上前の日経新聞に掲載されたものだが、現在の東芝問題の本質を捉えているように思う。「資本主義の本質」を究明するこの論説が、30年後の現在の経済的事象の原理的説明たり得ているということは、「経済学」というものが「科学」であるということの証左と言えるだろう。新聞などでは「国際化」云々を強調し、あたかも東芝の対応  以前の「不正経理」とは別問題としておく  が不適切かのような論調だが果たしてそうなんだろうか?「物言う株主」というのは聞こえがいいが、本質は「禿鷹ファンド」でしかないのではないか。
 この辺りのことについて、「ヒト、モノ、法人」の「法人否認説」の節から示唆に富むフレーズを抜粋してを掲げておく。
 「もし、だれかがある会社の株式の過半数を株式市場で買い取ることに成功したらどうだろうか?そのときその人は、その会社の支配株主となり、株主総会における議決権を独占することが可能になる。とうぜん、その人は会社の資産も自由に処分する権利も得ることになるのである。そのとき、株式市場における会社の株式の買収が、会社の資産そのものの買収と同義語になってしまうことになる。すなわち、会社は、企業資産というモノにたいするヒトとしての主体性を完全に奪いさられ、支配株主の自由裁量にまかせられる純粋なるモノの地位に転落してしまうのである。じっさい、近年たとえばアメリカの株式市場を舞台として暗躍している会社乗っ取り屋の商売とは、まさにこの原理の応用にほかならないのである。かれらはつねに、株式の市場価格が会社資産のバラ売り価格を下回っている会社を鵜の目鷹の目で探している。そういう条件にあった会社が運よく見つかると、かれらはさっそく株主相手にTOB(買収を目的とした公開の株式買付け)をおこなう。株式投資をたんなる利殖の手段と考えている零細な大衆株主は、現状の市場価格より高い価格をつけてくれるTOBを一般に歓迎し、容易に株式買付けの申し入れに応じることになるだろう。ときによっては、じぶんの首が危うくなった経営陣が対抗してTOBをかけたり、もっと貪欲な乗っ取り屋が新たなTOBをかけて漁夫の利を狙ったりすることがあるかもしれない。このようなTOB合戦に打ち勝ち、首尾よく過半数の株式を手にいれることができたならば、わが乗っ取り屋は支配株主の権限を行使して会社を株式市場からひきあげ、その資産をバラ売りしはじめることになる。会社資産のバラ売り価格と株式の買い取り費用との差がそのままかれらの儲けになるわけである。」(p.280-281)
 以上、「海外投資家」と言うと聞こえがいいが、それは「投資ファンド」のことであり、つまるところは「禿鷹ファンド」だろう。現代の「株式会社」を主体とする「高度資本主義=金融資本主義」のメカニズムが生み出す「悪」の側面と言ってもいいのかもしれない。「高度資本主義=金融資本主義」下で、本来の「株式会社」の在り方から大きく逸脱してしまい、「国際化」というと聞こえはいいが、所詮は、アメリカのウォール・ストリートの金融資本による「株式会社」の換骨奪胎と言ってもいいだろう。

【今日の映画120】※データは『映画.COM』のサイト等から入手
邦題:『サード・パーソン(Amazon PrimeVideoで視聴)
製作年:2013年
製作国:イギリス
原題:Third Person
監督:ポール・ハギス
出演:リーアム・ニーソン/オリビア・ワイルド/エイドリアン・ブロディ/モラン・アティアス/ミラ・クニス
ストーリー:パリ、ローマ、ニューヨークと離れた場所で織りなされる3組の男女の物語が交錯し、やがて驚きの真相にたどり着く。パリのホテルにこもり、最新作を執筆していたピュリッツァー賞作家のマイケル(リーアム・ニーソン)は、野心的な作家志望の女性アンナ(オリビア・ワイルド)と不倫関係にあったが、アンナにもまた秘密の恋人がいた。ローマのバーで出会ったエキゾチックな女性に心を奪われたアメリカ人ビジネスマンのスコット(エイドリアン・ブロディ)は、彼女の娘が密輸業者に誘拐されたと聞き、女性を助けようと決意する。ニューヨークに暮らす元女優のジュリア(ミラ・クニス)は、息子の親権をめぐって元夫と係争中。裁判費用を稼ぐため、女優時代に利用していた高級ホテルでメイドとして働き始めるたジュリアは、弁護士の助言に従い、裁判所からの心証をよくするために精神科医の鑑定を受けることになるが……。
コメント:評価は5点満点で、映画.COMは3.2、TSUTAYAは2.82で、えらく評価が分かれているが、まあ、私の評価は2.5というところ。オムニバスということでもないが、3組の男女の物語がどのように交わっているのか最後まで見えてこなかった。まあ、私自身の鑑賞方法が、一方で、TVで野球中継を横見しながら、他方で、PCでイヤホンを使って映画作品を観ているので集中力が欠如しているということもあるのかもしれないが・・・。
 TSUTAYAのレビューなんかを見ると、作中のピュリッツァー賞作家のマイケルのストーリー以外の話は、その作家のイメージの中の出来事というレビューが多く見られる。そういえば、演じている男女や彼らが乗った車が画面の途中から消え去っていくシーンがいくつかあったが、それらのシーンは出来事がイメージの世界の事象ということをほのめかしているんだろうか。あまり凝りすぎて、観なおさないと理解できないという映画作品も考えものだ。まあ、私も集中して作品を観ないとあかんけどな・・・

【今日のジャズ120】※データは『ジャズ資料館』のサイト等から入手
タイトル:Saxophone Colossus
アーティスト:Sonny Rollins
レーベル:Prestige/ビクター音楽産業/Fantasy/ユニバーサル
録音年月日:1956.6.22
曲名:St. Thomas/You Don't Know What Love Is/Strode Rode/Moritat/Blue Seven ( Blue 7 )
ミュージシャン:Sonny Rollins (ts)/Tommy Flanagan (p)/Doug Watkins (b)/Max Roach (ds)
コメント:「ソニーとの録音は、マイルスのクインテットで共演したことから始まった。当時、マイルスはジョン・コルトレーンやレッド・ガーラントとグループを作っていたが、メンバーのスケジュールがまとまらないときは、ソニーとわたしを入れた別のクインテットで仕事することもあった。それで、ソニーとはよく一緒に演奏していた。そんな縁で、このレコーディングにも声をかけてくれたんだと思う。覚えているのは、あっという間にレコーディングが終わったことだ。リハーサルも何もなし、スタジオに集まって、簡単な打ち合わせをしただけでテープが回された。撮り直しもなかった。ソニーはマイルスのグループで共演しているときよりゾッと自由にサックスを吹いていた。それが強い印象に残っている。やっているときから、このレコーディングは素晴らしいものになると確信していた。」(トミー・フラナガン『ジャズマンが愛する不朽のJAZZ名盤100』より抜粋)

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